| 新車乗合タクシーでの快適移動。(ベイルート-ダマスカス)
朝9時半頃に、ダマスカス行きのバスがあると日本人旅行者に聞いていた。
しかし、朝8時にバスターミナルで聞いてみると次のバスは12時だという。仕方がないので乗合タクシーの値段を聞く。古い車だったが、1人10ドルだという。
宿に帰ってオーナーに聞いてみると、早朝バスは7時頃に出発するはずとのことであった。そうかぁ・・・、7時に行きたかったなぁ・・・。でも起きられなかったかもしれないけれど(笑)。部屋でメールをしたり、ホームページの更新をする。
だらだらして過ごし、11時頃に宿を出る。
バスで行くと、5ドルで4〜5時間くらい。
乗合タクシーで行くと、10ドルで2時間半くらい。
どちらがいいか、まだ悩んでいた。
とりあえずバスの時間を確認する。朝に聞いたとおり12時に出発とのこと。
乗合タクシーの様子も見に行く。既に待っている人がいれば、そのまま出られるかもしれないからだ。・・・ラッキーなことに、私以外に1人が来れば出発できる。しかも車がとても新しい。ランド・クルーザーのような大きな車だ。
新車のためか、朝聞いた値段とは違い15ドルと言われた。
もしかして、外国人なので高い値段を言っているのかもしれない!?
バスに比べて3倍の値段を払うのもどうかと思い、あきらめてバス乗り場に行こうとすると声が掛かった。
彼の隣にいた英語の話せるレバノン人が言う。
「他の人は15ドルだけれど、10ドルでいい。でも、他の人には言うなよ。」
実際に、他の乗客は15ドル払っていたかもしれない。しっかり見ていたわけではないので分からないけれど、乗合タクシーも場合によって値段が変わるのかもしれない。
すぐに残る1人も現れて、車は出発する。
レバノン出国はいたって簡単。数分で終わった。荷物検査もない。
シリア入国の際に、普通ならビザ代を払わないとならないようだが、無料で15日間の滞在を許可してくれた。レバノンに入るときも無料で済んだし、ビザに関しては最近はツイている!!(まぁ事前に、レバノンビザは北から入ると無料、もしくは安いとは聞いていたのだが。)
乗合タクシーは予定通り2時間半ほどで、ダマスカスのバスターミナルに到着した。
泊まりたかったホテルも空いていたし、運も良い!!
●ダマスカスの旧市街。
ダマスカスには、(ガイドブックによると)世界最古のモスクと言われるウマイヤド・モスクがある。当初はキリスト教会であったとのことであるから、その時代から考えて世界最古ということだろうか!?ちなみに、ビザンチンとイスラムの建築様式が混じったスタイルらしい。
それを取り囲むように旧市街が広がっている。
アレッポの旧市街もなかなかのものだったが、それ以上のものを想像していた。
しかし、市場であるスークは幅10mもありそうな大通りで、特に見て面白いものではない。ただお店がつながっているだけなのだ。細くクネクネとなっている通り、道にせり出している窓や部屋、それらも良いけれど・・・。
旧市街の多くの道は、細く古い。しかし、歴史を感じさせるところもあるが、モロッコのような面白さはない。イランのようなきらびやかさもない。ダマスカスの旧市街はどうも魅力を感じない。
ウマイヤド・モスクは巨大で、装飾もきれいで雰囲気があった。
多くのモスクがそうであるように、広い中庭でのんびりと過ごす人やお祈りをする人々がいる。それぞれに、思い思いに過ごす空間も良い。やっぱり、イスラム教徒にとっての重要な聖地の1つだけのことはある。
ゾクゾク感じるようなことはなかったが、それなりに雰囲気を楽しめた。
●イスラエルの破壊した町。(クネイトラ)
ゴラン高原にあるクネイトラという町は、かつてイスラエル軍が撤退する際に、破壊しつくされた。ダマスカスからは、約70kmほどの場所に位置し、そう遠くもない。
現在は国連平和維持部隊が管理しており、日本の自衛隊も常駐しているらしい。
入域する際には、シリアの警察により許可証が必要になる。
ダマスカスのアメリカ大使館の近くにあるオフィスで許可証を取れるということで、行ってみる。タクシーで25SPほどだ。許可証は無料で、30分はかからずに発行してくれる。
1人であったら、ここまで手続きをしていくのは面倒くさい。今日は、イスタンブールやカッパドキアで出会ったタイ人とトルコ人の2人組と、一緒に行ける事になったので頑張っているのだ(笑)。
バスに乗ってクネイトラを目指す。乗換えが1回必要だが、全てが順調にいった。
それに旅の道連れがいるというのは良い。雑談ができるというのは、本当に大きいのだ!!(笑)
クネイトラは、第4次中東戦争の結果、シリアがイスラエルから取り戻した地である。
取り戻したといっても、廃墟がそのまま残っているだけだ。シリアは政策的に、クネイトラの町を、そのまま保存することに決めたらしい。
建物という建物はほぼ全て壊され、まさに廃墟。
多くは壁が崩れ落ち、折れ曲がった天井が地面に近づき、ひしゃげてしまっている。
いくつか形が残っている建物は、モスク、教会、病院だ。
中でも病院の惨状は凄い。
もちろん塀も内部も、銃弾の跡で埋め尽くされている。
映画に出てくる1シーンかのような町が、現実にあるのだ。
占領していた町からの撤退の時に、この町を破壊して去って行ったということだから、被害者は少なかったのだろうか。それだけが救いでもある。
それにしても、ここまで徹底的に破壊する「情熱」はどこから来ているのだろう。普通の状態では、ここまで全てを徹底的に破壊するというのは考えられない。
宗教的、かつ、生存すること、将来への現実的な懸念、そんなものが一体となって、破壊しつくすことに意義を持たせたのだろうか。
そして、そこまで徹底的に破壊しつくしたからこそ、シリアはクネイトラを保存することにしたのだろう。戦争とは狂気だ。本当に、この町を見るとそう思うしかない。
イスラエルが、パレスティナを含むイスラム国家が、どちらが悪いとか分からない。少なくとも2面外交を行ったイギリスには責任があるのだろう。
パレスティナの民にもユダヤの民にも国家の建設を約束するとかは、その時々の国益のみを考えた欺瞞に満ちた話だとは思う。
珍しいタイ人バックパッカーのクン(えび)ちゃん。タイ人というだけでも珍しいのに、しかも女性なのだ。
この町を保存しておくのは、原爆ドームを保存する日本と基本的には同じような感覚なのだろう。それぞれ、そのこと自体に意義があるかどうかは分からないが、保存したい人がいるなら、それも良いだろう。自然や文化遺産のみでなく、アウシュビッツのように負の遺産もどんどん世界遺産に入れていくのも良いのではないかと思う。
up↑

|