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| ・・・・・・・ ■バンコク ■タイ(食事) ■サムイ島 |
タイ(食事) お勧めとしては、有名だが「空芯菜の炒め料理(パックブン(グ)・ファイデーン)」。おつまみとしてよく食べた。お粥(カオ・トム)も食べやすい。卵やにんにくを入れてもらって食べるのが好きだ。酒を飲んで夕方に起き出した後に食べるのが好きだ。 バンコクにいる時は、コンビニにあるホットドッグを毎日のように食べた。タイ方式では、野菜や調味料を自分選んで自由に盛り付ける事ができる。つまり野菜が取り放題で、少ない食費で栄養のバランスを取るのにもってこいと思われたからだ。 焼き卵を売るタイ人がよく歩いていた。見ると声をかけてよく買っていた。シンプルにおいしい。勉強を始めたタイ語を、初めて試したのが焼き卵を売るタイ人だった。10Bで買って卵3コだったような気がする。1つ食べて「アロイ(おいしい)」と言っただけだが、いろいろと話しかけてきてくれ、更に勉強する気になった。 焼き卵で思い出したが、焼きバナナは余り好きではない。これって、私のイメージの問題なのかもしれないが、やはり生のバナナの皮を剥いてそのまま甘さを味わいたい。 焼き鳥のように串にさした豚肉とカオニアオ、それにキャベツがついてくる食べ物もよく買った。 ソムタムは魚介類が好きでない私だが、カニが入っているのも含めてよく食べた。バーに行けば食べるかと進められるし、知り合いの田舎に泊まった際にはそういう料理しかなかったりと、必然的にだ。ヘルシー料理で、食べても太らないし、私には向いている気がする。毎日、こういう料理ばかり食べていると辛いのに慣れるし、好きになります。辛くないとおいしくない気がすると言うか。おかげで会社の机の引き出しには、一味唐辛子やチリソース、ちょっと違うけど、からし、わさびが常備されることになった。 自分で捕まえた昆虫を食べるのはちょっと・・・ 田舎で酒を飲むおつまみに、村人たちと昆虫を取りに行った。バッタのようだったが、種類はよく分からない。夜にライトを持っていくと虫が集まってくる。それを、どんどんペットボトルに押し込んでいくのだ。捕まえるのは楽しく、私も夢中になった。 私は好きになったものを食べ続ける性格だ。日本では機会があればカレーを食べているし、大学の食堂ではカレー(またはカツカレー)以外は、3回(カツ丼)しか食べたことがなかった。タイでも同様で、コ(島)・サムイのラマイビーチ滞在時に半年以上にもわたって鶏肉チャーハン目玉焼付(カオ・パット・ガイ・カイダーオ)を食べ続けた事がある。さすがに毎日行くので、初めの頃は他のものも食べろと勧められたが、そのうちに、注文せずとも大盛りで出てくるようになった。今でも、その店に行くと「カオ・パット・ガイ・カイダーオ」と挨拶される。おいしかったし、量や具のわりに安かった(25B)し、開店時間(夕方から早朝まで)が私に向いていた。 タイのお酒 以前は、ビールと言えばビア・シンやビア・チャーン、クロスター等だったが、最近は種類も増えてきた。私は余りビールを飲む方ではないけれど、いつもビア・シンを注文する。日本で飲むとそれほどではないが、タイでは何だかおいしい。ただ、ビールは他のお酒に比べて高い。ワインクーラーも最近は種類が増えているが、以前からある昔ながらのワインクーラークラブ(白)が好きだ。タイ人はビールに氷を入れて飲むが、暑いタイではその飲み方は意外と良いと思う。 taka |
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タイ(コ・サムイ) 踊ることを学んだ。悩むことを学んだ。遊ぶことを学んだ。くさいようだが、自分にとっての青春とはコ・サムイだった(1995)。 ソンテウ(乗り合いバス。どこまで行っても最大20Bだったが、最近は値上がりしたようだ。最近はそれだけでなく外国人料金も勝手に作っている。)に乗り込み、終点がチャウエンビーチだった。北端にあるムーン・バンガロー(1泊100B)に宿を定め、まずはあちこち歩きまわった。これが、その後合計で2年以上も滞在することとなるコ・サムイのスタートだった。 サムイのクラブ グリーン・マンゴー、レゲエ・パブ、サンタ・フェ、ドアーズと言ったところが、主なクラブでどこも入場料はない。サンタ・フェは夜中の3〜4時頃から盛り上がるクラブで、怪しい雰囲気や早いテクノ等の音で最高にイカレタ場所だった。怪しげな目をしたやつらも多かったが、ここではたくさんの友達に出会った。ドアーズも同様に深夜に盛り上がるハコだった。匂いが漂うスペースで、踊る客よりもまったりする客が中心だ。私は主にサンタ・フェに通ったのだが、今はどちらもなくなってしまった。なくなった時はかなりショックだったが、コ・サムイではいろいろなクラブができては潰れる。これもしょうがない事だった。ちなみに、レゲエ・パブは火事('93頃)になって場所が移ったが、今でも続いている息の長いクラブだ。必ず最後の1曲はレゲエで終わるが、それ以外はレゲエとは関係ないようだけれど(笑)。 お気に入りのラマイ・セントラル チャウエンやラマイでは、100〜150Bで泊まれるバンガローが急激に減っている。私のお勧めはラマイ・ビーチのラマイ・セントラルだ。バンガローではなく、長屋形式のホテルだ。値段の割りにきれいで、多くのタイ人や長期滞在者が泊まっている。他にもこういった形式のホテルはあるが、昔からずっと続いているため、繰り返し訪れる客が多く、滞在者の個性が面白い。 バー・ビアと呼ばれる小さなバーが、ビーチにはたくさんある。それらのうちのいくつかも、私好みの速くてグニャグニャした音楽をかけていた。不思議とゲイの働くお店だったりした。よく分からないけど、そういうこともあって、彼らとは仲良くなった。 出会い/フルムーンパーティ そもそも私は、ここサムイを訪れるまで、日本でディスコやクラブやと呼ばれる場所に行った事はなかった。余り興味がなかったと言って間違いない。サムイでもバーでお酒を飲んだり、クラブでもせいぜいがカウンターで飲むくらいだった。その生活を1ヶ月ほど続け、ある夜にバイクで通りかかった日本人に声を掛けた。毎日通っているそのバーは、あまり流行っている訳ではない。それで、日本人に声を掛けて客を増やせと言うことになったのだ。 そのまま彼を見かけることもなく1ヶ月が過ぎた。そして、彼が再びバーに現れ言った「いやぁ〜、やっぱりまだいましたね」頭を掻きながらだった。それからいろいろ話をして仲良くなった。彼はあちこち回ってインドに行き、アフリカに行くつもりだったが何故かタイに戻ってきて長期滞在しているとの事だった。 彼女らと毎月フルムーンパーティに行った。行く途中の船から、イカレタ人やいろいろな人と出会い、現地でも朝まで踊り、笑った。 滞在中には今でも友達として付き合っている多くの友人と出会った。 その後の話だが、インドネシア人は日本のヤクザの知り合いだったらしい。また、そのヤクザはお金を持って滞在している日本人旅行者に「炭火焼」というレストランをオープンさせていた。その後、その日本人旅行者とは友達になった。彼は私の紹介したラマイ・セントラル(ラマイ・コンプレックス)で’04年で9年目を迎えている。 サクラバー サクラバーのオーナーで、サムイダイビングショップも経営するQさんがいる。出会いは電話だった。サクラバーの従業員がバイク事故で逝去し、帰国しているQさんに連絡をしたのだ。サクラバーで毎日飲み、亡くなったコとも遊んでいた私は葬式やその他のもろもろに参加する事となった。しばらくして、Qさんがサムイに戻り、とてつもなくいろいろとお世話になった。信頼できる方で、毎晩一緒に飲んだが、彼の話や考え方にいろいろと学ぶ事が多かった。日本での堅実な生活を捨て旅に出て、旅先でも自分の身体1つで生活している。そういった姿や会話に、寛容だが意志の強い正確が強く出ていた。今でもずっと尊敬している方だ。 ある時、バーで飲んでいると近くで銃声が鳴った事があった。警察がすぐに現れ、捜索にあたっているようだった。私のホテルの方からの銃声だったため、怖くて明るくなるまでバーで飲み続けた。 外見は女性のようだが、日本人が見ればすぐにゲイと分かる友人と付き合っていた西洋人がいた。ある時、彼が言った「実は凄い秘密があるんだ。絶対内緒なんだが、彼女は男なんだよ・・・」。彼以外は多くが知っていることだ。お互いのためにもどう答えれば良いのか分からない。それに、笑うのも耐えなくてはならない。 レストラン大和 ’03年、友人がチャウエンビーチで日本食レストランを開いた。2年越しの計画をついに実現させたのだ。寿司や様々な料理を作れる彼らを見て、どこでも通じる手に職を持つって素直に素晴らしいと思った。私は普通に学校に行き、普通に就職した。そして普通に生活をした。料理等生きるための事は一通りできるが、それは、技ではない。人に提供できるレベルの料理、楽器や歌、踊り、そして大道芸のようなものは何も持っていない。だから、そういうものに憧れる。何か今の自分と違う自分になりたいと言う願望は、誰もが持つものだと思うが、何か自分の特徴を持ちたいと思うのは自己顕示欲なのだろうか。 ビーチで生物の勉強をしていた受験生と出会った。彼はサムイで受験勉強をしていたのだ。その目的にも驚いたが、個性のあるいいやつだった。その後数年タイに滞在し、タイ語も読み書きできるようになった。今は自衛隊で働いているが、今でもタイを大好きだし、タイ滞在の寄り道が今の彼を作ったのだと思う。 チュラロンコン大の学生に出会った。今でもネットでチャットする仲だが、彼女の好奇心には憧れる。一緒にクラビングし、バーに通い、バンコクやタイの事を教えてもらった。マスコミに就職したものの半年で辞め、ドイツに留学した。現在はスカンジナビア航空で働いているが、日本にも興味を持っているし、話をすると話題は尽きない。他にこうしたタイ人を知らないのは、私の交友範囲が偏っているからかもしれない。でもいい、1人だけでもいるのだから。 その後、タイでの就職活動と共に日本でも就職活動をした。3年間は真面目に働いて経験を積もうと日本の会社に就職した。途中、タイの会社や現地法人に転職活動もした事があるが、結局は仕事を続け今に至った。この決断は間違いなかったと思うが、その時に実際に内定先で働き始めていたら、どうなっていただろうか。全ては夢の話だ。 タイに週末だけ旅行に行く生活、金土日で通うのは体力的にはきつかったが、価値のある時間だった。 taka パンガンへ |
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