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タイ ・・・・・・・ ■バンコク ■タイ(食事) ■サムイ島 

タイ(バンコク)

人生や今の時間はたった今だけ。今は戻らないし、同じことも二度と経験できない。山を降りて振り返ったら、そこは海かもしれないし(笑)。
タイでは多くの事を学んだ。タイでは多くの友と知り合うこともできた。旅に出てからは、日本での地元の友達との付き合いは疎遠となっている。しかし、代わりに旅で出会った新しい友人たちを得ることができた。時の必然か偶然からかは分からないが、素晴らしい出会いは自分の心と相手の心がちょうどいいタイミングにある時に、より多く起こる。
クラブが大好きな私にとって、バンコクは素晴らしい街だった。今は夜の早い時間に閉まってしまう事が悲しい。きっとどこかで朝まで開いているクラブもあるのだろうが、場所は知らない。
タイ式の大きなDISCOよりも、ちゃんと踊るスペースのある場所が好きだ。もしくは、バー形式の。テクノやゴアサイケトランスが好きな私は、夜な夜なクラブに通った。バンコクにいる時は毎日通った。
とにかく踊って汗を流し、音楽に身を任せるのは心地よい。不思議と、それだけでいろんな国籍の友人もできる。
最後の頃はスクンビットにある Narcissus などに通っていた。いろんな意味で酔っている客も多かった。クラブとは別に、女の友達と共に、男がひな壇に座っているようなバーに行ったり、非日常のようないろいろな場所で楽しんだ。
夕方に起き出して、WTCにある紀伊国屋書店でビニールを破って雑誌を読んだりした(すみません)。WTCでは意味もなく歩いたりした。日本より早い時期に上映する洋画を楽しんだ。タイ映画も見たがヒットしていたものだけだ。だが、実際は昼間の多くの時間に本を読んでいた。街が暗くなり出し、ようやく一大イベントとなる食事、そして夜を待つ。こんな生活はどこでも同じだが、酒を飲み、そして踊る。踊る。踊る。
ラチャダーやプラディパット、スクンビット、RCA、シーロム、その他近辺にある踊る場所はあちこち行った。知り合った学生や多くのタイ人と遊べたのは素晴らしい思い出、私の大切な一部だ。

クラブで遊び始める以前にも、バンコクはしばしば訪れていた。ただし、航空券の購入や中継地としての利用だけが目的だった。カオサンやチャイナタウン等に泊まったが、初めはチャイナタウンにあったジュライホテルに泊まることが多かった。しばらくしてカオサンロード近くにあったタイゲストハウスに泊まるようになったが、どちらも今はなくなってしまった。
ジュライホテルは安い値段で(汚いながらも)広いスペースがあり、夜にあちこち出かけるにもとても便利な場所だった。多くの日本人もいたけれど、私は余り関わっていない。タイゲストハウスは、快適な宿だった。部屋はどの部屋も狭かったが、話しやすい客層と居心地の良い共有スペースがあったために部屋にいる必要はなかった。そういったこともあり、タイゲストハウスでも特に狭い部屋がお気に入りだった。お気に入りの部屋は、階段の上の1畳(ベッドの他は、バッグを置くスペースくらいだけ)程の窓のある部屋だった(32番とか、そんな番号だったかな)。他にも日本人の常宿はあったが、そんな訳でタイゲストハウスに泊まっていた。
ムエタイをする人、居続ける人、たびたび寄る人、こういう場所は再会を作る。再会は嬉しいし、日常にちょっとした彩りを与えてくれる。一緒に酒を飲み、街に繰り出し、楽しむ。友達を作るのが容易な環境とは不思議だ。日本にも世界にも、自分に合う場所ならどこでも良い。その時に、自分がいたい場所がそこだったからそこにいたのだろう。

タイとの出会い

カルカッタで会った旅行者に、バンコクで会う約束をした事があった。彼とはカルカッタのサダルストリートの旅行代理店で出会い、偶然に部屋をシェアする事になった。その時、私は全米オープンテニスを見る為にサダルでは良い部類のリットンホテルに泊まっていた。普段は安宿に泊まる私だが、偶然にそういうホテルに泊まっていたのだ。彼は10代の旅行者がそういうところに泊まっているのを珍しく思ったらしい。
約束どおり Soi Ngum Du Puri のカンチャナトラベルで待ち合わせ、彼のいろいろなタイの友人と遊んだ。これが本当の意味でのタイとの初めての出会いだった。鍼灸士で横浜で開業した彼は、今でも旅を続けている。韓国語やタイ語、ヒンディー語など言葉の勉強が趣味のようで、独学でいろんな言葉を覚え続けている。40を越えたが情熱を持ち続け、好奇心が衰えない彼を羨ましくも思う。貿易業を営む方や、本屋さん、その他いろんな方を紹介して頂き、ありがとうございます。

突然兄がバンコクに・・・

タイゲストハウスで、とても落ち込んだ旅行者に出会った。ビアシンをおごり、一緒に飲みながら話をした。スラータニで全財産を失くしたとのことでかなり落ち込んでいた。風呂場に貴重品袋を忘れ、すぐに戻ったが既になくなっていたとの事だった。あいにくと全額を現金で持ち歩いていたらしく、TCでなかった事が悔やまれるが過去には戻れない。彼は大使館でアドバイスをもらい、親から送金してもらった。毎日朝早く起き、ムエタイで身体を動かし、夜は一緒に酒を飲み、睡眠薬を飲んで寝た。ストイックな彼はクリスマスに帰国し、再度の旅を目指した。1年後に旅立った彼は、夜に遊ぶ場所が多いサムイ島やハジャイでも毎日早起きし、通りをジョギングしていたらしい。帰国後にいつのまにかプッシャーになった彼も、気疲れからすぐにアルバイト生活に戻った。

タイの良さを兄に説明した。アメリカ留学後しばらくして、シンガポールで働いていた兄だったが、それが理由かしばらくしてバンコクに転職していた。その決断と実行の早さには驚かされる。
とあるフリーコピー誌の編集をしていたが、部屋に泊めてもらったり一緒に飲みに行ったりと、バンコクに寄る度に貴重な時間を持てた。
兄は数年後に帰国し、関連した仕事を日本でも続けている。彼の生き方は自分とは違っている。良し悪しではなく、兄弟でも人生はかなり違う。だからこそ面白いし、兄がどう思っているか分からないが、兄に対して愛を持てる。

サムイ島で知り合った友人が、タイにはまりバンコクに住み始めた。一人は真剣にタイ語を勉強し始め、しばらくすると新聞まで読めるようになっていた。初めにタイ語を教えたのは私だったが、私はそこまでタイ語が得意ではないので羨ましいし、同時に自分もいずれは勉強するぞと思った。実際に私のタイ語は中途半端だ。ある程度の日常会話はできるが、難しい話はできないし、文字の読み書きはほんの少しだけ。文字を勉強をした事もあったが、日本にいるうちにほとんど忘れてしまった。彼はその後、自衛隊で働き始め今も真面目に働いている。若いうちにタイで数年過ごし、その後に真面目に働くというのも、それが続けられるならばある意味で理想と感じる。学校卒業後にすぐに働き始めるのではなく、したい事をしてからというのがいい。今でも良い友人だ。

中野で知り合った方が、サムイでレストランを開くと言って、仕入れ先等の調査にバンコクに滞在していた事があった。調査と共に、タイ語の勉強もしていた。ぱっと見、凄く真面目な方だが面白い。そういうギャップは、刺激的で印象的だ。外見通り、つまり、外見を見て全てを判断する、そんな事はありえない。だが、予想の範囲内にいないと分かった時、再び新しい出会いがある。今でももう1人の友人と共にサムイ島のチャウエンビーチで日本食レストラン大和を開いている。開店までに数年の紆余曲折があったが頑張って欲しい。

バンコクでは幾度も渋滞も味わったが、かなり凄かった。全く動かないというのは、どういうものか。渋滞の時間を避ける為に、行動にも制約が掛かる。そんな経験はバンコクでしかない。危険なので夜は出歩けないというのなら良くあるが。
特に雨の降った夕暮れは、30分待っても次の交差点にすら行けない。今にすれば良い思い出だし、おかげでドブ川のような水路の船に乗ることも覚えた。駅からバンランプーや、ペッブリー、いろいろな場所に行けるが、汚い水が掛かることもある。そんな愛嬌もいい。

そう、日本で就業中に、タイに転職するために活動をしたことがある。バンコク、いや、タイで生活したい思いに駆られての事だった。採用が決まった会社もあったが、ある会社の社長の一言で、自分が見つめなかった真実に気づかされた。
なぜタイを好きだと思ったのか。多くの理由があるが、その1つの真実はコスト。お金があれば、どこでも、同じような生活はできる。日本でも六本木や渋谷、新宿、横浜、楽しい時間を継続、さいこう!マイペンライ、多くの快楽がそこにはある。だが、コスト対効果の概念は常に自分の考えの基本にある。コスト対効果で好きになる事も、重要な1つの理由だが、心から文化を愛するのとは違う。日本を好きだ。タイも好きだ。どう違うか、自分の心の奥にある答えを、簡単に書く事ができない。

taka

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ミニコラム

有名な安宿
集中エリア


1)カオサン通り
カオサン通りは何でもあって便利、快適に過ごせる。但し、バスで夜遊びに行くのには不便。雰囲気もタイというよりは、無国籍な感じ。数年前からはタイの学生も多く訪れるようになり、日本の六本木みたいな感じ?
最近は余り行っていないけど、今回の旅ではお世話になる予定。
西バスターミナルや死体博物館、ワットに近いことなども良い点なのかな。


2)駅周辺
チャイナタウンも含め、カオサン通りほどではないが安宿がある。駅に近い事もあって、街のあちこちへ直通で行けるバスが出ている。
T.T.やジュライ、スリクルンにはよくお世話になりました。カオサンに比べると旅行者は圧倒的に少ないので、タイにいるという感じられる。


3)Soi Ngam Du Puri周辺
KanjanaTravelがあり、よく行っていた。バンコクで航空券を買わなくなってからは、足が遠のいてしまった。特に何が便利ということもないけれど、それなりに安宿や旅行代理店をはじめ揃っている。
その他の便利な
ホテルエリア


1)スクンビット
快適に過ごせる中級ホテルが多く、遊びに行くのにも買い物に行くのにも便利。高速道路に近いエリアならば、街を出るのにも時間がかからない。
歓楽街やクラブなども充実していて、短期の旅行にはお勧めのエリア。

2)プラトゥーナム周辺
黒人が多く泊まるエリアも含むが、中級ホテルが多い。市場も近く、まさにバンコクの活気ある街中にいる感じ。何でも安く買います。屋台も多く、おいしくて安いご飯がいくらでもあるのがうれしい。
為替レートの良い両替屋があるのもありがたい。
WTCなどにも近く、普通にショッピングも楽しめる。
歓楽街
1)パッポン
2)ナナ
3)ソイカウボーイ
4)サパンクワイ
5)チャイナタウン(?)
6)スチサン(?)
クラブ
1)スクンビット
2)ラチャダーピーセク
3)シーロム
4)ラチャダムリ
5)RCA
6)カオサン

タイ(食事)

お勧めとしては、有名だが「空芯菜の炒め料理(パックブン(グ)・ファイデーン)」。おつまみとしてよく食べた。お粥(カオ・トム)も食べやすい。卵やにんにくを入れてもらって食べるのが好きだ。酒を飲んで夕方に起き出した後に食べるのが好きだ。
屋台などでよく見るタイの麺類(バーンミー、クイッティアオ等)もおいしい。麺はどこも同じようだが、汁がお店によって全く違う。色も味も違うので、お気に入りの味が見つかった時は嬉しい。日本で「行列のできるラーメン屋」等をTVでやっている時があるが、全く興味がわかない。だが、タイでの思いを込めて見れば楽しめるのかな。

バンコクにいる時は、コンビニにあるホットドッグを毎日のように食べた。タイ方式では、野菜や調味料を自分選んで自由に盛り付ける事ができる。つまり野菜が取り放題で、少ない食費で栄養のバランスを取るのにもってこいと思われたからだ。
現在ではどこのコンビニにもあるが、10年ほど前はあまり無かったように思う。カオサンの西にあるチャクラポン通りのお寺の南に小さいコンビニがあり、毎日のように通った。16Bくらいだった。ともかく野菜もたくさん取り、マスタードやケチャップ、マヨネーズ、チリソース等あるものは全てかける。余りにかけるので近くにいたファランに「クレイジードッグ」と言われた事もある。ホットドッグに限らず何かをかけるのが好きだ。ソースも、醤油も、何でもかける。
タイにいる時は、どこに行ってもテーブルに調味料(ナンプラー、ナムターン、プリック、ナムソム・プリック・ボッ等)があるので嬉々としてかける。

焼き卵を売るタイ人がよく歩いていた。見ると声をかけてよく買っていた。シンプルにおいしい。勉強を始めたタイ語を、初めて試したのが焼き卵を売るタイ人だった。10Bで買って卵3コだったような気がする。1つ食べて「アロイ(おいしい)」と言っただけだが、いろいろと話しかけてきてくれ、更に勉強する気になった。

焼き卵で思い出したが、焼きバナナは余り好きではない。これって、私のイメージの問題なのかもしれないが、やはり生のバナナの皮を剥いてそのまま甘さを味わいたい。
フルーツ屋台ではだいたいパイナップルを食べる。発音も札幌に近いし、何だか面白い。セマクテ(狭くて)=ふらふら来て後ろから蹴飛ばす、チンチン(jin-jin)=本当、キーレー(綺麗)=不細工、コーヒー・・・ちょっと書けない。こういう言葉はどこの国に行ってもたくさんあって面白い。

焼き鳥のように串にさした豚肉とカオニアオ、それにキャベツがついてくる食べ物もよく買った。
基本的に夜の散策や徘徊(?)中に食べる事が多かった。お酒も飲んでいるのでおつまみになるようなものが自然と多くなる。しばらくたって、これらをバンコクで食べようとすると外国人料金のようなものがでてきていたりしたので、それ以降は人の集まるところでは買う気がなくなってしまった。でも味はとても好きだ。

ソムタムは魚介類が好きでない私だが、カニが入っているのも含めてよく食べた。バーに行けば食べるかと進められるし、知り合いの田舎に泊まった際にはそういう料理しかなかったりと、必然的にだ。ヘルシー料理で、食べても太らないし、私には向いている気がする。毎日、こういう料理ばかり食べていると辛いのに慣れるし、好きになります。辛くないとおいしくない気がすると言うか。おかげで会社の机の引き出しには、一味唐辛子やチリソース、ちょっと違うけど、からし、わさびが常備されることになった。

自分で捕まえた昆虫を食べるのはちょっと・・・

田舎で酒を飲むおつまみに、村人たちと昆虫を取りに行った。バッタのようだったが、種類はよく分からない。夜にライトを持っていくと虫が集まってくる。それを、どんどんペットボトルに押し込んでいくのだ。捕まえるのは楽しく、私も夢中になった。
酒を飲みながら、捕まえた昆虫の内臓をとって揚げたものをおつまみとして食べる。どうも植物以外で姿かたちが分かるものは苦手なものが多い。鶏肉にしろ骨付きは好きではないし、昆虫ではなおさらだった。味はカリカリとして、問題なかったのだが、どうも量が進まない。食べないのも失礼と思い食べ進んだのだが、強い酒がどんどん回ってきて、口に酒以外のものを入れたかったというのもある。輪になって座り、1つのグラスを回す。皆、1杯ずつ飲んで次に回していたのでどんどん飲まないわけにもいかない。余りおいしいと感じなかったが、木片を入れて香りを付けているお酒だった。ラオカーオの安いやつかどうかもしれないが、聞いた事はない。

私は好きになったものを食べ続ける性格だ。日本では機会があればカレーを食べているし、大学の食堂ではカレー(またはカツカレー)以外は、3回(カツ丼)しか食べたことがなかった。タイでも同様で、コ(島)・サムイのラマイビーチ滞在時に半年以上にもわたって鶏肉チャーハン目玉焼付(カオ・パット・ガイ・カイダーオ)を食べ続けた事がある。さすがに毎日行くので、初めの頃は他のものも食べろと勧められたが、そのうちに、注文せずとも大盛りで出てくるようになった。今でも、その店に行くと「カオ・パット・ガイ・カイダーオ」と挨拶される。おいしかったし、量や具のわりに安かった(25B)し、開店時間(夕方から早朝まで)が私に向いていた。

タイのお酒

以前は、ビールと言えばビア・シンやビア・チャーン、クロスター等だったが、最近は種類も増えてきた。私は余りビールを飲む方ではないけれど、いつもビア・シンを注文する。日本で飲むとそれほどではないが、タイでは何だかおいしい。ただ、ビールは他のお酒に比べて高い。ワインクーラーも最近は種類が増えているが、以前からある昔ながらのワインクーラークラブ(白)が好きだ。タイ人はビールに氷を入れて飲むが、暑いタイではその飲み方は意外と良いと思う。
滞在時にもっともよく飲んでいたのは、サン・チップ(sang thip)だ。メコン(mekong)というもう少し安い選択肢もあったが、味と余り大きな差とも思われないが翌日に起きた時への違いから選んだ。ソーダやコーラで割って飲む。そうすると余り味は関係なくなってしまうのだが、タイのバーではこうやって飲む事も多くてそうなった。まぁ、味がおいしくないのでそういう飲み方になったのかな。
お金を節約しなくてはならないので1日小瓶の半分までと決めて飲んだ。350mlの半分なので、それなりに気持ちよくなる。その上でクラブに出かけ、カクテル等を飲めばかなり気持ちよい。

taka

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ミニコラム

有名な料理
1)トムヤムクン
2)タイスキ
3)ヤムウンセン

私は普通(?)のご飯の方が好きだ。例えば、カオパットやご飯もの、クイッティアオや麺類。せっかちな質なので、待たずに出てくるところなども含めて好きなのかもしれない。

そう考えるとタイ料理が特別好きではないのかもしれないが、食べ続けることができる。日本食もお寿司や魚介類などあまり好きではないので、それと同じかもしれない。
パクチーの香り
好きでない日本人が多いらしい。
「マイ・サイ・パクチー(パクチー入れないで)」と言うと、パクチーを入れないでくれるので、言ってみると良い。ちなみに、私は甘ったるいアイスコーヒーが好きでなはいので、「マイ・サイ・ナムタン(砂糖抜きで)」と言って注文している。
辛い料理
タイ料理というと辛い料理を思い浮かべる人も多いと思う。
当たり前だが実際には、辛いものばかりではないし、バンコクの若者などは日本人と比べても特別辛いものを食べているわけでもない。

テーブルの上にある調味料で、好みの辛さにできるが、お皿が出てきた状態で「食べられないくらい辛い」料理は少ない。

但し、イサーンなどの田舎ではソムタムに代表されるような比較的辛い料理が多く、少ないおかずでご飯をたくさん食べると言う生活の知恵があるのかもしれない。

ところで、日本の辛い食べものってなんだろう?

タイ(コ・サムイ)

踊ることを学んだ。悩むことを学んだ。遊ぶことを学んだ。くさいようだが、自分にとっての青春とはコ・サムイだった(1995)。
サムイへは、バンコクで知り合った自称AVの仕事にしている方に誘われてだった。バスに揺られナ・トンに着き、彼とはそこで別れた。彼はメナム・ビーチに向かった。私は目的はなかったが、より人のいるビーチに行きたかった。ガイドブックは持っていなかったけれど、彼からメナム・ビーチには何もないらしいと聞いていたのだ。

ソンテウ(乗り合いバス。どこまで行っても最大20Bだったが、最近は値上がりしたようだ。最近はそれだけでなく外国人料金も勝手に作っている。)に乗り込み、終点がチャウエンビーチだった。北端にあるムーン・バンガロー(1泊100B)に宿を定め、まずはあちこち歩きまわった。これが、その後合計で2年以上も滞在することとなるコ・サムイのスタートだった。

サムイのクラブ

グリーン・マンゴー、レゲエ・パブ、サンタ・フェ、ドアーズと言ったところが、主なクラブでどこも入場料はない。サンタ・フェは夜中の3〜4時頃から盛り上がるクラブで、怪しい雰囲気や早いテクノ等の音で最高にイカレタ場所だった。怪しげな目をしたやつらも多かったが、ここではたくさんの友達に出会った。ドアーズも同様に深夜に盛り上がるハコだった。匂いが漂うスペースで、踊る客よりもまったりする客が中心だ。私は主にサンタ・フェに通ったのだが、今はどちらもなくなってしまった。なくなった時はかなりショックだったが、コ・サムイではいろいろなクラブができては潰れる。これもしょうがない事だった。ちなみに、レゲエ・パブは火事('93頃)になって場所が移ったが、今でも続いている息の長いクラブだ。必ず最後の1曲はレゲエで終わるが、それ以外はレゲエとは関係ないようだけれど(笑)。
そういえば1度、グリーン・マンゴーでステージの下にあるトイレの天井を壊してしまった。サンダルがステージの下に入り込んで、取るためにもぐりこんだのだが簡単な作りで、とても人の重さを耐える作りではなかったのだ。従業員がかなり怒っていたけれど、一緒に行った友人がボスと知り合いだったようで助かった。もっと冷静でいないとまずいと実感したできごとだった。

ラマイでは、バウハウス、ミックス・クラブと、小さいがスペース・クラブがある。バウハウスの音はオールジャンルで、好みでない曲も掛かるが雰囲気は良かった。ミックス・クラブの従業員はいつも目が赤く、ちょっとまずい感じだった。しかし、問題が起こるでもなく、それなりに居心地が良かった。スペース・クラブはテクノやゴアが掛かっていることが多かった。ミックス・クラブがあった場所にはその後に何回かクラブが建てかえられている。今ではきれいなハコになっている。それとラマイで印象的だったのは、ラマイを少し出た山の側面にあったバー街と一番上にあったクラブだ。これも街から遠いということで当初しか人が集まらずに1年ほどで潰れてしまったが、ロケーションは最高だった。高いフロアから見渡す海やラマイの街もきれいだったのに・・・(ここもタイ人用のクラブが潰れて、建てかえられてできたオープン・クラブだった)。

クラブではないが、チョーン・モン・ビーチやコ・ソム(オレンジ・アイランド)でもよくパーティがあった。ブラックムーンのハシリは、パンガンではなくコ・ソムだったと思う。船で行かなくてはならなかったけれど、なかなか良かった!
タイでも、カンチャナブリとか島に限らずパーティがある。2004末もクラビでのパーティが気になっているんだけど・・・。JORGがDJするみたいだし。

お気に入りのラマイ・セントラル

チャウエンやラマイでは、100〜150Bで泊まれるバンガローが急激に減っている。私のお勧めはラマイ・ビーチのラマイ・セントラルだ。バンガローではなく、長屋形式のホテルだ。値段の割りにきれいで、多くのタイ人や長期滞在者が泊まっている。他にもこういった形式のホテルはあるが、昔からずっと続いているため、繰り返し訪れる客が多く、滞在者の個性が面白い。
中にはドラッグで捕まる白人や、騒々しい滞在者もいるため、気分を害する事もあるかもしれないが、それもラマイ滞在の楽しみの1つと思えば問題ない。何せロケーションが良い。クラブは目の前(塀があるので、音はそれほどうるさくない)、ビーチまでも歩いて1分程度、両替所やスーパー、その他必要なものは全て身近で手に入る。日本でこういうシチュエーションで生活するには、かなりコストがかかるだろう。そういった事を含めて、私はここを勧める。
ラマイ・セントラルには部屋の種類が多い。徐々に部屋を増築していったためだが、値段にあわせて選べる。以前はTVもなかったが、今は良い部屋では衛星放送も入り、だんだんとホテルらしくなてきた。中央の庭を囲むように様々な部屋があり、庭では皆がくつろいでいる。庭でのんびりと麻雀をしたり、バトミントンをしたりもした。ソンクラーンで、麻雀の板ごと濡らされたことがあったが認識不足だった(笑)。
ラマイには街中に多くの長屋がある、印象的なのは屋台が集まる付近の長屋(名前は知らない)とラッキーハウスだ。屋台近くの長屋は便利な場所から考えてかなり安い。1月で1000B程だった。しかも、日本人男性がしばらく泊まっていた。そんなに節約をしないでも良いと感じたが、女性のような独特の仕草と独特のトークを持っていた。これからは、中国の時代だとずっと言っていたが、確かに今その時がやってきたのかもしれない。彼は海南島で仕事を始めたいと言っていたが、タイで結婚して生活を始めている。配膳などでお金を貯めて、美容室なども開いたらしい。ラッキーハウスは比較的きれいだが、そこで起こる出来事が興味深い。そこにしばらく住んでみるのも面白いと思う。

バー・ビアと呼ばれる小さなバーが、ビーチにはたくさんある。それらのうちのいくつかも、私好みの速くてグニャグニャした音楽をかけていた。不思議とゲイの働くお店だったりした。よく分からないけど、そういうこともあって、彼らとは仲良くなった。
バーに毎日通い、酔っ払い、店先やカウンターで踊る。そして夜も更けてくると、クラブに繰り出す。こんな生活をずっと続けた。
そんな遊びだけを考えた生活を繰り返すと、回りの反応も変わってくる。「こいつは面白い(アホな?)奴だ」そう思われると、皆と更に楽しめる。そういった生活にはまり、今までの考えが大きく瓦解する部分もあった。

出会い/フルムーンパーティ

そもそも私は、ここサムイを訪れるまで、日本でディスコやクラブやと呼ばれる場所に行った事はなかった。余り興味がなかったと言って間違いない。サムイでもバーでお酒を飲んだり、クラブでもせいぜいがカウンターで飲むくらいだった。その生活を1ヶ月ほど続け、ある夜にバイクで通りかかった日本人に声を掛けた。毎日通っているそのバーは、あまり流行っている訳ではない。それで、日本人に声を掛けて客を増やせと言うことになったのだ。
実際のところ、日本人は余り日本人に声を掛けられるのを好まないことが多い。稀に会う地域であればそんな事もないけれども。その頃サムイでは(当時は夏や年末年始、GWには日本人を良く見かけるがそれ以外は余りいなかった)ちょうど日本人を見かけることが少なくなっていた。彼はバイクを停め、ガソリンを入れられる場所について尋ねてきた。隣の店でガソリンを売っていたので「まずは飲もう」と言うことで閉店まで話をした。

そのまま彼を見かけることもなく1ヶ月が過ぎた。そして、彼が再びバーに現れ言った「いやぁ〜、やっぱりまだいましたね」頭を掻きながらだった。それからいろいろ話をして仲良くなった。彼はあちこち回ってインドに行き、アフリカに行くつもりだったが何故かタイに戻ってきて長期滞在しているとの事だった。
彼が泊まっているラマイビーチに宿を移し、一緒に酒を飲む生活が始まった。彼は英語が苦手だった。オーストラリアにワーホリで行った事もあり、現地で仕事をしていた事もあったようなのでちょっと意外だった。だが、周りには多くの変わった友達がいて、ジェスチャーで会話を成立させていた。身振り手振りだけで、仏陀について話をする彼の姿はとても印象的だった。
彼とビリヤードをしていると、完全に酔っ払ったタイ人や外人が近づいてきたりした。その中にバウハウスで毎晩見かけるグループがいた。もともとはバーで働いていたが、今は働くのを辞めた集まりだった。私には彼女らの行動はかなり刺激的だった。オーストラリアの彼氏から仕送りを受け生活している女性、レズのスイス人に惚れられている女性、一般に言うところのおかま、ゲイ、フリーで男を捜す女性、私の日常には存在していない人種だった。
スイス人に惚れられているコは、私たちよりもずっとお金を持っていた。スイス人が金持ちで、毎週2万Bも渡していたのだ。スイス人は親の持つ牧場を幾つかとその他財産を継いだらしかった。スイス人はバーを出そうかという話を友人がしていると、お金出してやろうか、という位に余裕があるようだった。
そのコが毎晩、タクシーをチャーターし、チャウエンビーチのサンタ・フェに通い始めるようになった。踊る人の周りで人垣を作るうちの一人の私だったが、ある時回りに押され身体を動かし始めた。シャイな私は踊りたかったが、踊ったことのない自分が、おそらくへたくそな踊りをするであろう事が恥ずかしくて回りで見ていたのだ。完全に酔っ払っている状態で、気持ちの良い音と光を始めて味わった。朝まで踊り続けた。それ以来ずっと、私の趣味は躍ることになった。

彼女らと毎月フルムーンパーティに行った。行く途中の船から、イカレタ人やいろいろな人と出会い、現地でも朝まで踊り、笑った。
パンガンには、しばらく滞在したりサムイに戻ったりと繰り返したがフルムーンには必ずいた。当時は警察もいなくて、ケミカルなどにはまっている人も多かった。私はもっぱら酒に溺れて(?)いたが、朝まで昼間でそして更に夜までも踊り続けるそのパーティは「さいこう」だった。不思議と日本人の友達はできなかったが、タイ人、オーストラリア人やヨーロッパの人たちとは毎回顔を会わせ、一緒に楽しんだ。新しい1日の為に昇ってきてくれる太陽が現れる時の喜びや、それを正面に眺めながら太陽に捧げる踊りができるのは歓喜以外のなにものでもない。
多くの楽しい出来事とともに、多くの喧嘩も怒っていた。お酒があり大騒ぎがある、ビール瓶で殴られたり、刺されたような西洋人を何人も見た。日本人で喧嘩による怪我をした人を見たことがないが、気の荒い西洋人たちと喧嘩になるほど言葉が通じない人が多いからかもしれない。
その後、日本でも六本木の GEOID や VITAMIN Q、そして野外パーティといろんなパーティに行ったが、全てはここからはじまった。日本でも様々なパーティがあるが、最近は小さなパーティや知り合いのパーティに多く通っている。やはり、雰囲気が重要だし、自分の気持ちをあげるのには、そういったパーティが1番良い。あと、GLOBAL DAT MAFIA のパーティは最高。最近は参加者も増えたが前と変わらない雰囲気も残し、また、おかしくて楽しい音も最高だ。
そんな生活を半年ほど続けた。そして、クリスマスにゴアに向かった。

滞在中には今でも友達として付き合っている多くの友人と出会った。
サクラバーで昼間から飲んでいると、日本語を話すタイ人女性が道に迷っていた大学生二人組を連れて来た。彼らはかなりのトラブルメーカーだった。ある日、日本人女性をナンパしたが、インドネシア人とつきあっていた。そのインドネシア人が因縁を付けてくる等してもめた。その後、再びひょんなばしょでインドネシア人と出会ったらしいのだが、インドネシア人は売人だったのだ。
いろいろもめたあげくに奥の部屋でインドネシア人が銃を持ち出してきたらしい。一人はそれを見て、部屋を駆け出てバイクに乗り逃走した。置いていかれた一人は、走ってフアタノンの夜の街中に逃げた。インドネシア人は先に逃げたバイクを追いかけた。彼は必死になって逃げたらしい。私たちに出会い、一人が残っている事を告げた。
私たちは危険を感じたが、そこにいた皆でバイクに乗り、ラマイビーチからフアタノンをゆっくりと彼の名前を呼びながら目指した。3度目の往復時に彼は茂みの中から道に現れた。足は血だらけだし、服も汚れていた。私たちやその他のバイク、そして車などが通り過ぎる際に、道から山側の茂みや海側の斜面に飛び込んでいたらしい。何とか自分で数キロの道のりを歩いて帰ろうとしていたのだ。彼をバイクに乗せ、ビーチに戻った。警察も現れ、何故か日本のヤクザも現れたがラマイの実力者らしい人物が、ある程度のお金を払うことで話をまとめた。怖いようで、いろいろ刺激的だった。

その後の話だが、インドネシア人は日本のヤクザの知り合いだったらしい。また、そのヤクザはお金を持って滞在している日本人旅行者に「炭火焼」というレストランをオープンさせていた。その後、その日本人旅行者とは友達になった。彼は私の紹介したラマイ・セントラル(ラマイ・コンプレックス)で’04年で9年目を迎えている。
彼はずっとそこにただ「いる」という生活をしている。お酒の飲まないし、タバコも吸わない。
ラマイ・ビリヤード・クラブと言って、長期滞在者で遊んでいたところ、ビリヤード・クラブを訪ねて来た旅行者もいたらしい(笑)。彼は、最近になってバイクを買ったが、それまでの行動範囲は極めて狭く、ビザを更新に行く時以外はせいぜい100メートルの円内だった。その節約ぶりと彼の生活は、さすがに仙人というか、凄いなと正直思った。何せ、年間30万円(部屋代は10万円くらい)で過ごしていたのだ。部屋代やビザ取得の為のマレーシア往復を考えれば、タイ人と変わらない生活レベルと言えるかも知れない。

サクラバー

サクラバーのオーナーで、サムイダイビングショップも経営するQさんがいる。出会いは電話だった。サクラバーの従業員がバイク事故で逝去し、帰国しているQさんに連絡をしたのだ。サクラバーで毎日飲み、亡くなったコとも遊んでいた私は葬式やその他のもろもろに参加する事となった。しばらくして、Qさんがサムイに戻り、とてつもなくいろいろとお世話になった。信頼できる方で、毎晩一緒に飲んだが、彼の話や考え方にいろいろと学ぶ事が多かった。日本での堅実な生活を捨て旅に出て、旅先でも自分の身体1つで生活している。そういった姿や会話に、寛容だが意志の強い正確が強く出ていた。今でもずっと尊敬している方だ。
*サクラバーは2004クローズしてしまいました。
当時は日本人でサムイに住んで仕事をしている方は少なかったが、今ではかなり増えて数十人いるようだ。ホテルやレストラン、サムイは常に開発されている。その変化は余りにも早い。半年後に訪れると、新しいお店や多くの建物がある。物価や賃料も上昇し、さながらバブルのようだ。数十年契約で土地等をを借りていれば、かなりの利益を上げることができただろう。

ある時、バーで飲んでいると近くで銃声が鳴った事があった。警察がすぐに現れ、捜索にあたっているようだった。私のホテルの方からの銃声だったため、怖くて明るくなるまでバーで飲み続けた。
銃声と言えば、タイ人の集うクラブY2Kでもそういった事があった。長く滞在していると、そういった事も稀にある。決して、サムイが特別に危ない場所と言うわけでないが、普通の日本とは違う。ただ、もしかしたら毎晩のように歌舞伎町で飲んでいたりすれば、いろんな事があるのかもしれない。実際、今はなくなってしまった歌舞伎町の百人町屋台村で会った中には、やくざやチンピラを含めていろんな人がいた。私は聞いただけで、経験はしていないが、いろいろな事があるらしい。
バウハウスの前に、ホットドッグ屋さんがあった。今は場所を移転してしまったが、そこから見る夜の人間模様はドラマのようだった。恋愛模様や酔っ払い、そして、喧嘩、そんな姿をたくさん見られる場所なんて今まで知らなかった。皆、真剣だがどこか浮世離れしている。これは、リアルでなく夢の世界の出来事だったからだろう。
要は、ラマイは天国でもあり地獄だった。そこには全てがあるが、その中には、どろどろとした現実が渦巻いていた。それぞれの登場人物に、それぞれのドラマがあり、私のような軽い人間には想像できないような身の上話が普通に存在していた。親に売られたり、10歳前から1人で生きたりは珍しくもない。麻薬におぼれた家族を養うために、身体を売っている少女すら珍しくない。若くして家を出て、ゲイとなり家に連絡をしていない者もたくさんいる。そこで楽しんでいる自分は地獄で楽しむ悪魔のようだ。だが、その誘惑も捨てがたい。そうした場所「ラマイ」に、私は沈没、はまってしまったのだ。

外見は女性のようだが、日本人が見ればすぐにゲイと分かる友人と付き合っていた西洋人がいた。ある時、彼が言った「実は凄い秘密があるんだ。絶対内緒なんだが、彼女は男なんだよ・・・」。彼以外は多くが知っていることだ。お互いのためにもどう答えれば良いのか分からない。それに、笑うのも耐えなくてはならない。
白人や黒人の年齢は、見なれていないと日本人よりずっと見分けるのが難しいかもしれない。白人にとっても同様で、アジア人と言うのは見分けが難しいのだろう。男女の違いは極端としても、20歳そこそこの西洋人と40歳も近づいていると思われる女性のカップルがよくいるのは、いくらなんでもおかしいと思う。

レストラン大和

’03年、友人がチャウエンビーチで日本食レストランを開いた。2年越しの計画をついに実現させたのだ。寿司や様々な料理を作れる彼らを見て、どこでも通じる手に職を持つって素直に素晴らしいと思った。私は普通に学校に行き、普通に就職した。そして普通に生活をした。料理等生きるための事は一通りできるが、それは、技ではない。人に提供できるレベルの料理、楽器や歌、踊り、そして大道芸のようなものは何も持っていない。だから、そういうものに憧れる。何か今の自分と違う自分になりたいと言う願望は、誰もが持つものだと思うが、何か自分の特徴を持ちたいと思うのは自己顕示欲なのだろうか。

ビーチで生物の勉強をしていた受験生と出会った。彼はサムイで受験勉強をしていたのだ。その目的にも驚いたが、個性のあるいいやつだった。その後数年タイに滞在し、タイ語も読み書きできるようになった。今は自衛隊で働いているが、今でもタイを大好きだし、タイ滞在の寄り道が今の彼を作ったのだと思う。
あったその夜、サクラバーで日本人に「受験」について説教されていた。こんな場所で本当に勉強する気があるのか、そして、受験に向かう心構え、自分が馬鹿であると言うことを悟る事について。会ったその場で、そういった話をする環境は好きだ。自分を出さずにいる自分は嫌いだし、名前も過去も知らないが、ただ、現在の状況について議論できる事は楽しい。

チュラロンコン大の学生に出会った。今でもネットでチャットする仲だが、彼女の好奇心には憧れる。一緒にクラビングし、バーに通い、バンコクやタイの事を教えてもらった。マスコミに就職したものの半年で辞め、ドイツに留学した。現在はスカンジナビア航空で働いているが、日本にも興味を持っているし、話をすると話題は尽きない。他にこうしたタイ人を知らないのは、私の交友範囲が偏っているからかもしれない。でもいい、1人だけでもいるのだから。 その後、タイでの就職活動と共に日本でも就職活動をした。3年間は真面目に働いて経験を積もうと日本の会社に就職した。途中、タイの会社や現地法人に転職活動もした事があるが、結局は仕事を続け今に至った。この決断は間違いなかったと思うが、その時に実際に内定先で働き始めていたら、どうなっていただろうか。全ては夢の話だ。

タイに週末だけ旅行に行く生活、金土日で通うのは体力的にはきつかったが、価値のある時間だった。

サムイより有名なプーケット

プーケット島でも1ヶ月ほど遊んだことがある。サムイに比べて観光地化されていることもあり、遊ぶ場所もたくさんある。ダイビングや多くのアクティビティで楽しむには、サムイよりずっと選択肢が多い(ただし私は夜遊び以外は余りしないので、そういった印象を持っているだけかもしれない)。
夜に遊べるバーやクラブなどもあちこちにあり、サムイ同様に遊んだ。ただ、クラブの雰囲気やシステムはサムイとは随分異なる。音楽も一般的なものが多く、私の好きなゴアやサイケトランスがかかることもほとんどない。それが大きな理由でプーケットよりサムイが好きなのだ。ただ、私にとってもプーケットの方が良い点は多々ある。タイ語学校(日本語学校)があること。サウナの施設が充実していること。おいしい日本食料理店があちこちにあること。
次に訪れる時は、プーケットの魅力をもっと探してみたい。

taka

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ミニコラム

街の変貌
マクドナルドや多くの建物が次々に建ち、道も舗装された。車での渋滞など考えられなかったが、メイン通りでは毎日だ。
西洋人にはリピーター(毎年決まった時期に訪れたりする人)が多かったが、昔から見かける人がある時期を境に一気に減った。
便利になったのは、良いことだと思うけど、安宿が駆逐されていくのはさびしい(感傷かな)。