![]() |
旅の日記*一覧 > 旅の日記*地図 > 中央・南アジア |
ヴァラナシ=ベナレス 旧市街が広がる街、私にとって旧市街のイメージは狭い路地かもしれない。そして、くねくねと続く道は、どこか知らない場所に通じている。 有名な日本人宿の久美子ハウスに足を運んだ事がある。初めてのヴァラナシで、とりあえずそこに泊まろうと思ったのだ。中国のウイグルで買った帽子が、主人の不興をかったらしい、イスラム的な帽子からイスラムを連想し、いきなり「イスラム教は良くない」みたいな事を言ってきたのだ。少し話して、私はそこに泊まるのをやめた。きっと、そのままそこに泊まっても楽しかったのかもしれない。だが、それ以後は訪れる事はなかった。 ある時、偶然に兄と出会い、大変驚いた。インドは面白いよ、と伝えたのがきっかけで彼もヴァラナシにいたのだ。とりああえず宿をシェアすることにして、交差点近くのちょっとだけ居心地に良い宿に移った。 路地で動かない牛や、トランプに興じる街の人々、ビリーを巻く人々、そして、沐浴の為に訪れた人々。そういった生活が長い年月に渡って、続いてきたのだろう。きっと、宿にも歴史があり、どういった理由でか、外国人旅行者が泊まる事となった。「深い河」「赤い河」と言った様な映画もあるくらい人を惹きつけるのは何故だろう。私は説明することはできないが、一言で表現するなら居心地の良い街だ。 黄金寺院の近くにあるトリムルティは、値段も安い。ただ、河やガートから離れているので初めて来る方にとっては物足りないかもしれない。 有名なバーング・ラッシー、成分は知らないがストロングやミディアム等の選択が可能だ。そういったお店がある事も不思議だが、ずっと続いている。まぁ、インドだけでなく、そういったものは、どこでも普通に売られている。実はタバコやお酒、コーヒーが普通に売られている日本とそうは変わらないのかもしれない。 taka |
|
||
ゴア踊りたかった、そして、噂に聞く場所を見てみたかった。ゴアに行ったのはこうした目的があり、他の場所とは違った。 SHORE BAR等で毎晩踊り、山や森のパーティに通った。そのうち、同室の彼の友人が日本からやってきた。ようやく念願だったCDを出すことができたと言うことで、皆、興奮していた。TOKYO
TECHNO TRIBEという日本のCDだった。その素晴らしい音に興奮したが、その後日本に帰国してCD店で実際に買うまでは、その事をあまり深く考える事はなかった。彼らはとても印象深いメンバーで、話をしても楽しいし、知らない世界のことを話していた。テクノやトランスもゴアで踊ってはいたが、DJや音について特に考えることもなかったのだ。今、考えると、貴重な時間だった。ただ、自分には巡り合うのが早すぎたのかもしれない。 今夜はあっちだ、明日はあっちだ。あちこちの場所が噂され、パーティを求めて向かった。泊めてもらっている宿の親父に交差点で会うことも会った。きっと、いつも客を泊めるのを収入源として、街でもそういった客を相手に商売をしているのだろう。 taka |
|
デリー その他UPHARは、あんなに汚いのに何で快適に過ごせるのだろう。当たり前かもしれないが日本人宿の雰囲気(とは言っても西洋人も居たが)と、汚い宿をも気にしない旅行者が集まっているからだろう。2回目の旅行の2ヶ月の滞在のうち1ヶ月もこの宿に居てしまった。その時は居心地も良かったし、何とも思わなかったが、ちょっと沈没気味だったと思う。その後、タイのサムイ島には、そのまま半年以上(1年未満)居てしまったが、そういった沈没の初体験だったのかもしれない。 何をするでもなく起き出し、食べないわけにも行かず、食事に出かける。観光という観光もせずにただ居る。同室のメンバーは、同様に汚いベッドに居続け、お酒等で楽しんでいた。そういった雰囲気が嫌いでか、すぐに出て行ってしまう旅行者もいたし、気に入る人もいる。インドにいるとお金もかからないし、ビザも半年あるから、目的もない場合はこういった生活に浸りがちなのかもしれない。情報ノートには、第二次世界大戦の日本の戦争開始理由は、バックパッカーがビザ無しにインドまで旅行に来られるようにだったとかくだらないが楽しい書き込みも多々あった。 ウダイプルの LAKE PALACE はきれいだったが、私にとっては眺めるだけのものだ。CITY PALACE が見える湖の対岸に宿を取った。バスで一緒だった女性とシェアしたのだが、部屋以外は全く別行動だった。ここでは、最初で最後の現地発ツアーに参加した。英語での解説があったが、半分位は分からないし、自由に動けないのはどうも好きになれなかった。やはり、その後の行動はその場で決めたい。何もしたくない時は、何もしたくない。そんな我が侭な性格では、ツアーを満喫することは難しいのかもしれない。 ジャイサルメールは好きだ。街の外れに出て、毎日絵を書いた。屋上のレストランで食べる食事も雰囲気、味ともに良かった。ちょっと値段は張ったが、たまには少しの贅沢も良い。ハンバーグステーキのようなものを毎日食べた。街ではインスタントラーメンのようなものも売っていたが、どうもインドの味付けは好きになれない。味付けといえば、暑いさなかにジャイプールで食べたアイスが忘れられない。「暑い、暑い、暑い」耐えられなくなり、インド人が群がっていた近くのアイス屋台から1Rpだか2Rpsで購入した。ぱくっと口に入れたところ、それはカレー味だった。はっきり言って期待していたものとは違った。期待が間違っていたのかもしれないが、全部食べることなく、手放してしまった。 キャメルサファリの思い出は、砂漠で見る夜空もだが、ペットボトルが壊れてほとんどの水がこぼれてしまった事だ。ご飯もおいしかったし、ラクダもかわいいし(おしりは痛かったが)、夜の睡眠も快適だった。でも、水がこぼれてしまった時はちょっとショックだった。結果として、翌日には買えたので問題は無かった。だが、途中の小さな湖できれいな水があった時に、飲もうとしているのに対岸の白人が泳ぎ始め、汚くなってしまったのは寂しかった。 タージマハールのあるアグラーでは、3つ思い出がある。タージマハールの地下は、外に比べて余りにも涼しかった。これは、設計の妙か、材質の妙か、ともかく驚いた。地上とは違う空気がそこにあって、それは昔からずっと続いている。計算してそうなっているのだとすると、なおさら凄いと思う。 多くの街に行ったし、それぞれの思い出があるが、外国人用の切符売り場近辺には(嘘も方便か?それほどの悪意は感じないが)客引きがたくさん居る。外国人用のオフィスは休みだというのはともかく、潰れたとか平気で言う。宿の客引きも多くの場所に居る。リキシャや、街角のあちこちにも様々な客引きが居る。特にしれらに実害を受けた事はないが、うるさいと思う事もある。どこの国にもいるが、特にインドが印象に残っているのは、彼らのあまりに堂々とした態度や後から考えると楽しい1つ1つの会話ゆえかもしれない。 taka |
|
| ジンバブエへ |