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インド

・・・・・・・ ■カルカッタ ■ヴァラナシ ■ゴア ■デリー(その他)

カルカッタ=コルカタ

喧騒が続くカルカッタの街は好きだ。旅行者の集まるサダルは、汚いしごちゃごちゃしている。けれど、街全体に活気があるしいろいろな旅行者に出会える。ドミトリーでの新しい出会いと、他の国の話、別の街の話、いろいろな経験談、どれもがそこでしか得られない楽しみの1つだ。雨が降ると道に水があふれ、リキシャ料金が高騰したりする。普段道端に汚物があったり、生ごみがあったりもするが、流れているものも気にせずに歩けてしまう。
街では何かの頭蓋骨を売っていたり、蛇を売っていたりとそこかしこがフリーマーケットのようだ。それに、多くの古本屋では日本語の本も売っている。古本にしては値段は高いが、日本語の活字に飢えた状態ではつい買ってしまうのも分かる。

サダルストリート

サルベーション・アーミーやパラゴン、マリア、多くの安宿が集まるサダルには、安くておいしい中華屋台や日本語ペラペラな「サトシ(だったような?)」とかもいた。毎回、行くたびに日本語がうまくなっていったし、かなり多くの日本人と話しているのだろう。ドミトリー以外であれば、サダルを離れても宿はたくさんある。サダルで中級程度のホテルと同じ値段でサダル外のホテルを探せば、サダルの外の方がかなり快適に泊まることができる。とはいいつつ、私はパラゴンのドミトリーに泊まることが多かった。他の宿も含めて、どこの宿もそれなりに快適だった。きっと、快適でないと客も来ないのだろうし、宿のきれいさ等はここでは余り重要な要素には感じられないからだろう。

中華料理の屋台は2軒あったが、いつもどちらか片方がおいしいという話になっていた。それほど変わらないとも思うのだが、なぜか、いつもどちらか片方が人気があった。それも、一方がずっと人気という訳でもなく変わるのが不思議だった。
ともかく、屋台での食事は多少不潔感はあるものの、リーズナブルにお腹を膨らますことができたし、味も悪くない。リットンのレストランのステーキという話もあったが、私は食べた事はない。レストランに行く場合は、たいていパーク・ストリートまで足を伸ばした。ビールや酒を飲みながら、中華料理などを食べたのだ。他にインド料理店は多くあるけれど、私は半分くらいはインド料理以外を食べていた。

サダルのすぐ近くにあるインド博物館に、数回目のカルカッタで初めて足を伸ばした。する事もない時間を博物館で過ごし、ごろごろする。贅沢な時間な気もしたけれど、やはり私はそういったものに余り興味を持たない非文化的な人間だった。
北にある市場や映画館、どこもふらふら歩き時間つぶしに使った。ルンギーや紅茶等を買ったり、映画を見たり、路上の商売人や大道芸を見て笑ったり、カルカッタにいると飽きる事がない。
この街にはたくさん乞食もいる。インド政府にトラックに乗せられ、デカン高原に捨てられたとか、いろいろな話がある。乞食の存在に特に何を思うということもないが、彼らの行動を見て考えさせられる事はある。私は切実な意味でお金を持っていない状況を経験した事はないし、その心の中を推し量る事はできない。だけれど、貧富の差が心の貧しさではないと思う。自分の心の貧しい点や良い点、そういった事と彼らを無意識のうちに比較させられてしまう時、特に学ぶべき点がある。喜怒哀楽の感情表現や刹那的な行動は、やむを得ずといった面があるにせよ自分に無いものを含んでいる。自分とは全く異なる環境に生きているという点も含めて、私に彼らを注目させ、それ故に差異に思い至るだけかもしれないとも思う。現にドミトリーで旅行者の話を聞き、彼らの生き方を羨ましいとも思う事もある。その時、私は同様に差異に目が向いているのかもしれない。目立つ存在というのは、何かを持っている。目立つのは外見なのか、仕草なのか、行動なのか、1つ1つの行動が雰囲気を作るのだろう。私は変な意味でなく、自分と違う考えを持つ人によく惹かれる(きっと多くの人がそうだと思う。何か特徴がある人は、魅力的な事が多い)。本当の意味では意見は異なる事があっても、それを知った事が嬉しい。自己顕示欲と思うが、私も少しは回りに何かを与えられる人間になりたい。

郵便局や鉄道の予約オフィス、ハウラー駅など、たいていはどこでも歩いていく。いつも荷物を背負って川まで歩き、艀でハウラー駅まで歩いたりした。特に荷物を持っている時はバスに乗らないようにした。初めにカルカッタに着いた時、日本のラッシュのようなバスに乗り荷物が他で乗客に迷惑を掛けた事があり、それが原因だ。
ところで、タクシーのハンドルが微妙に外側に向いているように思う。なんだかよく分からないけれど運転手の身体が少し斜めになっているようなのが気になる。
リクシャに乗ると、坂道や長距離では、引く人間の心境を考えてしまう。本来はお金を払い、その対価を得ているのだから気にする必要はないのかもしれない。普通はどうだか分からないが、ともかく自分に素直でいたいのでそういう時は降りて一緒に歩いてしまう。考えてみると、仕事での自分の姿勢もそれと同じようなものかもしれない。本来は、利益を上げるために一緒に仕事をする皆に、限界まで働いてもらうのが良いかもしれない。だが、お互いに心を通じ合わせて働きたいし、お互いに満足したい。要はお互いに立場もあるけど、そういった事にこだわらずにいつも自分でいたいと思う。そんな考えが甘いし、欺瞞なのかな。

電車に置いてきぼり

電車に乗り遅れた事がある。ゴアに向かおうとした時、ホームの場所が分からずに乗り遅れたのだ。飛行機や電車、バス等の交通手段に乗り遅れたのは、今のところ後にも先にもこれ1回だ。
唯一危なかったのは、サムイ発バンコク行だ。9日間の滞在で訪れた際に、毎日朝まで飲んだりと踊ったりと曜日の感覚がなくなり、自分の帰国日を分かっていなかったのだ。偶然に、飛行機のチケットと自分の時計のカレンダーを比べた。明日だと思っていたフライト日はその日だった。しかも、1時間後に飛行機は飛び立つ。私は荷物もそのままに、階下に住む友人を叩き起こしバイクで空港まで送ってもらった。残す荷物は全て彼に任せ、何とか空港でチェックインを済ませ飛行機に乗れた。バイクで20分ほど掛かる空港に着くまで、そしてボーディングするまで、ドキドキしっぱなしだった。その夜にJALに乗り成田に帰らないと仕事に間に合わなかったのだ。私はだいたい月曜日の朝に成田に着くようにしていた。睡眠不足で昼に机の下で丸まって寝るなどの気合いというか、ちょっと社会人としてあるまじき感じだった。
そういえば、会社に寝袋を持ち込んで、頻繁に寝ていた事がある。フロアの端にある端末室に、ダンボールが詰まれており、その中で寝たのだ。ビルの近くに銭湯もあり、非常に快適に過ごすことができた。最後の人がフロアを出る際に、警備システムを作動させるフロアだった。私が寝ていると作動されてしまった。よって、トイレに行くこともできないし、静かに我慢した。だが、同僚は私にとっての伝説を作った。ある夜、席で寝ている彼の存在を気づかなかった者が最終退出者と勘違いして警備システムを作動させたのだ。そして、起きた彼が気にせずに部屋を歩いていたところ、センサーにひっかかり警備員が現れたのだ!そして彼に尋ねる「怪しい人はいませんでしたか?」。彼は躊躇なく答える「特に何もないですよ」と。怪しいのはお前だよ(笑)!そんな彼は某証券会社の御曹司、退社しMBAを取りにアメリカに留学に行った。凄くいい奴だった。

taka

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ミニコラム

+サダルストリート+
バンコクのカオサンと同様に世界的に有名な安宿街。でも以外に小さい。
北の方にタクシーで30分ほど行くとスナガチという夜の町がある。

ヴァラナシ=ベナレス

旧市街が広がる街、私にとって旧市街のイメージは狭い路地かもしれない。そして、くねくねと続く道は、どこか知らない場所に通じている。
牛も歩き、活気もあるその街には、その街たらしめる河が流れている。河の存在がなければ、街は大きく変わるのだろうが、そんな仮定に意味はない。古くから続く街路や建物、お寺、区画整理など起こりようもないこの街では、全てがゴチャゴチャと満載されている。外国人もインド人も、多くがここで交差する。違う目的を持ってやってくる多くの者の存在が、この街に更なる魅力を与えている。
レストラン、宿、みやげ物屋、マッサージ、雑貨屋、食料品店、市場、そういったものだけでなく、街に何があるか分からないくらい存在しているのは壮観だ。

有名な日本人宿の久美子ハウスに足を運んだ事がある。初めてのヴァラナシで、とりあえずそこに泊まろうと思ったのだ。中国のウイグルで買った帽子が、主人の不興をかったらしい、イスラム的な帽子からイスラムを連想し、いきなり「イスラム教は良くない」みたいな事を言ってきたのだ。少し話して、私はそこに泊まるのをやめた。きっと、そのままそこに泊まっても楽しかったのかもしれない。だが、それ以後は訪れる事はなかった。
その後は久美子ハウスの近くにあるビシュヌに宿を定める事が多かった。久美子ハウスと同様に河に面しており、河に面した広いテラスがある。そういったスペースがある宿は周りの旅行者とも交流しやすいし好きだ。毎日何もせずにただ川を眺めると、いろいろなものが流れているのを見る。動物の死体や、人間と思われるものも流れている。そんな河が雨季も乾季も流れ続ける。うだるような暑い季節に、ここでのんびり過ごすのもいいかもしれない。

偶然に兄と出会い

ある時、偶然に兄と出会い、大変驚いた。インドは面白いよ、と伝えたのがきっかけで彼もヴァラナシにいたのだ。とりああえず宿をシェアすることにして、交差点近くのちょっとだけ居心地に良い宿に移った。
二人では私1人では普段行かないような、ちゃんとしたレストランに通った。満腹まで食べたりと、偶然の出会いを楽しんだ。それにしても、ヴァラナシで偶然兄に会うというのは出来すぎている。こんな機会を貰った事に大感謝だ。

路地で動かない牛や、トランプに興じる街の人々、ビリーを巻く人々、そして、沐浴の為に訪れた人々。そういった生活が長い年月に渡って、続いてきたのだろう。きっと、宿にも歴史があり、どういった理由でか、外国人旅行者が泊まる事となった。「深い河」「赤い河」と言った様な映画もあるくらい人を惹きつけるのは何故だろう。私は説明することはできないが、一言で表現するなら居心地の良い街だ。

黄金寺院の近くにあるトリムルティは、値段も安い。ただ、河やガートから離れているので初めて来る方にとっては物足りないかもしれない。
ボートで河に出る事ができる。そして、対岸に渡る事もできる。泳ぐ人もいるが、後でよく考えると、プールで泳いだ方がよっぽど良いとも思う。その時、そこで泳いで満足する自分を否定する事はないが。

有名なバーング・ラッシー、成分は知らないがストロングやミディアム等の選択が可能だ。そういったお店がある事も不思議だが、ずっと続いている。まぁ、インドだけでなく、そういったものは、どこでも普通に売られている。実はタバコやお酒、コーヒーが普通に売られている日本とそうは変わらないのかもしれない。

taka

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ミニコラム

+オウム真理教+
教祖が長期滞在していたことがあったって聞いたことがあるけど本当なのかな?

ゴア

踊りたかった、そして、噂に聞く場所を見てみたかった。ゴアに行ったのはこうした目的があり、他の場所とは違った。
クリスマスが近づいてくる頃にボンベイからバスでゴアに向かった。暑いし、乗り心地も良くなかったが、ここでも興味を惹かれる日本人に会うことができた。ヴァガバットギーターを持ち、バジャンを聞いている旅行者だった。ゴアに来るのが目的だったが、その前にあちこち見て来たのだと言う。
アンジュナに着き、彼と部屋をシェアすることにした。部屋はなかなか見つからず、野宿も考え出した。ただ、知人もいるはずだし、転がり込めばどうにかなると楽観視もしていた。結局、民家の1室を借りることとなり、快適な空間を確保した。隣室には日系オーストラリア人カップルがいて、ディジュリドゥを吹いていた。吹き方を聞き、しばらく練習もしてみたが息継ぎ等は難しくとても簡単に覚えられるようなものではなかった。その後日本でもパーティで見るようになったが、このゴアで聞いた音がもっとも衝撃的だった。

野外パーティさいこう

SHORE BAR等で毎晩踊り、山や森のパーティに通った。そのうち、同室の彼の友人が日本からやってきた。ようやく念願だったCDを出すことができたと言うことで、皆、興奮していた。TOKYO TECHNO TRIBEという日本のCDだった。その素晴らしい音に興奮したが、その後日本に帰国してCD店で実際に買うまでは、その事をあまり深く考える事はなかった。彼らはとても印象深いメンバーで、話をしても楽しいし、知らない世界のことを話していた。テクノやトランスもゴアで踊ってはいたが、DJや音について特に考えることもなかったのだ。今、考えると、貴重な時間だった。ただ、自分には巡り合うのが早すぎたのかもしれない。
日本に帰国して、六本木界隈のGEOIDやVITAMIN Q等に通い、どこかで野外パーティがあると聞けば探しに行った。そんな生活は楽しかったし、仕事を始めてからもリラックスできる時間を得るための大切な時間だった。多くの友人にも会った。旅や音だけが原因ではないが、地元の友達とはどんどん疎遠になった。本当は良くないことだと思うし、もっとコンタクトを取るべきだとは思う。自分が求める事をする時間に優先度をつけると、怠惰な自分と快楽を求める自分がいて、それ以外のことはしなくなってしまう。結局、自分の嗜好に幅を持ってあれもこれも求める人間と、いくつかの事以外に興味を持てなくなる人間がいるのだろう。そして自分は後者の人間だった。こうやって、自分を納得させるのすら妙な割り切りで、本来はそんな事を考えるより電話をすればいいんじゃないかとすら思う。
フリーマーケットを歩くのも楽しかったが、パーティ明けにチャーイ屋さんのゴザやその辺でだらだらする時間もパーティの延長として、とても楽しかった。現地のおじさんやおばさんが、そういった露店を出していたが、どういった視線で見ていたのだろう。

今夜はあっちだ、明日はあっちだ。あちこちの場所が噂され、パーティを求めて向かった。泊めてもらっている宿の親父に交差点で会うことも会った。きっと、いつも客を泊めるのを収入源として、街でもそういった客を相手に商売をしているのだろう。
ビーチは特にきれいと言うわけではなかった。だが、SHORE BARやビーチから眺める夕日は最高だった。赤い太陽が海に近づき、空も海も赤く染める。赤いいろは更に広がり世界を染め上げる。そんな風景やイメージに染め上げられ、こんな幸せな事は他にないとさえ思った。ご飯には余り満足できなかったが、それはインド全般に同じだし、パンやチョコはおいしいものがあった。それに、何よりお酒もあったので、最高な滞在を妨げる何物も無いようだった。
その生活は、そう長く続ける前に切りあげる事にした。その後、日本でもそういった生活を楽しむようになったが、その頃の自分には怖さとそれ以外に対する好奇心が強かったのだ。どうしてもアフリカに行ってみたいと言う気持ちは抑えがたかったし、サムイ・パンガン・ゴアと続く生活を考えると、どこにでもそういう生活があるとも思った。

taka

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ミニコラム

+日本から直行で+
日本からゴア目当てだけでインドを訪れる旅行者も多い。トランスが日本で更に一般的になり、日本人がどんどん増えているのかな。

デリー その他

UPHARは、あんなに汚いのに何で快適に過ごせるのだろう。当たり前かもしれないが日本人宿の雰囲気(とは言っても西洋人も居たが)と、汚い宿をも気にしない旅行者が集まっているからだろう。2回目の旅行の2ヶ月の滞在のうち1ヶ月もこの宿に居てしまった。その時は居心地も良かったし、何とも思わなかったが、ちょっと沈没気味だったと思う。その後、タイのサムイ島には、そのまま半年以上(1年未満)居てしまったが、そういった沈没の初体験だったのかもしれない。

何をするでもなく起き出し、食べないわけにも行かず、食事に出かける。観光という観光もせずにただ居る。同室のメンバーは、同様に汚いベッドに居続け、お酒等で楽しんでいた。そういった雰囲気が嫌いでか、すぐに出て行ってしまう旅行者もいたし、気に入る人もいる。インドにいるとお金もかからないし、ビザも半年あるから、目的もない場合はこういった生活に浸りがちなのかもしれない。情報ノートには、第二次世界大戦の日本の戦争開始理由は、バックパッカーがビザ無しにインドまで旅行に来られるようにだったとかくだらないが楽しい書き込みも多々あった。

ウダイプルの LAKE PALACE はきれいだったが、私にとっては眺めるだけのものだ。CITY PALACE が見える湖の対岸に宿を取った。バスで一緒だった女性とシェアしたのだが、部屋以外は全く別行動だった。ここでは、最初で最後の現地発ツアーに参加した。英語での解説があったが、半分位は分からないし、自由に動けないのはどうも好きになれなかった。やはり、その後の行動はその場で決めたい。何もしたくない時は、何もしたくない。そんな我が侭な性格では、ツアーを満喫することは難しいのかもしれない。

ジャイサルメールは好きだ。街の外れに出て、毎日絵を書いた。屋上のレストランで食べる食事も雰囲気、味ともに良かった。ちょっと値段は張ったが、たまには少しの贅沢も良い。ハンバーグステーキのようなものを毎日食べた。街ではインスタントラーメンのようなものも売っていたが、どうもインドの味付けは好きになれない。味付けといえば、暑いさなかにジャイプールで食べたアイスが忘れられない。「暑い、暑い、暑い」耐えられなくなり、インド人が群がっていた近くのアイス屋台から1Rpだか2Rpsで購入した。ぱくっと口に入れたところ、それはカレー味だった。はっきり言って期待していたものとは違った。期待が間違っていたのかもしれないが、全部食べることなく、手放してしまった。

キャメルサファリの思い出は、砂漠で見る夜空もだが、ペットボトルが壊れてほとんどの水がこぼれてしまった事だ。ご飯もおいしかったし、ラクダもかわいいし(おしりは痛かったが)、夜の睡眠も快適だった。でも、水がこぼれてしまった時はちょっとショックだった。結果として、翌日には買えたので問題は無かった。だが、途中の小さな湖できれいな水があった時に、飲もうとしているのに対岸の白人が泳ぎ始め、汚くなってしまったのは寂しかった。

タージマハールのあるアグラーでは、3つ思い出がある。タージマハールの地下は、外に比べて余りにも涼しかった。これは、設計の妙か、材質の妙か、ともかく驚いた。地上とは違う空気がそこにあって、それは昔からずっと続いている。計算してそうなっているのだとすると、なおさら凄いと思う。
近くの下町で毎日ビリヤーニを食べた。シェアしていたイングランド人と一緒に通ったのだが、5ルピーで鶏肉付きのおいしい山盛りチャーハンが食べられたのは驚きだった。きっとこれが庶民プライスなのだろう。
貴金属店を回り、コーラや食事をご馳走になった。イングランド人が売買の交渉(持っていた金の指輪等を売るふりをしていた)をしつつ、端からいろいろご馳走になるのは、ラッキーだと思うと同時にしたたかさを学んだ。

多くの街に行ったし、それぞれの思い出があるが、外国人用の切符売り場近辺には(嘘も方便か?それほどの悪意は感じないが)客引きがたくさん居る。外国人用のオフィスは休みだというのはともかく、潰れたとか平気で言う。宿の客引きも多くの場所に居る。リキシャや、街角のあちこちにも様々な客引きが居る。特にしれらに実害を受けた事はないが、うるさいと思う事もある。どこの国にもいるが、特にインドが印象に残っているのは、彼らのあまりに堂々とした態度や後から考えると楽しい1つ1つの会話ゆえかもしれない。

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