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| 旅のヘン > 旅のお酒 > 旅の踊り > 旅の雑感 > 旅のディジュ その時々に思ったことをそのまま書き綴ります。思いの「はけぐち」になっちゃうかも!? |
<身近な人をこそ、傷つけてしまう。>
そんな自分だと分かっているからこそ、情けない。
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<人恋しさ。>正直、1人でいることがつらい。 これは慣れの問題なのか、それとも自分の弱さの問題か、それとも誰しもそう感じるのか。 彼女と別れ、1人を感じた。 孤独がつらいのか、それとも彼女がいないことがつらいのか。 ダイちゃんからは、黙って考えることの重要さを学んだ。 やはり、誰かと一緒にいると言うことは、孤独を忘れる安心感を与えてくれる。また、同時に刺激でもある。そして、学ぶ機会でもある。 新しい仲間を得ることは楽しい。 ともかく、次に友達を作れるのはいつになるのだろう・・・。 06/10/15 |
<人の目を見ると言うこと。>自信がなくてはならない。 少なくとも自分自身に、ちゃんと自信を持って生きたい。 全てが出来るわけではないし、空威張りもある。 本当の自信と空威張りは別問題だ。 変なプライドとしての自意識や、余計なことは置いて・・・。 相手の目を見て会話が出来なくてはならない。 今(ちょっと前だけれど)まで、しばらくの間、それができていなかった。 理由は対人関係に自信がなくなったからだろう。 もっと胸を張って、ダメな自分でも胸を張って、堂々と生きていかないと。 |
<旅の意味>最近思う。今、どうして旅をしているのだろう? 自分にとって、旅って何だろう。何だったのだろう。 その間に何かが変わった。旅をしているだけで、新しい土地に行くだけで楽しかった自分はどこにいってしまったのだろう。20歳前後のような旅は今でもできるだろうか。あの頃の旅の方が本当に楽しんでいたのだろうか。 久しぶりに1人旅をし、懐かしさもあると同時に2人旅との違いも大きく感じる。そしてまた、1人旅になったからこそ2人旅についても考えられる。1人旅を忘れていたといったら語弊があるが、それぞれの良さを引き出すような旅をした方が良い。これ以上はちょっと書きづらいが思うことは多い。 1人旅を楽しむには、心をどこかに忘れてきてはいけないということ。心を置いてくることとは違う。迷っている心の状態は旅そのものをも迷わす。 恐れることなく自分は自分であること。臆病な私は常に恐れを抱く。大切なものを失わないように恐れること。ただ大切にしまうだけでも仕方がないし、腫れ物に触るように気をつけても仕方がない。恐れることと、未然に防ぐことは同義ではない。恐れること以外に何か他に考えること、行動することがあるはずだ。 旅に出て思う。 旅を続けることができるだろうか。 06/07/13 |
<なんとなく日記に書いたこと・・・。>●「親切」について。(ブダペスト/ハンガリー) 06/05/30 |
<マユの出発、ルーマニア行き。>マユが、ルーマニアに向かう国際列車で去っていった。 昨夜も随分遅くまで飲んでいたのだが、なぜか朝も暗いうちに目が覚めた。マユも起きていないし、インターネットでもして気を紛らわす。 静かな朝を迎えている。 ちょっと寂れた感じだし、首都の中央駅と行っても、発着が頻繁にあるわけでもない。マユが駅内の売店でパンを買い朝食を済ませる。 別れはツライ。 電車が離れて行く。 洋服屋さんを見てはマユの好みを思い出し、看板を見ては何かしら連想する。全てがマユに行き着く。 以前に住んだ蒲田の部屋、浦安の部屋、そして、出会った頃の懐かしい顔、表情。全てが、全てが、今になってさらに貴重なものであったと気付く。自分にとっての相手の存在の大きさ、そして、良くないことかもしれないが自分の「依存」を実感する。 「依存」、お金や物に依存する場合もあるだろうが、1人では生きていけない普通の人間は、誰かに依存して生きていくことも多いだろう。依存していることに気づくこともなく生活をしている場合もあるだろうし、心地良い依存を素直に楽しんでいる場合もあるだろう。 「依存」という表現自体が間違っているかもしれない。 年齢が増し「大人」になるからと言って、自分が成長していると実感できる人はどれくらいいるのだろう。少なくとも自分については、以前と大して変わっていない、だ。その「以前」というのは、中学生や高校生の頃のような気もするし、20歳頃のような気もする。 かつて、家族数人に依存していた自分が、いつのまにかマユだけに依存してしまっている。なぜ、人をこれほどに意識するのか。なぜ、自分は1人だけで強く生きて行くことができないのか。いや、それを試そうとしていないだけだろうか。 こんな取りとめもないことを、思い悩んでいるというのも1人になった効果だろう。人間には1人の時間も必要だと理屈では分かっている「つもり」でも、それは本当に1人になった時しか実行できない。そう、少なくとも私は、無理に1人になる状況をつくることなどまずない。 ああ。 |
<イスタンブールにて。>どうも観光は面倒くさい。 今までもそうだったのだが、今は特にその意欲が消えている。好奇心が足りないのだろうか。はっきり言って、観光に興味があればそれに越したことはないと思う。せっかく来ているのだし、その価値が理解できれば・・・。 トルコに来て、皆既日食を見た。 今まで「観光すること」に関するモチベーションは、好奇心とか自分の希望とはちょっと違うところから来ていた。 今後の自分の姿を考えると、今までとはかなりの変化がありそうだ。各地を巡り、街を徘徊する。そして酒を飲む。できれば、踊りに行く。ほぼ確実にそういう方向に流れて行くだろう。 日本でずっと生きてきて、いや、現代社会では当然のことかもしれないけれど、無為に時間を過ごすことが苦手、もしくは出来なかった私が変わりつつある。 旅を続けるにあたってのモチベーションって、何だろうか。 長く旅をすることが良いことという訳でもないし、日本に一時戻ったって良い。いたい国に長期滞在するのも良い。見たいものを探すのも良い。要は自分がしたいことを、許される範囲内でするだけだ。その上で、自分が旅を続けることを、逃げ(日本から、嫌なことから・・・)ではなく望んでいるというのが重要なのだろう。まぁ、何と言うか「旅を続ける」ということは、お金さえあれば簡単なわけで、日本にいるよりもずっとラクだ。 旅に出る前は「36歳になるまでには再就職しないと。」そう真剣に考えていたのだが、それすらも本来的には重要でない気がする。 内面の変化は旅から来ているのか、年齢的なものか、きっと、いろいろな要素が混ざっているのだろう。ただ、長期間に渡る無為な生活に本当の意味で「慣れた」ということも大きいかもしれない。 少しだけ話を戻すと、やはり私にとっての「旅のモチベーション」は、日本に本当に帰りたいと思うまで旅したいということかもしれない。これは実に消極的なのだけれど、少なくとも今の真実かもしれない。 ともかくも、まだ旅は続ける。 06/04/30 |
<インドでようやく見えたもの。>インドは、とても物価の安い国だ。
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<旅人の視点から見たネパール。>ネパールは、中国とインドという2つの大国に挟まれた国だ。 |
<中国について考えた。>中国には公安(警察)をはじめとして、無駄な人が多い。と言っても、実際に中国にとって公安は必要なのであろう。実際には「無駄に思われるほどの公安を配置しないと国が成り立たない」現状が問題なのだろう。 そういった国内問題の目をそらすかのように、テレビでは毎日のように第二次世界大戦時の日本を悪者とするドラマなどが放送されている。戦中に日本がどういった悪さをしたとか、そういったことを放送するのも良いが、現在の中華人民共和国がチベットやウイグル(東トルキスタン)に侵略中であるということをどれだけの中国人が認識しているのだろうか。 だいたい、全ての中国人が国内を自由に移動することすら認められていない。もちろん外国人も自由に旅行することを禁じられている地域は多い。 チベット内に無数に掛けられた「慶祝西蔵自治区成立40周年!」「西蔵の未来は明るい!」みたいなものが白々しい。 |
<外国人料金について考えた。>旅行をしていると外国人ということで、高い値段を言われることがある。 それは、どこの国でもというわけではないが、途上国では普通といえば普通のことだ。ちなみに、私たちが旅をしてきた国では、ベトナム、インドネシア、ラオス、カンボジアだろうか。 パッと考えてみると、ベトナム以外は商売の駆け引きの要素が強いが、ベトナムは駆け引きではなく"外国人にはいくら"と決まってしまっている点が異なる気がする。 思うに社会主義国の安いインフラ料金に対して、外国人が利用する際には"高い外国人料金"を設定して徴収するなど(電気ガス水道なども)が始まりではないだろうか。そして、それについては国民の共有財産を"国民以外が使用する場合には(例えば)建設費分の料金を上乗せして徴収する"という理屈が考えられる。 では、あるモノを普通の価格よりも高い値段で売ろうとするという行為はどうだろうか。 まず言えることは、交渉しても値段が下がらない場合は、その地域全般にそうであることが多いということだ。要は、その町の旅行者が集中するエリアではとても値段が高い(通常価格の倍など)。そして、利益の出る価格であっても、ある程度以上の価格でなければ売らない。その高く売る特殊エリアが狭ければ、対処のしようがあるが、それがなかなか広い。よって、とても高い価格で購入せざるを得ない。要は納得はしていないけれど、購入せざるをえないのだ(もしくは、次の町まで購入を見合わせる)。 さて、外国人に高く売りつけるという行為は、旅行者の少ない地域ではほとんどない。それは、多くの外国人料金は、旅行者が訪れることによって発生したということを表している。 そういった国の発展(?)が進み、人や物の移動が激しくなれば、一般的には"特別な値段"は消えていく運命にある。そのように考えると、これも発展(?)の一段階なのだろうか。 根本的なところに話を戻すが、ある程度値段が高い料金で売りつける行為は、外国人に対してだけ行われているのだろうか。いや、そうではないと思う。地方から出てきて(またはその逆)、利用したいサービス(または、モノ)の料金を知らない者は、同国人であっても高い値段が請求されることがある。しかし、それにしても通常価格の倍などは起こっていないのではないだろうか(全くないとは言わないが、日常的かどうかという問題)。 そう、外国人料金が定着してしまっている場所では"交渉(選択)の余地が限られる"というところに不満が生じるのではないだろうか。 特に日本では、誰が購入しようが対価は同じ、というのが常識となっていて、否定のしようがない。そういった観念を持ち込むと、品物毎に交渉が必要であることや、外国人であるがゆえに高い料金を払わなくてはならないということに違和感を覚えるのだろう。 ここまでいろいろと考えてきてみたが、外国人料金の多くは途上国で発生している。よって、日本のような国から訪れた者にとっては、日本で収入がある場合は大きな金額でない場合がほとんどである(もっとも、途上国から途上国に旅行する者のような場合には、とても大きな金額と感じる場合もあるだろうが)。 さて、日本人の場合に考えたらどうだろう。 しかし、 屁理屈(大局的に?)を考えれば、
・"交渉(選択)の余地が限られる"ので不満が生じ、ベトナムの外国人料金が嫌な印象を与えている。 もっとも、これから行く中国も、地域によっては印象が悪そうだけれど。 |
<旅を続ける影響・・・ワガママ化!?>長い旅をしているとワガママになっていく気がする。 |
<旅が日常になるということ>旅が日常のように感じられると、私は「何もしなくなる」ようだ。 |
<独創性の有無について>サイトなどを作っていて特に思う。 |
<旅についての迷い>旅に出て、ようやく150日が過ぎたらしい。らしいといのは「世界ぷらぷら」のサイトをインターネットカフェで見たときに、トップページの日数カウントがそうなっていたからだ。自分が旅に出て「したかったこと」とは何だろうか? いろんな国を見たい。いろんな人と出会いたい。そして、旅という非日常のラクな生活に身を委ねたい。そういった漠然とした思いだけだっただろうか。 実際に旅を始めてみて、開始から現在までの旅のスタイルで本当に良いのだろうかと思う。そう、何か満足していない気がする。何がどうだという明確な思いではないのだが、何かが足りない気がする。自分のしたいことに夢中で取り組むとか、新しい出会いごとに「友達になる」とかそういったことが不足しているようにも思う。 それと、何と言っても自分の心の持ちようだと思うが「このままずぅ〜っとここにいたい!」と思えるほどの街に出会っていないからだとも思う。と言って、いくつもの街を訪れてもいるし、私の心がそういった風になっていないのだろう。 いくつか思い当たる理由の1つは時間についての感覚の問題だ。今は本当は時間に追われてはいない。大局的に人生という観点から見れば、少なからず時間に追われると言う面はある。しかし、今はそこまでは気にしなくてもいいはずなのだ。そうは思っているのが、本当に心の底からはそれを納得していないのだ。 自由なはずなのに、当初想定した旅のルートに縛られている自分もいる。中国のチベット(ラサなど)を訪れたいのだが、ネパールに抜けるルートを通るには冬前に行かなくてはならない。そうすると日付を逆算して旅をしなければならない。ラサまで延びる工事中の線路が完成する前に行きたいとか、いろいろなことを考える。別に陸路ではなく、飛行機でネパールに行けば良いのだろうが、どうも陸路でネパールに入りたいなどと固執してしまうのだ。 今、もう1つ気になっているのは2006年春の皆既日食である。アフリカ北東部から中央アジアの方向に、皆既日食が進むらしい。皆既日食の下で行われる野外パーティに参加し、感動したい(できるかどうかは分からないけれど)。う〜ん、やはりあれこれと先の予定を考えて、それで自分を制約してしまうのが、私にとって旅をつまらなくする原因かもしれない。 考えてみると以前の長期旅行では、気がつくとそこに数ヶ月もいたという感じだった。2〜3ヶ月の旅でも、1つ2つ目の街にはまってしまうということもあった。そういう自分でなくなったのはなぜだろう。もう少し、そういうところから考えないとならないのかもしれない。 2つ目は、2人で旅をしているということ。これは、旅のスタイルとして徐々に慣れてきているし変わってもいるので、この先も徐々に制約事項ではなくなっていく気がする。 3つ目は、心から楽しもうと言う気持が足りない自分だろうか。なんだか分からないけれど、笑う笑う笑う、大笑いをする。そういったことって、できるときとできない時がある。もう少し、自分の心を楽しい方向に持っていかないとならない。 ・・・人間が、自由であり得るためには、神があってはならない。 05/04/09 |
<「世界ぷらぷら」サイトを作っていて思うこと>
自分たちの旅のサイトを作っている。 |
<何だかマラッカに来て楽しい。いや、ジョホールバルあたりから?>ここ最近は、何だか以前より楽しい旅生活を送っている。 |
<旅に出て自分がしていること>掃除、洗濯、そして食事! 04/12/12 |
<旅に出て自分が何をするか>今までの自分の旅を考えると疑問がある。 だいたい私は、何か「もの」に興味を持つことが少ない。旅人に興味を持ったりはするが、遺跡や建物であったり現地固有のものであることが少ない。 これでは旅に出ている意味が薄いのだろうか?また、今までは移動ではなく一箇所にいることが多く、もっぱら現地の言葉の勉強をしていたりした。1人でいると人恋しくなるのか、言葉を覚えてあちこちで会話することが普段より楽しい。また、言葉を勉強していると無為ではない時間と感じるのかな。ともかく今回は、旅を続けることも目的でもある。どこかに沈没するのではなく、移動することに対するモチベーションを保っていたい。 だが、好きな場所には長居してみたいと思うし、たまに休憩するのも良いと思う(それが沈没への第一歩かな)。次の街へ、次の街へと絶え間なく動いている旅人もいるようだ。そういった方と話をしてみたい気もする。 だいたい自分は朝に起きるのだろうか?以前は夕方に起き出し、朝まで飲んで寝る。そんな生活ばかりだった。何かしなくてはならないことも「明日、明日」となる。普段、心配性で事前に物事を済まさなくては安心できない自分とは別人のようだ。「明日、明日」となることは、時間に余裕があるということであり、そういった時の自分は何か変わることがあるのだろうか。 04/09/28 |
<一人旅と二人旅の違い(理想は?)>今までの旅と今回の旅の、一番の違いは「二人で」行くということ。一人だと何でも自分の思うがままに(ある意味、自分の我が侭放題で)行動できる。 下記のようないろいろなことに制限がないというのは、一人旅の醍醐味の1つだと思う。二人でも旅をしている限りは、仕事や義務からはある程度開放されている時間なので、全く違うということではないと思うけれど、違いはあると思う。 今までまわりの旅人を見て、下記のようなことをマイナスではないかと感じた。(主なもの) 逆に二人で旅することの良さは、経験は無いけれども下記のようなことが考えられる。(主なもの) 二人で旅をするとお互いを重視(尊重)することになる。それは凄く重要だし、濃密な時間を過ごせると思う。ただ、二人の時間を過ごすだけでなく、一人旅の良さも捨てずに旅ができたら良いと思う。要はお互いを大切にしつつ、自分を捨てないで過ごすことだけれど、そういったバランス感覚を自分が持っているか甚だ不安でもある。旅という非日常生活だけでなく、それは日常生活にも通じることだし、旅においても志向したい。 04/09/09 |