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・・・・・・・ ■ネパール ■バングラディッシュ ■パキスタン

ネパール!

偶然に兄とインドのゴードウォリア交差点(ヴァラナシ)でばったり会った後、ネパールのポカラに移動することに決めた。兄はこの旅で食べすぎで(?)肝炎になったらしい。私も兄と一緒にいた数日間は食べすぎた。おかげで太ってしまった気がする。どこのレストランでも、今まで食べたことのないほど注文をし、よく片付けました。しかし、普段はそんなに食べることはなかった。暑いし、カレー料理にも飽きたりで、コーラや7UPで生活したりもした。この旅を終えて帰国した際には、50KG台に落ちていましたが(髭も髪もボサボサで、痩せて友人宅に行った際には「誰?」と言われ、ちょっと笑いました)。

ネパールのポカラ行きバスに乗るために、前夜から泊まっていたホテルの前で待っていた。ちょうどここから出発するので徐々に人が集まってきたが、どうやら一人の日本人が同じバスに乗って行くらしいことが分かった。ドレッドヘアで中肉中背だが、真っ黒に焼けている男性だった。しばらくの間は会話をすることもなかったが、どうも彼は私が手でコネコネしているのが気になっていたらしい。
しばらくのちに兄に見送ってもらい、バスは出発した。バスは当然インド風で特別きれいなんてこともないが、ちゃんと動けば満足だる。I LOVE INDIA。ところで、インドを好きだと言う人も多いと思う。我が身を振り返り何故そこに行くか・・・、やはり物価が大きなファクターだと思う。こういったことは現実的過ぎて、余り他の方の意見を知らないが。もし、インドがあのまま(私が最後に行ったのは8年前。よって、その後に旅行環境も素晴らしくなっているかもしれない)で、物価が数倍であったなら長期滞在する人はかなり減るのではないだろうか。とはいいつつ、私もいくつかインドで好きな場所がある。コルカタ(カルカッタ)も好きだし、ヴァラナシ(ベナレス)も好きだ。そして、ゴア(今はどうかな)も好き。ゴアとの出会いは衝撃だったし、最高でした。あれ?インドのことを書き始めていた。こんなでは駄目ですね(笑)。

ポカラ行きのバスの車内はやたら暑かった。暑さは人をイライラさせることがある。そんな自分ではまずいと思っていても、心を別の方向に持っていくのは難しい。そういう自分を「もっと変えないといけない」などともそういう時は思えない。バスに同乗した日本人はNYから来たとのことで英語が堪能だった。どうやって話し始めたのか覚えていないが、お互いポカラに着くまでブツブツと暑さにたいする文句やバスが遅いことについて言っていた。
どうも彼は、NYで本を読み、突然にインドに来ることに決めて飛行機に乗って来たとのことだった。インドって、そういう変わった感じで来る人も多いと思う。

ポカラ到着。客引きも多く、ちょっと迷惑な感じもしたが、二人とも地図もガイドブックも持っていないので1軒連れて行ってもらった。きれいなゲストハウスだったが値段と位置に満足せず、自分たちで宿を探すことにした。客引きには悪いと思ったが、おかげで安宿がたくさんある地域まで連れて来てもらった感じだ。
ダムサイドに差し掛かり、落ち着いた感じの小さな宿に入った。すると、一人の日本人が出てきていきなりお酒を渡してきて言った「お疲れ様です」。それは丁重にお断りしたし、ちょっとおかしな感じだったが、流れでその宿に滞在することを決めた。部屋の数は3〜4部屋程度だったが、屋上(単に1階の上に上がれるだけ)から目の前に見える湖はきれいだった。
彼らは1日中屋上でのんびり、私も湖に飛びこんで溺れそうになったりと楽しい日常だった。お店にスニッカーズを買いに行ったが、笑いすぎて買い物もできず諦めて宿に戻るなど、よく分からない生活が続いた。
トレッキングと称して山の方に歩いていっても、結局は酔っ払ったりだらだらしたりだけで終わってしまった。そんな生活の中でも、PAT METHENYの音楽に初めて出会って凄い幸せな気分に浸ることができた滞在でした。英語が堪能な彼といて、自分の中途半端な英語力の向上を切実に思った滞在でした。

そんな生活を続ける自分に踏ん切りをつけようと、カトマンズ行きのバスのチケットを購入した。カトマンズでも楽しい時間を過ごしたがインドに戻ることにした。出発当日まで本当に行くべきか、行かないべきか(本当は自分はポカラに居続けたいのか)悩んだが結局は予定通りカトマンズに向かうことにした。カトマンズの宿では、同室に鬱になっている日本人が居た。どうやら陸路でネパールに行こうとしたが、戻って来なくてはならなかったらしい。彼はしばらくまともに話をすることもできなかったこともあり、深いことは話せなかった。彼は宿に居るだけで、自分では何もできないので、滞在中の旅行者皆が心配して日本に送り返すことにした。ちょっとおせっかいかとも思ったが、チケットを買って空港まで送った。その後の彼はどうなったのだろう・・・。

taka

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ミニコラム

++日本食++
日本食レストランが豊富で値段も安い。インドに比べると、食の面からも居心地が良い。インドから逃げてくる人にとっては天国かも!?

バングラディッシュ、ダッカ!

私の最初の海外旅行先となりました。もともとは、その予定はなかったのですが。。。(笑)
ですがそれらも全て楽しい思い出です。これから行く旅行では、バングラディッシュの各地を回ってみたいです。そう、旅には関係ないけれど、中学生になって英語を学び始めた頃、近所のバングラディッシュ人と公園で知り合いました。何回か彼らの部屋に遊びに行って、いろいろと話をして、ご馳走になったり、求人広告を説明してあげたりした。飽きっぽい性格からか彼らとはしばらくして疎遠となってしまったが、もっと話ができればよかったと今は思います。
※近所は、中小工場や安アパートなどが多く、多くの国の方が働いていました。埼玉と東京の境目ですが、駅が遠いなど不便さもあって家賃が安くて外国人労働者が集まってくるようになっていました。

初の海外旅行、ビーマン・バングラディッシュ航空に乗るために成田空港に行ったところ、機体故障で出発は遅くなるとのこと。空港近くのホテルに連れて行って貰いました。格安航空券でホテルに連れて行って貰ったと友人と喜んでしまいました(友人と出かけたのは、この旅行が初めで最後でした。この旅行時もすぐにバラバラに別れてしまいましたが)。

半日ほどしてついに出発!初の飛行機と言うこともあり、他との比較はできないけれども、それなりに良いフライトと感じた。途中に経由したバンコクでも何故か出発まで時間がかかったのですが(シンガポールはすぐに出発しました)。
このフライトでは何と言っても印象に残っているのは、ダッカ到着の時だ。強い雨が降る中ダッカの空港に着陸を試みた。眼下に見えるのは、水、水、水。湖に降りるかのよう!友人の時計に付いた高度計(気圧計)では既に高度0メートル未満(今、考えると飛行機の中なので、外と気圧が違うのは当然かな)、雨も降りしきり、どこに降りるか他の乗客も不安に思っている様子がありありと分かる。
到着の時、静かに無難に・・・乗客から拍手と歓声が沸いた!もちろん私も、機長やスタッフ、そして幸運に大拍手を捧げました。こんな飛行機は、後にも先にもこの時だけだった!回りの席の多くのバングラディッシュ人は日本で働いた後の帰国者だった。彼らとの会話もとても楽しかった。
※着陸時の拍手は、よくあることなのですかね笑?私は後にも先にも、この時だけです。

ともかくこの時は水だらけで、乗り継ぐはずだった飛行機も去った後だった。余り良い印象も無かったけれど悪い印象も無かった。
再度、インドの後に寄った際には、カンパコーラ(ある時期インドにはコカコーラが無かった)ではなくコカコーラがあったのには感激しました。アイスクリームもおいしかったし、カラフルなリクシャでふらふらするのも楽しかった。
※街の人は皆しつこいくらい親切だし、橋は流れてしまっていても、良い思いでばかりです。同じ部屋に泊まった韓国人の英語は聞きずらかった。真面目な人間なのか、好奇心旺盛なのか、日本の物価や給料水準についてなどいろいろ質問されたことを覚えている。
ろくでもないことばかり書いていますが(笑)。

taka

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ミニコラム

+ビーマンバングラ
ディッシュ航空+
遅れたことは何回もあるけれど、そんなに悪い印象はない。最近はシンガポール経由バンコク行きでもないようですし、安いからまた乗ることになると思う。

パキスタン

パキスタンのフンザについて特に知識はなかった。いや、パキスタンについての知識がなかったと言う方が正確かもしれない。ともかく中国から早く出たいと思っていたので、中国国境からバスでフンザに着いた時はかなりの開放感を味わった。

(着いてから知ったが)評判高いフンザは美しい山々に囲まれ、落ち着いた雰囲気の街だった。持っていたCDウォークマンにスピーカを付けて、だらだらと音楽を聴くような滞在を続けた。ある日、そんなだらだら生活ではまずいと、デイバッグに荷物を詰めて一人でトレッキングに向かった。体育会でワンダーフォーゲルをしていたこともあり、歩くのは大好きだ。無謀なことに地図も情報も全くなかったのに、山に向かってしまった。険しい道が続いたが、とにかくお昼過ぎまで歩き続けた。
何かに夢中になる私は、登る時は余り景色を見ていなかった。上に行けば何かあるかという好奇心と、実際に上に見えているきれいな景色に夢中になっていた。降りるべき時間になり、ようやく後ろを見て後ろが更に素晴らしい景色だったと気づいた。苦労して登ってきたからかもしれない。自分の周りも含めて視線の先までずっと、切り立った山頂や白い山頂が続いているのは見とれました。美しい自然は、心を和ませてくれる。自然の中でのんびりするのは、少しだけ自然と一体になれるような気がする。

余り周りの旅行者に交わることもなく滞在してしまったためか、景色以外は余り印象的ではない。
ちなみに GOLDEN LODGE 40Rs に泊まっていました。
多くの人が「あの街での滞在は良かった」と言っているので、もっとご飯を味わったり、周りの人との会話でも楽しめたのかもしれない。ちょっと後悔です。

フンザでの唯一ちょっと嫌な思い出、それはギルギットに向かうバスや車がなかなかつかまらなかったことだ。ギルギット方面に向かう車はあるのだが、ジープとかに乗って客待ちしているパキスタン人が邪魔をするのだ。自分の客にしたいばかりに、車が私の前で停まらないようにしていたのだ。かなり嫌な気分だったけれどしょうがないので、諦めて自分の足でギルギット方面に向かった。少しフンザから離れれば普通に車がつかまるのではないかと期待したのだ。案の定、しばらく歩くていると車は自分から停まっってくれた。これが普通だと覆うけれど、乗せてくれたことがとても嬉しかった。ギルギットまでの休憩時間では、周りの乗客が私にいろいろと世話を焼いてくれた。食事もご馳走してもらい、パキスタンの人々の優しさに触れて嬉しかった。こういうことがあると、その前に気分を害していたことは、重要なことではなくなってしまう。

パキスタンの独立記念日はギルギットで迎えた。Madina Hotel のドミトリーは、30Rs で快適だった。ディーンという従業員(オーナーの息子かな)も親切だったし、街で知り合ってあちこち連れて行ってくれ人もいた。その人は毎日いろいろと親切にしてくれた。彼の嗜好を聞いても悪感情は持たなかった。
彼は最後に男が好きなのだと告白してくれたが、私はそういうことはできないと言うと握手して別れた。彼はずっと紳士だったし、最後もそうだった。いろんな旅行者に、ゲイなどの話を聞くことがあった。しかし、自分でそういう人に会ったのは、後にも先にもこの時だけだった。タイではゲイがたくさんいるけど、こういった出会いをしたことはない。

パキスタンの派手派手なバスはかなり印象的だけれど、余りに有名ですし書くことは不要ですかね。日本のトラック運転手もいろいろとデコレーションしている方がいますが、精神状態は同じような感じなのでしょうか。 ラホールの旧市街は雰囲気があって好きだ。もしかしたら夜に歩くと少し危険かもしれないと、昼間だけ歩き回った。城壁に囲まれて歴史を感じるような古い町並み、入り組んだ細い道、屋台やお店もそこかしこにある。けっしてきれいではないけれど、本当に日本とは全く異なる街並みの中にいる瞬間は自分の旅を実感させてくれる。また、そこに少しだけ垣間見える生活も、多くの想像を掻き立てさせる。全く違うからこそ、より新鮮で、もし自分がそこで育ったらと想像させてくれる。その街の人々と少しだけでも近い感覚を持って眺め、意識で理解できたらどう見えるのかと興味深い。
日本にもきっと、歴史を感じさせる素晴らしい街があるのだと思う。だけど、私は日本でも有名な観光地すら回りきっていない。滞在費の問題が大きいけれど、そのうちに車に乗って自炊しながらとか節約して、日本一周をしてみたい。

旅行インフラという意味では余り整っていない印象があるけど、パキスタンは人がいい国だったなと思う。

taka

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++桃源郷フンザ++
旅行者の間では有名な場所、近くに行ったら寄ってみるのも良い。
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