![]() |
旅の日記*一覧 > 旅の日記*地図 |
|
【パプアについて】 パプアは、普通の東南アジアの地域に比べるとずっと遠いのだ。金銭的にも、気分的にも。そして何よりも「他に訪れるところが多くて、ここまで辿り着かない」というのがある(他の人は違うかな?)。今回の旅でも、訪れることは予定していなかった(予算を考えると難しいので)。ボルネオ島を訪れてから、あれこれとインドネシアの旅について考えて、ようやくパプアが視野に入ってきた。しかも、飛行機代が高いので直前まで決められないでいた。 2004年の1年間にワメナを訪れた外国人旅行者は、ちょうど1000人。凄い偶然の数字だが、その数字の小ささにも驚かされる。日本人は、ドイツとベルギーに続いて3番目に多い105人であった。日本人はどこにでも訪れるイメージがあり、数字の少なさはとても意外だ。 ちなみに、街でも一見して旅行者と分かるような外国人を見かけることはほとんどなかった。 ワメナ空港 これは観光客の少ないワメナではやむを得ないのだろうがやめて欲しい。「ワメナ到着!」という感傷に浸ることもなく、人が押し寄せてくると何だか良くない印象ばかりが残ってしまうのだ。私だけかもしれないけれど、空港の外くらいまでは静かにほっておいて欲しいな。 ワメナでは空港到着次第、スラットジャラン(旅行許可証)を提出する必要がある。私たちは、センタニで発行してもらったスラットジャランを提示した。 別室にて取調べ?何だか嫌ぁ〜な雰囲気が漂う中、スラットジャランを調べられる。そして、しばらくして、ホテルを決めるように言われた。ともかくもワメナには滞在はできるようだが、トレッキングに行けるのか不明だった。そして、夕方以降に処遇が決まると言うことでホテルを探しに出かけた。 どこもホテルが高い。質の割に値段が圧倒的に高いのだ。値段にばかりこだわっている訳ではないので、コストパフォーマンスに納得できればそれでよい。しかし、ワメナは高いだけで質は全く伴っていなかった。仕方ないので一番安いと思われる宿に決めたが、水は茶色い。しかも、水が欲しいといわないと出ない。宿の責任ではないけれど、停電も頻繁にある。更に、あとで分かったことだが、何だか夜が騒がしい。コーヒーが飲み放題で、オーナーがいつも笑顔なのが救いだった。 夕方に担当の警察を訪問。なぜか彼の自宅を訪れた。そして一緒に空港のオフィスへ。嫌な雰囲気のまま無言の時間が続く。
ワメナに到着した時から感じていた。服なのか身体なのか分からないが、とても臭いのだ。そんなこと(どんなことだ?)もあったけれど、(紙に書いただけだけれど)契約したガイドは清潔好きのようであった。毎日、違う服を着ていた。 さて出発!ホテル前からベチャに乗る。ベチャとは自転車タクシーのことだ。自転車がタクシーなんて、日本では余り考えられないけれど、ワメナでは最も重要な交通手段のよう。車の10倍くらいは走っている。それよりも、歩行者の方が多いし。そう、ここワメナでは歩いている人が多い。高地と言うこともあるけれど、赤道に近いし暑い。けれども、他の南国に比べて歩いている人が圧倒的に多いのだ。左側通行で割りと整然と歩いているところも何だかいい(笑)。 ベモはワゴンや4WDなど様々だ。たくさんの客がすし詰めに乗り込む。 ベモは小さな売店が1つ建つスゴクモの丘の上に止まった。他には何も人工的なものはない。大自然が広がるばかりだ。 ちなみにトレッキングの予定は3泊4日。1泊目はショコシモ。2泊目はジュアリマ。3泊目はヒトゥギの予定だ。ワメナからスゴクモまではベモ。そして、帰りもスゴクモ近くまで歩いて来てベモに乗るルートだ。 ●トレッキング開始!(ワメナ)
細い川が少しずつ削ってできた崖を、上流に歩いて行ってしまったのだ。う〜ん、どこに行くんだよ。「ちょっと説明して欲しいよな〜」と思いつつポーターと苦笑い。ポーターは耳が聞こえないので、口が聞こえないのだ。ジェスチャーでのやり取りが続く。 昔はベモが走っていたらしいルートを歩き続ける。今ではとても車の走れる状態ではない。 |
|
|
道沿いにあるクリマという小さな村にはすぐに着いた。 ここには軍隊と警察が駐留している。嬉しくないことに、スラットジャランの提出と共にお金も払わないとならない。ワメナ近郊でもいくつかの観光スポットでは、こういったように拝金主義(?)がはびこってしまっているのだ。軍隊や警察が金を払えと言えば、一旅行者としてはお金を払わずにはいられない。う〜ん、国家権力と武力は恐ろしい。 軍隊もラフな感じでのんびりした雰囲気。雑談をしつつ賄賂(?)を渡した。独立運動が活発であったりすれば、もっとピリピリしているはず。そう考えると少しトレッキングに安心感を与えてくれた。何せこれから歩いていく先は山の中。歩き以外に移動手段はない。電気も電話もない。何か事件に巻き込まれても連絡もできないし、逃げることすら難しいだろう。 ●エナック(おいしい)! 昼食に驚き。(ショコシモ)
住んでいる人々の多くは服も着ているようだ。裸でコテカ(ペニスケース)を付けているような男性は、すれ違う人々の10人に1人もいないようだ。そして腰ミノ姿で上半身裸の女性はもっと少ない。 歩き始めてから約2時間。 良い香りが漂ってくる。料理ができるまでにピーナツのような味のする「焼いた木の実(大きな塊をほぐして焼いている)」をつまんだ。なかなかおいしい。現地のパプア人は日常で食べているようで、ワメナの道端でもたくさん売られている。そして、こういった山間の村でも売られている。 昼食はインスタントラーメン。たくさんの野菜を混ぜて、ラーメンと言うよりは野菜スープ。そこに少しの麺が入っている。これがなかなかおいしいのだ。普通に街のレストランで食べるよりも癖がなく、野菜も豊富。そして、何よりも素直に「おいしい!」と思える。これが、その後のトレッキング中に、普段よりも贅沢な食事を楽しむことができる前触れであった。 ●ショコシモの真っ黒な夜。 昼食から1時間ほどの歩きで村に到着した。 村の人口は1200人を越えると言う。私たちは学校の前の広場に腰を下ろしてのんびりしようとした。しかし、、、すぐに子供たちや村の人たちが集まってきた。インドネシア語を勉強し始めたが、さすがに会話は長く持たない。そして、インドネシア語さえも話さない村人が多い。
ガイドが夕飯を準備してくれた。白米、ジャガイモの炒め物に、コンビーフのフライ、野菜スープ。どれもとてもおいしい。しかも凄い量がある。ガイドは食べろ食べろと言うが、とても食べきれないのだ。実際には、ポーターが私たちの残り物を食べていたようだ。でも、そういうことを私たちが気にしたりしないように「食べすぎくらいの方が、明日もたくさん歩ける!食べろ!食べろ!」と言うのだ。 ろうそくの火の中で食べた晩御飯も終了。外は真っ暗だ。この村には電気もないし、他の家にはろうそくもないようだ。村は真っ暗で、既に7時頃には眠りに入っている。暗くなる前から雨も降り出し、散歩もできない。外を眺めつつ、お腹がこなれるのを待った。することもないし、寝ようと思うのだが、さすがに食後すぐに寝てしまうのはまずかいと我慢した。 真っ暗な村で、ガイドたちは別の建物にある調理場で寝ている。私たちだけがシズシズと振る雨の中に取り残されたようだ。あまりの暗さと人の気配の無さに恐怖を感じるほどだった。「電気のない生活」それを初日から少し実感できて、良いスタートだった。 ●ジュアリマまでの崖沿いの道。
石の壁が延々と続き、このままこの地が放棄されて、数万年後に発見されたならば石器時代の生活跡と思われるだろう。沖縄の竹富島などの石垣はとてもきれいだが、ここでも意外なほどにきれいに積み重ねている。しかも、延々と長い距離を、そして、格子状に。 コテカのみを身につけて、サツマイモ畑で作業する人の姿も増えてくる。しかし、全員がそうだというわけではなく「中にはコテカの人もいる」という感じだ。コテカとはペニスケースで、以前はこの付近の人たちはコテカのみを服装としていたらしい。山の奥へ進めば今でもそういった生活をする人の多い地域に辿り着ける。 ●ジュアリマの大きな石。 小学校の前には大きな石がある。子供たちが2〜30人は乗れる石だ。 ショコシモから2時間半ほど歩いて次の宿泊予定の村に到着した。
この村のマンディ場所は、ショコシモよりも更に流れの急な冷たい水の川であった。もしかしたら、早めに雨が降り始めたためにそう感じたのかもしれない。身体は何とか洗ったのだが、髪の毛まで洗うことができなかった。ガイドやポーターも寒いからか、前日は身体をはじめとして全ての服も洗っていたのにマンディをしていなかたようだ。 ところで宿泊した「教師の家」に、巨大なムカデのような虫が出た。
|
|
||
|
●あちこちにある手作りの橋。(ジュアリマ)
それらは全て木や蔓だけで作られている。5m以上あるような橋でも同様にお手製だ。このような橋は誰が作るのだろう。必要に駆られてとは分かるが、地元の村の橋作り職人(?)が仕事で作っているのだろうか。インドネシア政府や州政府の公共事業であったりしたらちょっと面白いと思う。 昔から伝わる作り方なのだろう。。。 そんなことを考えるとタイムスリップしたような気がする。その橋をコテカを付けた男が渡っていたりするのだ。 ●ガイドの言う「歩く時間」は常に長めだ。(ジュアリマ)
初めにルート設定をする際のガイドの説明と実際のトレッキング時間には、大きな差があった。ガイドとしては、短めの時間を言っておくよりも長めの時間を言っておいたほうが不都合は少ないだろう。それにしても、私たちの場合は2倍近い時間で説明されていたようだ。 年寄りと言うわけでもないのだから、そんなに余裕をとらなくても良いのに。そんな訳で、3日目以降はガイドが朝早くの出発を希望しても遅い出発をするように指定した。夕方以降になると雨が降り出すので、早めに出発し到着する大切さは分かる。それに何かあった時にも時間に余裕があったほうが良いだろう。 もっともパプアでのトレッキングの目的は「歩くこと」ではなく「見ること」だ。なので、着いた村の生活を覗かせて貰うには、早く現地に着いてのんびりした方が良い。歩く距離などはこれくらい(1日につき3時間くらい)でちょうど良かったと思う。 ●とにかく握手する村の人々。(ウゲム) 3日目はワメナ方面に向かった。村の人がワメナに向かう時に歩く道であるらしく、多くの人と同じ方向に向かう。 そんな際に、出会った人はお互いに握手をする。私たちも歩いていてすれ違った場合に、頻繁に握手を求められたりする。初めは不思議に思ったが、途中から当たり前のような気がしてきた。山を歩いていてすれ違いざまに挨拶をする習慣は日本にもあるが、パプアでは握手もするといった感じ。もっとも、村の中で会った場合でも握手するし、出会ったらどこででも握手を求められる。それは外国人だからというわけではなく、同様に現地人同士でも行っている。こうしてどんどん知り合いが増えていくとしたら、素晴らしい習慣だと思う(日本のように人が多くてはとてもできないが)。 握手の他に、ダニ人は旅行者が村にやってくると歓迎の歌のような挨拶をしてくれることがある。実際に歌うというわけでなく、「ワーワーアー」などと普通の声の大きさでこちらに伝えてくるのだ。インドネシア語を話さない年配に多かったようだが、独特の表現で興味深かった。 3日目の宿泊予定地ヒトゥギには、歩き始めて2時間後に着いてしまった。まだ11時だし、余りに早い。そんな訳で次の村ウゲムまで1時間ほどかけて歩いた。とても見晴らしの良い小さな村で、トレッキング最後の日をのんびり過ごすにはとても良い感じの村だった。 ●どこの村の教会も何でそんなにきれいなの?(ウゲム) 村の人々の住居は、伝統的な藁葺き屋根のホナイばかりだ。壁も木などで作ってあり、現代文明を感じさせるようなものはない。 私が見た多くの教会は、ホナイとは比べられないほどに綺麗で、しっかりとした壁(しかも真っ白に塗られていたりする)と頑丈な屋根を持っていた。 村人のほとんどがキリスト教とのことだったが、なぜ教会だけがこんなにきれいなのか聞けなかった。村人自身が建てていると言うよりは、キリスト教の布教のために建てているのではとも思った。 こうした教会から彼らの生活が変わっていくのだろうか。 ●物珍しい旅行者観賞!?(ウゲム)
集落内に学校がない場合もあり、毎日山道を1時間以上(帰りもあるので合計で2時間以上)かけて隣の集落に通っている子供たちも多い。そんな話を聞くと、彼らの持久力や体力は子供の頃からこうしてはぐくまれるのだなぁ〜と実感なのだった。インドネシアはオリンピックでもそんなに活躍している印象がないが、こういったパプアの人々が訓練された場合には凄い力を発揮したりするのかとも思う。 ウゲムには昼過ぎに着いたので、子供の姿をはじめとして人影が少なかった。それが時間が過ぎるにつれて村には子供が増え、そして山から帰ってくる大人の姿も目立ってきた。 他の村でも遊んだりしたけれど、カメラを通してであったりしたのだ。写真を撮ったりすると珍しいらしく、凄い人垣ができる(子供も大人も)。持参したカメラがデジカメであったので、撮影後に写真を確認できるので皆が見たがったのだ。 |
|
||
|
●足跡は裸足。(ウゲム) トレッキングしていて見かける足跡の多くが裸足だ。 村の人たちのほとんどは裸足で生活しているからだ。足跡には指の跡がくっきりと残り、坂道などでは指でしっかりとグリップしているのが観察できる。ガラスや危険物がないので、裸足が一番滑ったりすることがないのかもしれない。ただ、山の道には畳石のように、細かい石が敷き詰められていたりもする。そういった道は足の裏がかなり固いか、痛さを快感(?)に感じるくらいでないと歩けなさそうだ。 私たちのポーターも裸足であったが、ワメナの街中では裸足で歩いている人は少数派だった。靴はとても大切にされているようで、破れた後を修理してある靴も良く見た。そういうこともあって、マユの靴を修理するのもごく自然のことだったのかもしれない。 ところで、毎日のように雨が降っているので道はぬかるんでいるところが多い。しかし、現地の人たちは靴や足、そしてズボンが汚れたり濡れたりするのをそれほど気にしていないようだった。 ●意外に短く感じたワメナのトレッキング。そして最後の歩き。
4日目は最初は登りの道もあったが、ほとんどが下りの道か平坦な道だった。そのことが、ワメナに戻ることを意味しているようで寂しくもあった。 ●ワメナ近郊トレッキングの装備。 トレッキングを終わり必要と思われるのは、毛布か寝袋。私たちは寝袋を持参していたが、乾季とはいえ毎夜に降る雨で朝方はかなり冷え込んでいた。長袖や防寒用の服も多少はあった方が良い。 寝場所は清潔とは思われず、何か引いて寝たほうが気分が良いかもしれない。私たちは大き目の私のポンチョをひいて寝た。多少は南京虫やダニ対策にもなるし、汚れにも触れずにすむ。敷くものを持っていくのは良いと思う。 村人はタバコが好きなようだ。持って行って分けてあげると喜ぶ。私たちはタバコをやめていたので、プレゼント用の1箱しかなく十分でなかった。 子供たちは雨やチョコ、お菓子は何でも好きだ。戦争後に米軍兵の回りに群がり「give me chocolate!」というような日本人の姿も想像できる。虫歯などの影響は分からないが、一緒に遊んだりした子供たちにお菓子を分けてあげるととても喜ぶ。 ボロボロの服や、寒い中で凄い薄着をしている。不要な服を持って行くだけで喜ばれる。自分の贅沢な装備を実感できる。特別なものを持っていったわけではないが、服をはじめ懐中電灯すらも村人は持っていない。 薬類。これはとても役に立つようだ。医者ではないので、特別な治療ができるわけではないが、怪我に消毒や薬を塗るくらいはできる。薬を処方するとか、危険のあることはできないが、外傷薬だけでもとても喜ばれた。 ハエが多いので気になる場合には、殺虫剤や蚊帳のようなものがあると良いかもしれない。村で座っていると、ハエの群れが襲ってくる。 ●ワメナ到着。
山の村から歩いてきた多くの人たちがベモを待っているのだ。到着するとすぐに日陰で水を飲んだ。そしてホッとしたというのが正直なところ。 半時間以上待って、ようやく到着したベモは少し大きめのワゴン車の座席を取っ払ったような車だった。待っている人は20人以上おり、そらに、それぞれが荷物を抱えている。果たして全員が乗れるのかと不安も抱きつつ早めに車内に場所を確保した。 とにかくシャワーを浴びたかったのと、ミネラルウォーターをたくさん飲みたかった。 宿の水はあいかわらず茶色いし、冷たい。山の村でのシャワーと大して変わらなかったけれどともかくホッとした。 そして、冷えたコーラを飲んでようやく「元居た場所」に帰ってきたと実感なのだった。 |
|
|
トレッキングに行く前は「田舎で何もないなぁ〜」と思っていたけれど、感覚というのはいい加減だ。 ベチャ(輪タク)が走っていることで便利な道があることを実感できるし、飛行機の離着陸の騒音で豊富な物資を実感できる。今までと違った感じ方ができるのもトレッキングのおかげだ。そういった感覚の変化は長くは続かないけれどとても面白い。それも旅の醍醐味の1つだし、感覚の変化は幾分は身体にしみついて残っていくのだろう。そうやって少しずつでも自分が何か変わっていけるかと想像できると、それだけで楽しい。
「どんどんどん!」 怪しいと思った私たちはもちろん無視。 宿は外国人は私たちだけで、あとは現地出稼ぎ人だけ。安宿なのでセキュリティもないの同然なので何かあったら逃げ場はない。だけれど結局何もなくて良かった〜!
パプアは水がとても少ない。 町の中にある「オアシス」がみんなの助けになっているようだ。 ●パプアからバリへの移動。まるで国境を越えるよう?? ワメナからセンタニ(ジャヤ・プラ)行きの飛行機を待っていた。 早くジャヤ・プラに着いた私たち。 ティミカという場所が経由地点だ。ティミカからはワメナやセンタニには滅多にお目にかからなかった欧米人がたくさん乗り込んできた。不思議に思ったがすぐに謎は解けた。石油が豊富な地域らしく、外資系の会社がたくさんあるらしい。インドネシア人も裕福な人が多く、服装もきれいだ。 機内で2人は大喜び。 飛行機の終点はジャカルタ。けれどもデンパサールで降りる人々が多数だった。 |
|
|
|