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タイの灯篭流し、ロイ・クラトン(Loy Krathong)

タイ全土でロイ・クラトンというお祭りがある。11月の満月の夜、水の女神に1年の水の恵みを感謝する祭りで、小さな「船」にろうそくやお金や花をつんで川や海などの水に流すというものだ。現代では灯篭流し以外に、タイならではの華やかなパレードや花火で盛大に盛り上がる。このお祭りは私たちはパーイの街で過ごした。

お祭り近くになると、お店では作られた”灯篭”が売り出される。MoonVillageに遊びに行っていた私たちは灯篭を作る作業から参加させてもらえることになった。灯篭はまず、丸太を約5cmくらいの高さに切る。その丸太の周りに三角に折り上げたバナナの葉を飾っていき、中央にマーガレットなどのお花や植物を並べ、さらにろうそく、お香、さい銭を並べていくといった作りだ。特別に決まった形はないので材料とセンスひとつで全く違った出来になるのがおもしろい。
出来上がったら次はいよいよ川へ流しに行く。パーイの川は他の地域の川に比べ、非常に流れが速い。だから灯篭は趣きをあまり残さないまま、悲しくもすぐに姿を消してしまう。私の流した灯篭は川に置いた瞬間すぐにろうそくの火が消えてしまったので気分までシュンとなってしまった。他の灯篭も急な流れや川の段差に負けて倒れそうなものばかりだけど、みんな頑張ってオレンジ色の光を放ちながらゆらゆら流れていった。

左:灯篭作り
右:出来上がりの図

翌日は学校で盛大なお祭りがあった。(パーイでイベント事がある時はほとんどこの学校で行われるようだ。)ミス・コンテストやらパレードやライブ、小さい街だからと思ってなめかかっていたのを撤回。小さい街と言えどもここはタイ。まるでディズニー・ランドのエレクトリカル・パレードを連想させる派手な光と彩り。一体、いくらくらい電気代が掛かるのだろうと余計な心配をしてしまった。
ミス・コンテストの皆さん綺麗だったし、民族衣装を着た人たちも見れた。祭りと酒が好きなタイ人の人格が丸見えの夜だった。

●ライブで投げ銭集め!ロイ・クラトン Part.2

MoonVillageの方々がライブをした。ちゃんと聴くのはこれで2回目だ。※
今回は特別に私が投げ銭集めをすることになった!ステージ終了後にお客さんからの投げ銭を集める役だが、格好を”貧乏臭く!”と要望があった。設定は貧乏な親子を演じるらしい。私的には綺麗な服装をしている気はしなかったが、私の持っている服では貧乏臭さが臭ってこないらしい。そこで私は投げ銭集めのリーダーである川さんという方から上着を、タカからパンツを借り、ベトナム風の籠帽子をかぶるという風貌になった。
ライブが終了すると旗や布きれを派手にまとった川さんが踊り出てくる。それから私ともう一人の女の子が投げ銭を集めに回る。私はのんびりせずに素早く回ってしまったのであとでタカに怒られたが・・・・!だけれども、ほんの一瞬だけど参加させてもらえ、楽しい思い出が増えた。それにだいぶ仲良くはなっていたが、MoonVillageの方々と更に仲良くなれたのが良かった気がする。特に川さんにはお世話になったし、ライブのあとも最後まで一緒に飲んだりしたし、たくさん時間の共有ができて良かった。

それにしてもこの夜もかなり飲んだ!MoonVillageのオーナーとも仲良く飲んだし(オーナーはタイ語オンリーで全く話が分からなかったので残念だが。だけどいつもニコニコしていてお酒好きで楽しかった!)みんな酔っ払い、タカは踊り好きな子供と踊ったり楽しんでいた。※

※MoonVillageのライブは日本の楽器を使ったり珍しいバンドなので、イベントがあったら必ず呼ばれるらしい。
※子供は日本人とタイ人のハーフ。父のノブさんの話によると、何故だかこの子は踊り好きらしい。踊らずに座っていると、手を引っ張られ踊りの広場へ連れていかれる(笑)


パレードの開会式(?)、ミスコンテストに出場した女性でのパレード、そして出場した日本人の方々ら。

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●犠牲祭 −ハリラヤ・ハジ− (マレーシア)

犠牲祭とはイスラム教徒の祝日で、全世界のイスラム教徒がそれぞれの住んでいる土地で家畜を犠牲に捧げ、聖地メッカへの巡礼を祝う。

この祭りは街ではなく、街の外にある村(カンポン)に行けば見ることができる。お祭りの当日は早起きをして適当に歩き、探し回ってみた。だが、村と一概に言っても難しい。徒歩で歩くので距離に制限があるのだ。歩いても歩いても街から離れられない。(行き止まりの道を戻ってきたり・・・。)
ラッキーにも、イスラム教徒の住む小さなカンポンに辿り着いた。
わずかな家族が住む小さい集落だ(24家族とのこと)。家々は割と綺麗な造りで、生活も豊かなんだろうなと思える。やはり街から近い村はそれなりに裕福なのだろうか??

村の人が何人か集まっている。期待しながらも、様子を影から窺った。イスラム教徒は厳しそうなイメージがある。怒られそうなので、ついつい影に隠れてしまった。写真も良くなさそうなので、カメラに服を巻きつけて隠すという徹底ぶりだ。

神への捧げものとなる家畜は牛だ。首にナイフを押し当てて、一気に深くまで差し込んでいる。頚動脈が切れたのだろう、血しぶきが周辺に飛び散った。牛のような大きな動物が、こうやって殺される瞬間を初めて見て、恐ろしいと同時に可哀想と思ってしまった。元気に尻尾を振っていた牛も、多少は暴れたものの数分後には横倒れた。タカが堂々と写真を撮り始めると、村の1人がおいでおいでと手招きをしてくれる。親切に甘え、私たちは見学をさせてもらうことにした。

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牛は死んでいるようだが、身体は死後硬直のためブルブル動いている。たまに「メ〜」と、かわいそうな悲鳴さえ聞こえる。こういう場を見慣れない私には、どうしてもまだ生きているかのように見えてしまう。だけど単に筋肉の緊張が解けてこういう状況になっているだけのようだが。

それまでは皆それぞれのんびりやっていたが、これからが大変だ。血抜きを終えてから、顔と足、心臓、腸、皮とバラバラに解体していく。牛を殺すことから解体作業まで全部、成人男性がやっている。女性は一箇所に集まってのんびり座っているだけだ。
顔は回りの皮を剥いでいく、結構難しい作業だ。足は高いところに引っ掛け、逆さまにして干す。肉としておいしい部分はどんどん細かく切っていき、スーパーのビニール袋に小分けしていく。あとで各家庭持って帰る用のようだ。腸は捨てるかと思いきや、綺麗に洗っていた。最終的に捨てる部分はほとんどないようだ。

手招きをしてくれた男性が親切にもいろいろ説明してくれた。
ここのカンポンでは、牛は1頭。ただし、昨年は2頭だったとのこと。カンポンによっても頭数は違うようだ。ちなみに、生きている牛1頭は1,800RMほどで買ってきたらしい。お金を出し合うのは1頭につき、7人までに決まっていると聞いた(村のルールかは不明)。
男性はすごくフレンドリーで良い人だった。外国人の見ず知らずの私たちを迎えてくれた上、気を遣ってジュースをくれたりまでした。話すときも「my friend...」と呼びかけられる。こういう良い出会いは本当に嬉しい。

昔、日本で仕事をしていたという村の人に会った。この小さい村にしてすごい偶然だ。もう忘れたとは言っているが、日本語を話せる。少し照れていたが、一言一言思い出すように日本語で話してくれた。ここでも日本の身近さを感じてしまった。

犠牲祭=牛の解体・ご馳走、と言う方程式が浮かんでしまいそうだ。
イスラム教徒も祝日・ご馳走というダブルで楽しい行事でみんながみんな浮かれている。イスラムの厳しく敬虔な想いは当然あるとしても、お祭りは楽しいもの、それは何だって同じなんじゃないだろうか?と思ってしまった一日だった。

※この祭りではこの牛の儀式以外にも、お墓参りをするようだ。家族は正装をし、お墓の先祖に祈りを捧げる。


左:村人たちの様子
右:手招きして呼んでくれ、さらには説明してくれた親切な男性。

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●葬送儀礼(ディラパイ)−タナ・トラジャ− (インドネシア)

タナ・トラジャ県の統計では(1980年現在)キリスト教が人口の76パーセント、アニミスティックな伝統的宗教(アルック・トドロ)18パーセント、イスラム教6パーセントという割合である。キリスト教は1908年にオランダ人によって布教が始まり、宣教活動が成功した地域ともいえる。それゆえ、キリスト教の受容による文化変容も大きいのだが、農村の社会秩序には、伝統的宗教にもとづくものがまだまだおおく残っている。
たとえば、地域社会のなかで伝統宗教的儀礼がおこなわれるときには、キリスト教徒といえども大半の人が参加し、よい社会関係を保つよう協力する。儀礼にともなうスイギュウの肉、豚肉の贈答慣行は、キリスト教になっても伝統的宗教の慣行を継承している。さらに慣行として、葬送儀礼のときに、遺子たちが供犠用のスイギュウを提出するが、土地の相続はその提出数の割合に応じて決められるのである。ただし、資金のあるものが一方的にスイギュウを提出することはできない。兄弟姉妹の近親者は、お互いの生活事情を考慮し、不満の出ないように話しあう。  このように伝統的宗教儀礼の慣行は、いまなおトラジャ社会生活に重い意味をもっているのである。

トラジャ農村社会には、おおくの宗教儀礼があるのだが、かれらはそれらをふたつに大別している。東側の儀礼と西側の儀礼である。
東側の儀礼は豊穣儀礼(マブア)、悪霊祓いの儀礼(マロー)、稲作儀礼(アルック・ボボ)、建築儀礼(マンララ・バヌア)などで、神がみ(精霊神、祖先神など)への繁栄祈願、あるいは感謝の儀礼である。西側の儀礼は葬送儀礼である。以上のどちらにも属さず、その境界に位置する祖先供養の儀礼(マネネ)もあるが、基本的には二項対立的と考えて差しつかえない。
東西の儀礼の象徴的ないいかたは、東側の儀礼が「太陽の儀礼」あるいは「上昇する煙」であり、西側の儀礼は「夕日の儀礼」あるいは「下降する煙」である。トラジャ人は宗教儀礼を自然界の現象と結合させた分類思考をもっているのである。
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ガイドを雇った。自分たちだけで行けるのだけれど、こういう儀式とかになるとガイドがいると楽に済むなことが多い。見させてもらう立場として”何を持っていけば良いのか?”(だいたいは煙草や砂糖などらしい)、どこの村で何時から行われるのか?と言ったことは1度目の旅では知ることが出来ないからだ。

案の定、葬式現場には何人かの外国人が居たが、ほとんどがガイド付きのようであった。
マカッサルの同じホテルから3、4組の外国人と一緒に長距離バスでタナ・トラジャにやって来た。私たちの到着した日の前後も何人か外国人が来ていることだろうと考えられるのだけど、タナ・トラジャの街中でも何故かこれらの一緒に来た外国人をよく目にした。このツアーの葬式でもそうだった。同じバスで来た外国人がいたのだ。いかにタナ・トラジャにやって来る外国人が少ないことが分かる。

マレーシアの犠牲祭で牛が生贄に殺され、解体されていく姿を見たが、今回はさらにもの凄い量の豚の殺生を見ることとなってしまった。(お葬式を見に来たのは殺戮を見に来たためではない。念のため。)

今日の葬式は規模は大きいようだ。全部で約100人くらいはいたかと思う。黒い服をまとった人々がコーヒーをすすったり、タバコを吸っておしゃべりをしてる。普通の葬式と何が違うと言ったらやはり暗くないことだろうか。タナ・トラジャの葬式は膨大なお金を掛けて行われる。よっぽど豊かな人でなければ簡単に挙げることはできない。亡くなってからも何ヶ月、何年も葬式を先延ばしにすることが常のようだ。一定期間の猶予期間があるので日本のように暗い雰囲気はあまりない。どちらかと言うと、”安らかに眠れ・・・”とお祭りのような雰囲気なのだ。これはバリ島と似ている気がする。


豚の大量殺戮(笑)が始まった。
足を縛り付けられ身動きできない豚が次々に運ばれてくる。しばらく放置された後、また元の場所に戻され殺される。のどを一気に切って殺す。「ぶひ〜〜」っと可愛そうな声をあげて豚の動きは止まる。なぜかここではお腹を切ってから内臓に手をつっこんで内臓を取り出す。こういう時は血で汚したくないからナイフで処理しそうなもんだが・・・。子供も真っ赤に手を汚して内臓を取り出している。両手とも血まみれだ。

 

それが終ると、次は豚の皮を焼いていく。毛を焼いてこすってしまえば、もう食べれる状態になる。
こんな光景が永遠と繰り返される。何匹ものの豚がこうやって殺されていくのだ。豚は例えば「○○さん家からもらった豚」という具合なのだ。

なんか風変わりな葬式を期待していたが、そう興味深いものでもなかったのが正直な感想だ。動物の殺生(生贄)はここ独特の風習でもないし、殺戮ばかり見るのも気持ち良いものではないからだ。

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●ガルンガン&ニュピ −バリ島− (インドネシア)

今年はとても珍しく、ガルンガンとニュピの日が重なった。

ガルンガンとは、ウク歴で210日に一度回ってくる祭りの日だ。これはバリでいう日本のお盆みたいなものだ。先祖の霊を呼び戻し祝い、10日後のクニンガンという日に元の世界に戻してあげる。ベンジョールという竹でできた飾りものを1家に1台用意し、内寺(※)には華やかな飾り付けをし、夜は一晩中明かりを灯す。

※伝統的な多くの家には、敷地内に家族のお寺が設置されている。その他には、村のお寺と皆のお寺もある。

ニュピはサカ暦でいう新年のこと。前日はオゴオゴという巨大な人形を大勢で担ぎ、街を練り歩く。その人形を焼いたあとはニュピの新年で静寂の日となる。外出が一切できなくなり、電気も使えず、食事も作ってはいけない。敬虔な人たちは断食、禁酒を守る。


■ガルンガン

ガルンガンは、前日からお祭りが始まる。といっても大々的にやるのではなく、バリ人は各寺院へ出向き祈りを捧げたり、料理をしたりするようだ。
ガルンガン当日は友人のスーさんの家にお邪魔しに行った。借りていたバイクでウブドからボンカサ村までの道を行く。途中、ビンタンという大きいデパートに寄った。店員のほとんどが(特に女性)正装をしている。レジ打ちもパン屋さんも皆、綺麗に着飾っているのは少し奇妙だ。
それにしてもバリ人女性の正装姿は艶っぽく色っぽい。黒く艶のある髪と、色とりどりのサルン。男性も、普段着を着ているより数段格好良く見える。

まずは昼間に私たちも正装をし、寺院へ見物に出掛けた。ボンカサ村では最大の寺院だ。(大きい祭りでない限りはこの寺院は使われない。小さいお祭りは各バンジャール(村をさらに細かく分けた)ごとにそれぞれの小さい寺院で行われる。)昼は特別何も行われていないが、人々が準備をしたりお店を開いていたりしている。

夜の寺院は人で溢れていた。私はこのボンカサ村を何度も訪れているが「こんなに大きい村だったんだ!」と知らされてしまった。人、人、人でいっぱい。寺院は相当大きいが、全員が入りきれないので、それぞれ祈る順番を待って外で待機している。
スーさんの弟であるアノンさんにボンカサ村の人口を聞いてみた。「う〜ん、300人くらいかな・・・。」「へ〜・・・。」って、少なくないか??突っ込みこそ入れなかったが、(ご存知の通り、数字の日本語読みは特殊だ。アノンさんもよく桁を間違える。)たぶん3000人の間違いではないかと想像できる。ざっと周りを見回しただけで何百人といるのだ。
正座をし、おでこの前で手を合わせて祈る。花や聖水を使って祈る。いつも思うが、綺麗な祈りだ。聖水を飲む時も花の香りをたくさん吸うこととなる。

ボンカサ村のセレモニーの様子。
 

 

子供はガルンガンはクニンガンまで休みだそうだ。羨ましい。(って私たちも休みだけど?)
だから、っていうわけじゃなさそうだが、子供はそれぞれに楽器を片手にバロン踊りを披露する。それを見ていた大人たちは子供にお金を与える。それらはまとめて寺院への寄付へと使われるそうだ。納得。街の中をけだるそうに歩き、ただただ楽器を叩いているようにも見えるが、さすがにバリ人。音感は素晴らしく、遠くから聞こえる音色はとても優雅で綺麗だ。

  練り歩く子供たち。

■ニュピ(前日)

※2005年の新年を迎えてから、マレーシアでイスラム新年、中国新年を向かえ、さらに今回バリ島で4回目の新年!

ガルンガンの3日目は、ニュピの前日と重なる。
ニュピの要(?)となるオゴオゴの人形は、今年はほとんどないと言う。なぜかと理由を尋ねると「ケンカがあったりするからだ。」とのこと。デンパサール、ウブドなどの大きい街では今年から作らないというショッキングなニュースだ。私はいつもニュピの前に日本に帰ることが多く、オゴオゴの作製途中しか見たことがなかったのでショックだ。大きい街ばかりでなく、ボンカサ村でもないと言う。こちらも理由を聞いてみると、「ガルンガンとか今月末に控えているボンカサ村独自の大きいお祭りの準備が忙しいから。」とのこと。も、もしかして、やっぱり面倒だから??

バイクでぷらぷら歩いていたら、プリアタンの大通りで通行止めをくらった。私たちは、鼻息も荒く裏道から何とかその通りに入り込める道を探した。その通りは、ちょうどニュピのセレモニーの真っ只中だった。
セレモニーが行われている通りの正面にあるマユお気に入りのBAKSO(ジャワ式軽食麺)屋さんに入り、食事をしながら見物した。

大きな木の下では老若男女が静かに座っている。また、ガムラン、ワヤン(バリ式影絵)、ダンス、祭祀の祈祷が同時進行で行われている。昔、プリアタンは王宮があったところでもあり、風雅で格調高い厳かな雰囲気を醸し出している。気持ち良い風が軽く吹く中、静かに優雅な時間が過ぎていった。

特別に観光客向けとかそういう目的ではなく、ごく当たり前の日常のこととして行われている。旅行者に見せてお金をもらっても良いくらいのガムランやダンスをして神に捧げるというのは、本当に凄いことだと毎回痛感してしまう。損得勘定などなしに、ただただ神のためにと祈りを捧げ、それを日常にできるバリ人には頭が上がらない気持ちだ。

 

  セレモニー中に見たダンスと祈り中の女性たち。

オゴオゴは傑作だ。ウブドでは、今年はないという噂を聞いた私たちはバイクでオゴオゴ探しに出掛けた。オゴオゴは、買い物ついでに簡単に見つけることができた。ウブドのすぐ隣の村にあったのだ。2体あり、両方ともは妖怪みたいなものでサイズが違う。タバコを吸っていたりサッカーをしていたりと、妙に親近感があったりする。
とても上手に仕上がっていて、足の筋の雰囲気から髪の毛までちゃんと巧妙に作られている。動きも感じられて、ちょうど風が吹くとリアルに動き、まるで生きているかのような印象を与える。う〜ん、上手だ!
(このオゴオゴ以外にも後々にたくさん目にした。それはフランケンだったり、争う2体の妖怪だったりそれは村ごとにテーマは違うようだ。)

夕方からオゴオゴのパレード(練り歩き)が始まるというので、蚊と戦いながらその場で待機した。子供〜青年が顔を黄色のペンキで塗りたくって準備をしてる。その中から全身真っ白な人が出てきた。何かと思うと、回りの歓声に囲まれ、すぐに姿が見えなくなった。なぜか分からないが妙に盛り上がっている。しばらくすると逆に静かになり、?と思っていると、泣く声が聞こえてきた。聞こえてきた話によると、男性がトランス状態にあるらしい。例の白い人だ。白い人と友人らしき人が抱き合っている。
ニュピの詳細については知らないが、ここでも司祭によってトランス状態に持っていかされ、神と対話しているのだろうか。いつもながら未知の世界だが、好奇心ばかりが先を行く。

パレードが始まり、私たちは退散した。これから村の通りを一通り歩き、それからオゴオゴたちを燃やして浄化していくのだろう。
(※ニュピ前日は悪霊を呼び覚ますためにオゴオゴのパレードをしたり、爆竹を鳴らしたり、わざと大きく派手に音を出したりする。または食べ物を与える。ニュピ当日は目覚めた悪霊たちが街を彷徨い歩く。だからニュピは外出をしてはいけない。その後、悪霊は浄化されていくらしい。)

街はいつになくひっそりしている。レストランの半分くらいがCLOSEしていて食べるところを探すのもやっとだ。地元のワルン(食堂)はほとんど閉まっていて、ホテル直営などの高めのレストランだけが開いている。何時間後にはもうニュピ(静寂の日)が始まるのだ。

  顔を黄色に塗った男の子。

 

  こうして街を練り歩く。

 

■静寂の日(ニュピ当日)

ウブドはもともと静かだけれど、今日は本当にひっそりとしている。
車の喧騒がない。あるのは同じホテル内の人の声、隣の家の子供の声。泊まっているホテルはMonkey forest ST.(ウブドのメイン通り)から少し中に入ったところにある。ホテルのスタッフによると、目の前の小さい通りさえ出てはいけないと言う。でも実際は多少の覗き見くらいは許されるようだ。近所のバリ人でさえもウロウロしている様子だ。
タカが大通りまで出てみた。とっても静かでただ犬がたくさんたむろしていて逆に怖かったと言っていた。犬にとっては年に1回の”我がもの顔をできる日”なんだろう。

ニュピは本来どんなものであるか、ちゃんと知識は持ち合わせていないが、今回初めて参加してみて、その”裏”みたいなことも知れて楽しかった。
「何もしない日」(静寂の日) は昔、断食をする日と聞いていたが、全くそんなことはなかった。ただ料理はしてはいけないようだ。この日はチマキ(クトゥ・パット)みたいなご飯、日本でいうところのおせち料理(保存食)を用意して食べる。テレビは見ても良いし、単に”外に出てはいけない”という程度で、”気が付いたら外にも出なかった休日”と同レベルのようだ。
また、お酒も飲んではいけないが、ホテルのスタッフは飲んでいた。それはあるバリ人にしたら決してあってはならないことのそうだ。ニュピの前日だけは例外で、当日よく寝れるように朝方までたっぷりお酒を飲む人は多いらしいが。

夜になると静かさは倍増する。
普段ウブドでは見れないたくさんの星を見ることができるし、ホタルも見えた。(ウブドでホタルは川沿いの田舎町まで行かないと見れない。)これも電気を使っていないからこそのことだ。
電気のスイッチはもちろん付くのだけれど、ただ押してはならぬ、という複雑な気分だ。インドネシアでは停電があったり、電気さえ通っていない地域も旅したので余計だ。基本は蝋燭で、しかも明るくし過ぎると警察がやって来ると、スタッフに注意されるほどだ。
だけれど隣家では小さいライトがついていたり、テレビの光が洩れていたりした・・・。やっぱりバリ人のさぼり組は多いようだ・・・(笑)。

 ニュピの日の人気のない道路。

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