
1時間に1本。ベルギーはすぐそこ。(アムステルダム-ブリュッセル)
体調が優れないままアムステルダムに滞在したくない。
街の雰囲気も余り好きじゃないし、もっとカラッと明るく自然があるような場所で療養したい。普段の元気な時なら、友達を作って街に遊びに行くのかもしれない。
さすがに鼻水が出て、熱もあるような状態ではどうにもならない。
むしろ遊びにいけないというストレスや、周辺に出ると「暗ぁ〜い雰囲気」も気になり「この街を早く出ないと」といった気分になってくる。
アムステルダム中央駅に行き、チケットを買おうとする。
チケット販売機でブリュッセル行きを買おうとしたところ、デビッドカードのみをい受け付けていて、クレジットカードは受け付けていない。
空港ではクレジットカードも受け付けていたというのに、この一貫性の無さはいったいなんなのだろう。
国際便のチケットを現金で買える販売機が見つからないので、インフォメーションに聞きに行くとただ左のほうを指し示す。普通に英語で聞いているんだから、英語で答えてくれればいいのに。
(感じ悪いなぁ・・・。)
ヨーロッパではよく感じるけれど、こういったインフォメーションが珍しくない。
むしろ教えてくれたので「良し」と思ったほうが良いくらいだ。
「駅のインフォメーション」と「観光のインフォメーション」について、特に違和感がある。旅行者にとってはどちらも似たようなものなのだけれど、一方は電車だけ、一方はホテルや観光だけ。
仕方が無いことだけれど、それぞれの担当以外はまったく教えてくれない。日本なら考えられないけれど、ヨーロッパではそれが当たり前。
担当者の態度がどうこう言う前に、こういったサービスが当たり前になっている。まぁこれがヨーロッパ標準なのだろうなぁ。
チケットは通行人に聞いて、奥にある窓口で買えることが分かった。
インフォメーションより、通行人に聞いたほうが親切に教えてくれるというのも・・・。
●小便小僧とか。・・・そこから派生して「旅」。(ブリュッセル)
アムステルダム発の列車は、予定通り3時間弱でブリュッセルの駅に到着した。
ブリュッセルには、主要な駅が3つある。それぞれの駅は単純に、北駅・中央駅・南駅という名が付けられている。
とりあえずは観光に便利そうな中央駅の近くで宿を探そうと列車を降りる。
すぐにユースホステルに宿を決めることができたものの、午後2時まではベッドに落ち着くことはできない。ユースホステルではよくあること(入室時間が限られている)だが不便このうえない。
仕方がないので、荷物をコインロッカーに入れる。
少し前の私であれば、ロッカー代(1.5ユーロ)も節約しようとしただろう。が、今日は体調も悪いし、なるべく効率的に動きたい。サッサとブリュッセルの見所を見て回って、のんびりとベッドで休もうと思ったのだ。
歩き始めてすぐに分かったのだが、ブリュッセルの見所は一部地域に集中している。
小便小僧にはすぐに辿り着いたし、有名らしいグラン・プラス広場にもすぐに辿り着いた。
相変わらずというか、小便小僧は大したこともない。
コペンハーゲンの人魚姫像も大したことはなかったが、それと同レベルだろうか。
でももういいのだ。こういうのは「見て感動する」とかが目的ではなく、ただ「見ること」のみが目的なのだ。
以前にも書いたと思うが「人工物の見所」で感動するのは難しいことだ。そして、感動できないのは自分に原因があることも分かっている。
広場については、歴史を感じさせる建物に囲まれいてとても趣があった。
しばらくヨーロッパを離れていたこともあってか、素直に「凄いなぁ〜」と思えたのは収穫だった。
「〜〜なんて、大したことないよ。」
「〜〜なんて、行く価値ないよ。」
そんな単純な台詞だって、実際に行ったことも見たこともなければ、信憑性はない。
「そんなことのために旅行しているの?」
そう言われてしまうとミモフタモナイが、そんなことのために旅行しているわけではない。見所を見て回るのは、せっかくなので「ついで」に見ておこうというのが理由だ。
旅の理由は、旅の経過とともに変わっている。
明確に言葉にするのは難しいけれど、変わっていると感じる。
言葉にするのが難しいというのは「逃げ」であって、明確にするのが不可能なはずはない。
少なくとも旅の最初は「現実逃避」でもあったし、2人で旅立つという「夢」というか「賭け」でもあった。
それが少しづつ変化し、今はどう表現したらより正確だろうか。
もちろん「惰性」という面はある。そして、今になってようやく「自由」ということを求めている。自分の作った「ルール」や「思い」すらにも縛られている自分が、ようやくにして分かったのだ。旅であることが日常となり、まったく違うテーマが浮上してきたのだ。もともと自分にとって課題であったことが。
ルールに従うと簡単ではある。
ルールを外れようとすると勇気がいる。
これは日本の日常でも同じだろうけれど、旅にあっても同様だ。
ルールを外れるからには、少なくとも新しい自分のルールを作らなくてはならない。
「ルールなんてなくても良い!」
当たり前のようにも思う。
「ルールがないというのもルールだ。」
そんな屁理屈のようなことも真実に思えてしまう。
「好きだと思うこと、時間を割きたいと思うこと、自分に素直に生きる。」
いつも思うような単純なことに、今日も思い至ってしまった(笑)。
でも少し前と比べて、1歩くらいは前進したと思えることがある。
それだけでまずは満足しないと。
●情けないことにワッフルを食べていない。(ブリュッセル)
実はベルギーでワッフルを食べていない。
小便小僧の脇であるとか、広場であるとか、駅であるとか、どこでも売られていたのに。そして、小さなお店でも普通に袋入りで売られているのは見た。
聞いた話によると、ベルギー人の多くはワッフルにチョコや生クリームを山のように乗せたりはしないそうだ。おいしそうだけれど、観光用でそうなっているとか・・・。まぁ、どちらも食べていないのだけれど。
ちなみにスーパーなどでは、お店で売っている値段の半額どころではなく、ず〜っと安い値段で売っている。ワッフル1つで2ユーロとか、いくらなんでも高いものなぁ〜。
さて、ベルギー・ワッフルなど本当はどうでも良い!!
だって、興味ないもの。1人でワッフルを食べたいとは思わない。女性と一緒なら、もちろん喜んで食べるけれど・・・(笑)。
こうやって明確に切り捨てることがどんどんできたら、どんなに気持ちよいだろう。
昨日書いたことに関係あるけれど「切り捨てること」の重要性について考えた。
今後の旅について考える上で、そのことは切り離せない。
時間をかければ、今までのようにのんびりと世界を見て回れる。
もしくは、もっとのんびりと時間をかけて、細かく世界を見て回ることも可能である。
半年や1年旅行が延びたところで、費用が大きく変わることもない。
しかし、今は「時間はとても貴重だ」と思っている。
どうやって旅を早く進めていくかこそ、今の私にとっては最も大きな課題なのだ。
単に世界一周をサッサと終わらせるということなら、飛行機で飛べば終わりなので簡単である。しかし、自分が満足した上で「旅を早く進める」ことができなくては意味がない。つまり「切り捨てること」だ。そこに勇気を待たなくてはならない。
待てよ?
勇気?
本当にそんなことに勇気が必要なのだろうか。
自分が行きたいなら、行けばよい。
興味が持てないなら、行かなければよい。
そんな単純なことのはずだ。本当に行きたい場所を削ってまでして「旅を早く進め」たとしても満足はできないだろう。
そう考えると話は極めて単純なはず・・・。
切り捨てるにあたって何が気に掛かっているのだろう。
考えを面倒にしているのは、自分が行きたいかどうかではなく、他人の視線(意見)を気にする自分の心なのだ。
「〜〜に行ったのに、〜〜に行っていないの?」
例えばそんなことを考えてしまう。
今、行こうとしているところでは、ロンドンやパリ、モン・サン・ミッシェル、バチカンなど。
本当に自分が興味があるのはどこ?
バチカンには行ってみたい。宗教の聖地は「感じる」ことが多いし、その後にイスラエルの「嘆きの壁」にも行きたいと思うと、譲れない気がする。
他はどうなのだろう?
どうでも良いことのようだけれど、さすがに自分も「まったく興味がない」わけではない。ロンドンだってパリだって、どこだって行ってみたい。
そういう中途半端な「行きたい場所」をどうやって削るか。
それこそ、切り捨てる勇気なのだと思う。
比較的のんびりな旅をしているので、急ぎ足で駆け抜けていく旅行者もたくさん見てきた。
「時間がないのは大変そうだなぁ〜」と思ったこともある。
しかし、実際にはそれだけだろうか。
実際に時間的制約がある者ももちろんいるだろう。
でも、彼らの一部は、自分が本当に行きたい場所を選択して、切り捨てを行っているのではないだろうか。
それが意識的かどうかは分からない。
でも、満足できる範囲で切捨てを行い、行きたい場所を絞って時間を費やしているのはスマートだと思う。
どこで線を引けばいいのか・・・結論はまだ出ない。
でも、この考えを推し進めていきたい。
旅が終わった後に、自ずからすべてを振り返り、これ以降と以前で違いが見えるようになれば嬉しい。
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