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アフリカ ・・・・・・・ ■ジンバブエ ■ケニア ■ザンビア ■タンザニア ■その他アフリカ

ジンバブエ

マラウィから一緒に旅をしているイタリアン(10年くらい前なので名前は忘れた)。なかなかいい奴だ。パスタも作ってくれたり、とにかく楽しむって事を最重視している。イタリア人って、そういう奴が多い気がするけど、食事もお酒も女性に関しても、全てを楽しんでいる彼は今のところ私にとって一番だ。

ジンバブエの街は発展している。街には人があふれている。歩けばいろいろな人と行き交う。ブラワヨでのこと、彼はいつもどおりにかわいい子を見かけては声を掛けていた。その日は、郵便局で黄色い服を着たロングヘアでスラッとした子が気になるったようだ。確かにかわいい感じがするが、私が思うに顔立ちからかなり若い感じがする。一緒にいる友人と思われる女の子を見ても、やはり若い感じだ。
声を掛け一緒に喫茶店に行った。私も調子を合わせるため、いろいろと話をしたが分かったことは二人が中学生らしいという事。「全く・・・」と思いつつ数日一緒に遊んだが、私はイタリア人はほっておいてバー通いに励んだ(笑)。まぁ、それは良いのだけれど、イタリア人が数日後もまだ彼女と遊んでいるようなので、余計とは思いつつ次の街に行くことを提案した。しばらく渋っていたけれど一緒に行くことにして、駅で・・・。黄色い服を着ていた彼女は、見送りに来て泣いていた。はっきり言って、私はこのことに衝撃を受けた(ある意味、彼に尊敬の念を持った)。しばらく一緒にいたイタリア人だが、そんなに相手の心をつかむことができるなんて。まぁ、タイミングやいろんな条件が合えば惹かれあうことはある。でも、年齢や言葉の問題、決してかっこいいと言うわけでもない彼の容姿。ともかく、自分ももっと積極的にあるべきなのかな、と真剣に考えさせられた。
イタリア人がドミトリーのキッチンでパスタを作ってくれたことがあった。パスタにこだわりがあるわけでもないので「おいしいか?」と聞かれれば「おいしい」と答えた。だが、彼のひとこと「ちょっと茹で過ぎていておいしくない・・・」。なら聞くなよって思った。まぁ、私は味覚には自信もないし、こだわりもないからいいんだけどね(味よりも、見た目がグロテスクな感じのものの方が嫌いだ)。

ジンバブエの鉄道は素晴らしかった。値段や快適さを考えると、アフリカでも特に素晴らしかった。バスも良かったけど。移動がラクだと、その国の印象がグッと良くなるのは私だけかな?

ジンバブエの街(都市)は、どこもきれいな町並みで整っている。大きなビルが林立しているわけでもなく、公園や空き地もそこかしこにあり(行ったことはないが欧州のような感じなのだろうか)、とてものんびりできる。夜に出歩いてもそれほど危険を感じなかった。まだ、問題が起こる前だったからだと思うが、あの時期に旅行ができてよかった。バーなど夜の街も楽しく過ごせた。クラブが好きな私だが、行けなかった(見つけられなかった)のが残念だったが。

ヴィクトリア・フォールズ。凄いね。水しぶきや霧の雨でずぶ濡れになりました。あの大きさ、落差、バンジージャンプ(笑)、アレコレ説明してもしょうがない。近くに寄られましたら行くことをお勧めします。雨季と乾季では違いがあるらしいので、季節は選んだ方が良いらしいです。
三大瀑布と言われる他のイグアスの滝とナイアガラの滝は見たことが無いので主観的な比較はできないので、ちょっと数字で比較してみます。

1.ナイアガラの滝(アメリカ、カナダ)
幅:約1km(米320m、加635m)
落差:56m

2.イグアスの滝(ブラジル、アルゼンチン)
幅:約4km(ブラジル800m、アルゼンチン3200m)
落差:100m(最大)

3.ビクトリアの滝(ジンバブエ、ザンビア)
幅:約1.6km
落差:150m

おまけ.華厳の滝(日光:栃木県)
幅:10m
落差:100m

taka

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ミニコラム

++顔++
白人や黒人の顔を見てどこの国の人かを見分けるのは慣れるまで難しいようだ。でもイタリア系は分かりやすいきがする。特徴ある鼻とか面長な感じ。

ケニア

ケニア航空でナイロビ空港に着くと、そこは予想外にのどかで広々とした場所だった。空港に着いた時からアフリカに来たのだと感じられてとても感激だった。アフリカのイメージをそれほど持っていないので、自然=アフリカを感じたという単純な喜びなのだけれど。タクシーで街に向かい IQBAL HOTEL 210Ksh に泊まった。日本人がたくさんいて、入り口にガードマン、門も2重になっているなど安心感があった(今は違うようですが)。希望通りドミトリーのベッドを確保でき、ゴアでの疲れをいやした。

タイのサムイ島で一緒に飲んだ方と半年振りに再会した。やはり日本人宿では再会が多い。特に仲が良かったという訳ではなかったが、偶然の再会を果たすと何故か知古の仲のような気がしてくるから不思議だ。ちなみに私が彼を覚えていたのは、彼がゲイ(オカマというのか?)と一緒にバーから遊びに行ってしまったからだ。彼の方はすぐに私に気づいたらしいが、サムイではいつも酔っ払っていた私は気づくまで多少の時間を要した。あれこれと出会いを楽しんでいたが、涼しい環境の中で風邪を引いてしまうなどもあった。風邪を引いても日本人もたくさんいて、毎日トランプなどをして楽しく過ごすことができた。
近くのレストランでの食事では、ウガリなどを食べとても満足していた。その他には稀に食べるプリングルス(バーベキュー味を初めて食べて癖になりました)が私にとっての贅沢、と言うかささやかな楽しみだった。フライドポテトとキャベツの組み合わせもあちこちで食べた気がする。ファーストフードには最適だったけれど、何故普及しているのだろう。植民地時代の影響で庶民も食べるようになったのかな。おいしいフィッシュ・アンド・チップスが食べられるとなお良いのに(笑)。

ホテルから離れた場所にある巨大な野外マーケットに行くと、各国からの援助物資らしい品物が山のように積まれて売られていた。ジーンズなども大量に山積みされ、なぜアフリカで大量のジーンズがあるのかと、とても不思議な感じがした。きっと私も含めて先進国の住民はジーンズをよくはいているということだろう。そんな市場の中に一人の日本人がいて、ジーンズを引っくり返したりと熱心に見て回っていた。気になって声をかけてみたところ、価値のある品物が混じっているらしい。私にはそういう価値は分からないけれど、こういうところで探して日本で売ろうと言う儲け口もあるのかと驚きだった。その数年後に、日本で見た雑誌にも、このマーケットが書かれていたので、彼のような人が徐々に増えていったということだろうか。もう、皆が知る頃では何事も遅すぎるのだろうが世界中には自分が考え付かないような場所にちょっとした価値のあるものが転がっているのだろう。

ナイロビには当然クラブもある。夜は同室の方たちと踊りに行った。ただ、気持ちよく踊ることはできないので、あまり気に入らなかった。気持ちよく踊ろうとすると、すぐに邪魔が入るのだ。地方から出稼ぎ目的で出てきた女性が多いのだろう。たまにならともかく、しつこいくらい話しかけてくる。迷惑以外のなにものでもない。
そんな事を思っていた矢先に、現地の英字新聞で衝撃的な記事を読んだ。女達と遊んでいた日本人2人が覚せい剤かなにかで捕まったらしいのだが、一緒にいた7人(位だった)の女達のうち5人がHIVに感染していたという記事だ。恐ろしいな〜と思った。知識としてアフリカの蔓延については、接する機会はあった。ただ、身近なところにいて読むと感じ方がより大きく、より身近な知識になった。
これって旅に行った後に、行ったことのある国の記事などを見ると、気になって読んでしまうのとは・・・関係ないかな。ともかく、私は身近なところで何かがあってから、ようやく実感できる性格なのだ。

昼間のナイロビでは、余り危険を感じなかった。しかし、夜の道路を見ているとあちこちで争いが起こっていた。繁華街に宿をとれば、窓からずっと見ていると必ず見れるのではないかというくらいだった。すぐ近くのバーに行くにも気を使ったが、バーでは小袋に詰められたウイスキーが売られていた。小瓶は飛行機の中などでよく見るけれども、30cc程度のお酒が袋に入れられてバーで売られているなんて初めて見た。それと、バーにはチャットと呼ばれる植物を噛んでいる人がよくいた。覚醒効果があるらしいが、たくさん噛み続けなくてはならないようだった。ナイロビでは、どこでも一般にこういう雰囲気があるって凄い。
ある夜、部屋で飲んでいたお酒がなくなり、一緒に飲んでいた女性がお酒を買いに外出した。すぐなので、余り心配していなかったのだが、しばらく戻ってこない。戻ってきて聞いたところでは、泥棒に襲われたらしい。
周りにいた方が助けてくれたとのことだったが、危ないと分かっていながら一人で行かせてしまった自分に後悔した。まわりの人もそう感じたに違いない。ちなみにその泥棒は、殴る蹴るされてボコボコにされてしまったらしい。かわいそうとも思うが、やむを得ないことなのだろう。

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ミニコラム

++日本食++
ナイロビの日本食は、他の国で食べるのと比べて割高な気がした。日本食は食べたかったけれども、値段を見てすごすごと退散しました。

ザンビア

タザラ鉄道では、音楽が流れていた。電車の中で流れ続けた音楽は、アフリカンビートとレゲエ、何故かマライア・キャリーだった。どれも嫌いではないが、ルサカからダルエスサラームまでの間、ずっと聴かされ続けて頭に焼きついた。電車で音楽を聴かされ続けたのは初めての経験だったし、いい加減やめて欲しいと思った。いろいろ違う音楽ならまだ良かったのだが。
もっとも、インドのポップスを聴かされ続けるよりはまだ良かったと思う(笑)。稀に聴くなら良いが、あれを聴かされ続けるのは私には酷だ。シタールやバジャンなどなら、気にならないと思うが。

アフリカに入ってから、どこかで期限切れの国際学生証を貰っていた。ルサカでの切符購入時に、他人の(しかも期限切れ、しかもカオサンとかで作った偽造品)学生証を割引して貰うために提示した。内心どきどきしたが、不要な心配だった。一瞥しただけで半額にしてくれたのだ。後ろめたい気持ちもあったが、喜びの方が大きかった。購入時の割引額で、ご飯を食べたり部屋に泊まったりできると思えば、罪悪感はどこかに行ってしまった。
タンザニア入国でいろいろと言われることがあると聞き、列車の中では現地の方と一緒になって不安を感じていた。日本人である私だけでなく、現地の方々も賄賂の要求をされる。であれば、自分はなおさらではないかと不安は大きくなった。しかし、それは杞憂であったし同室の方も全て問題なく入国ができた。いつも国境では多少の緊張があるが、現地の方と共に不安な時を過ごしたのは初めてだった。

Vic. Falls    

ビクトリアフォールズでは、国境から街までヒッチハイクした。普段、ヒッチハイクすることは余りないがこの時は感謝!すぐに乗せてくれたし、嬉しかった。今までで、もっとも嬉しかったヒッチハイクはバンコクでだ。ドンムアン航空にてバスを降りた際、財布をバスの中に落としていた。飛行機で飛び立つ直前でもあり、お金が無いことに気づき動転していた私はヒッチハイクをし、走りすぎたバスを追ってもらった。結果、終点まで行ったのだが、財布は見つからなかった。見つからなかったけれど、その善意に感謝したし、郊外のバス終点を見れた(no29エアコンバスの車庫は郊外にあり、田舎の村のような場所だった)。パスポートとチケット、1枚のビザカードを持っていたので、空港に連れて行ってもらいカンボジアに向かった。車に乗せてくれた方は、夫婦で空港で働いているとのことだった。名刺を頂き、旅先から何度かエアメールを送ったが再会していない。
今にして思えば、バンコクに戻った際に電話を掛ける等、もっと感謝の気持ちをあらわすべきだった。こういった出会いこそ、旅の宿で観光地での出会いより重要だった気がする。
カンボジアに着いたらすぐに、失くしたカードの停止等の電話を掛けたことは言うまでもない。ただ、キャピトルホテルの電話が不調なのか、会話中に度々切れてしまい電話代が50ドル以上かかったことを覚えている。こういった不注意による大きい出費に(ちょっとした)痛手を受け、財布等の管理により注意を払うようになった。

ザンビアは、比較的物価が高いと思った。観光地や首都にしかいなかったからかもしれないが、余り特別な印象ない。すぐに移動してしまったので印象が余り無いのかもしれない。次回はもっと滞在したい。
ビクトリアフォールズは多くの旅行者が通る。駅ではナイロビで会った方と再会した。しばし、旅のルートの話を話をしたが、タンザニアから至るルートを逆に回っているようだった。この辺はルートも少なくこういうことがよくある。

taka

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ミニコラム

++ルサカ++
ルサカの治安は悪いと聞いていたのですが、昼間はそれ程の危険を感じませんでした。

タンザニア

キリマンジャロの白い姿や、キリマンジャロからの景色はアフリカの広大な大地をあらためて感じる。ザンジバルに行かなかったのは後悔が残るが、次に行くための目的を残したと前向きに考えたい。ありきたりだけれどダル・エス・サラームはアラビア語で「平和の港」だと聞いた。街は余り安全という感じではなかったが、私は特に被害を受けることはなかった。何となく危険を感じて、夜には余り出歩かないようにしていたからかもしれない。昼間は高級なホテルのロビーをフラフラしたり、日本大使館を覗いてみたりしたが、やはり特に変わったこともない。
途中から部屋をシェアした日本人は、何やらケニアとタンザニアでアフリカ雑貨等を買い付けていた。もうすぐ港に日本郵船(だか何だかの船)が港に着くので、コンテナの1/4スペースに積み込んで日本に送るとのことだった。楽器などを買い込んでいたようだが、余り興味がなかったのかよく覚えていない。トランスの野外パーティや、フリーマーケット等でそういった楽器を見かけるので、もしかしたら彼のような人がまだ買い付けをしている場合もあるのだろうか。

ところで、初めて中国人と間違われた。多くの場所では中国人より日本人観光客を多く見かけるだろうが、ここでは華僑の方がより多い為だろうと思った。こういったちょっとした出来事も日本から遠くに来たと感じさせてくれた。アフリカでも日本人はたくさん見かけるが、やはりアジア等とは比べものにならないくらい少ない。旅のルートや大きな街が限られているため、一度出会った人と何回も会うのだけれど。

アフリカで会った旅行者から感じることは、日本人に限らずアジアにいる旅行者よりパワーがあるということ。アジアだとだらだらしている人も多いし、沈没している人が多い。しかし、アフリカでは逆に「あちこち行こう」「あれもこれも見たい」という人が多いように感じた。白人にしても同じで、何人かと一緒に過ごしたが、アジアで仲良くなった旅行者とはちょっと違う感じだった。

部屋をシェアしていた日本人が街を離れると言うことで、更に安い部屋がある近くのホテルに移った。
そこにも日本人が2人いた。1人は調理器具を持っていて、日本料理風のごはんをご馳走になった。何を食べたのかよく覚えていないけど、コイルヒーターとかでなく、ちゃんと道具を持って旅するのには少しあこがれた。といっても、その後も実行はしていない。荷物を減らしたいからなのだけれど、ちょっとは妥協した方がいいのかもしれない。
会社を辞めて旅に出るにあたっては、パソコンを持っていこうとか、いろいろ考えているけれど、それと共に検討したい荷物の1つだ。燃料はガソリンのやつがいいのかな、山用のコンロタイプだと海外で売っているのか分からないし・・・等と思っています。

タンザニアからケニアに入国する際、以前にケニアに入国した際のビザの日付を水で滲ませてごまかして入国した。一定期間以内の再入国は以前のビザが有効となり、再取得のビザ代が節約になるからだ。その報いがあったのか、国境ではカメラと今まで通過していた国で余っていたお札を入れていた袋を盗まれてしまった。貴重品という認識がそれ程なかった為に、油断してバスの中に置いたままにしてしまったのだ。実際に実額としての被害は余りなかったが、写真が全部無くなってしまったのは悲しかった。その為か、それ以後の旅行にカメラを持っていくことはなくなってしまった。カメラを持って行かない理由は、「重い」「面倒くさい」「どうせあまり撮らない」等あるが、盗られたのも原因になったと思う。

田舎の町は全て滞在が短かったので、余り印象に残っていない。それでは寂しいので、次回はもっとの〜んびりしたい。

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その他アフリカ(マラウィとちょっとモザンビーク)

マラウィの国境では、ビザを持っていたが袖の下を求められた。よくあることと言えばそれまでだが、入国に際して(そういった細かいことでも)良くない印象を与える行動をするのはどうかと思う。もし自分も同じような状況にあると、やはり同様の行動を取るのだろうか。少し粘って、問題なく入国を果たし、街に向かう。両替もしていないし、すぐ近くの街までヒッチハイクで向かった。
街ではまず銀行に向かい両替、途中であれこれ道を確認しながら進んだが、子供も含めて英語を堪能に話す人が多い。多くの部族後があり、英語が公用語として用いられていると中学生くらいの子供に聞いたが本当だろうか。自分の語彙力の無さを痛感したが、皆の親切は身にしみる。こんな風に皆を親切に感じることやのんびりとした雰囲気もあって、入国時のことなどすぐに忘れさせてくれた。ところで、彼女がいる今は違うが、やはり道などを聞く際にはきれいな女性に聞くことが多かった。実際、誰に聞こうかとかいちいち選ぶことはないが、複数ある選択肢としてはそうなることは当然だろう。何だか、1人旅の些細な喜びはそういうところにもあるのだと思う。
靴底がはがれてしまい、バス停で修理していた時、まわりの方が接着剤やガムテープなどを貸してくれた。皆、わざわざ探してくれたりしてありがたかった。その靴は、しばらくして更に壊れ、捨てることとなったのだけれど懐かしく覚えている。

マラウィでの移動のバスは快適だった。アフリカ全般に思うのだが、当初持っていた私のイメージと違い、大きな都市間を結ぶ移動はいたって(比較的)快適だと言うこと。それは、マラウィでも同様だったし、行ったことのない西アフリカでもそうなのかもしれない。書いているうちに西アフリカに是非とも行きたくなってきた。いや、次には行こうと思う。

モンキーベイや他の街はともかくとして、ブランタイヤ等はファーストフードやコンビニエンスな生活が可能だ。他の国でもそうだけれど、首都やいくつかの都会は地方とは全く異なる生活が可能となる。旅に出るまでシティ派とも思わなかったが、コンビニやスーパーなども含めそういった便利なものがあると嬉しくなるのは新しい発見だった。
CARLSBERGの緑色のラベルはよく見るけれども、黒や茶色や他のいろいろな種類があるのをみたのは、マラウィが最初だった。ビールの味はよく分からないけれど、タイが懐かしくなり(日本では特に印象は無かった)ひと通り飲んでみた。

宿はどこも快適で、旅行者には便利な国だと思う。物価や雰囲気、旅行の便利さを考えるとジンバブエと共に、是非もう一度行ってみたい国だ。日本人とは余り会うことも無かったが、たくさんいる欧州人は皆アクティブで話しやすい。こういう雰囲気が作られるのは、その国が居心地が良いからだと思う。

モザンビークは、通過しただけだ。だが、運の良いことに途中でバスの故障があり、予定より少し長く街を覗くことができた。
国境の手続きは、炎天下の中随分と待たされた。何でこんなに時間がかかるのかと、暑さもあって(個人的な)不快指数はかなり上がった。バスの窓から見る街はどこも活気が見つからなかったが、それは地方だからだろうか。内戦が終わりまだ数年と言うことで、その傷跡が大きくそう見えたのかもしれない。
バスの故障時に、街を散策することができた。廃墟のような街に比べて人影が少ないのが印象的で、何だか落ち着かなかった。マダガスカルと共にモザンビークもちゃんと滞在してみたい。

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