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| 【インドネシアでは・・・】 大きな島々を転々と移動。お金のかかるパプアにも奮起して訪れ、最後はバリ島に癒された。 【感じること】 各島によって全く雰囲気や文化が異なり、何度も楽しめそう。きれいな海が多く、美しい自然がたくさん残っている。 【お気に入り】 芸術性と笑顔豊かな「ウブド」(マユ)。1人でなくマユや友人と行くなら「ギリ」(タカ)。 【お勧めは〜】 バリ島の屋台(ワルン)やライステラス、パプア・トレッキング、タナトラジャの伝統家屋。 |
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「・・・ 1000RP ・・・」
ガイドブックに乗っていた安宿が満室だったので、重い荷物を背負いながら歩いて安宿を探した。働いている人が手を止めて、何か困っているのかと助けてくれようとしてくれる。う〜ん、ありがたい。 泊まったホテルの脇の路地の屋台で、麺を食べた。周囲にカメラを向けたら、子供がたくさん集まって大騒ぎ。やたらと元気に「写ろう、写ろう」と頑張っている。その姿を見て、私も元気になる! ただし、タラカンは都会から離れた島であるためか、生活物資の値段が多少高めなようだ。現地の方たちも「他の町よりも物価が高い」と言っていた。 町並みは、海沿いに細長くつながっている。歩いて全てを見て回るには、少し長すぎる感じだ。高層ビルがあるわけではないが、スーパーやお店がたくさん並んでいる。銀行もたくさんあり、生活するには事欠かない。 ●この旅始まって以来の本格的な値段交渉。(タラカン) 安宿に部屋が見つからなかった。訪れた安宿は満室だったのだ。 そんなわけで、中級ホテルに泊まることとなった。とりあえず、手の届く値段のホテルを探す。なるべく10万ルピア以内で宿泊したかった。 2軒のうちの1軒は雰囲気は良いが、ちょっと高かった。シングルの扇風機の部屋に2人で泊まれば安く済みそうではあったが。 シーズンとして客が多いのか少ないのか、ちょっと私たちには分からない。半分くらいは空いていたようだ。そういうこともあり、交渉が可能だったのだが、今までの安宿はあまり「交渉!」と言う感じではなかった。 ●悩みながらもTIDAR号の2等チケット購入!(タラカン) エコノミーは厳しい船旅になるらしい〜、恐ろしい。 どれにするべきか・・・。 エコノミーは定員以上の人数に、チケットを売ることもあるらしい。また、良い場所を確保するために乗船時に戦いがあるとのことだった。(約2,700円) 3等は、6人部屋個室。鍵付きロッカー付。共同シャワー。(約4,000円) 1等は、2人部屋個室でマユと同室になれる。鍵付きロッカー付。室内シャワー。(約5,800円) 敢えて苦労はしたくないということで、まずはエコノミーは却下。この辺は節約旅行らしからぬ決断の早さだ。 ともかくもインドネシアの船旅は未知の領域である。 実はチケットの購入時になって、1等以外は男女別室であると聞いた。それで、1等も少し考えたのだが、インドネシア語の勉強や出会いのためには別室もいいだろうということで落ち着いたのだった。 ※チケットの購入は、ペルニ社のオフィスをはじめとして街中の KAPAL(船) と看板を出した店(たくさんある)で簡単にできる。出航当日の桟橋では、エコノミーのチケットしか購入できないらしい。
タラカンの人々は親切で印象強い。 大人も子供も珍しげにかつ、親切に話しかけてくる。マレーシアから来た今、インドネシア人は”笑顔”がある国だなと思った。基本的に誰もが陽気で話し好き、屈託のない笑顔を見せる。マレーシアと同じイスラム国ではあるけど、この違いは何なんだろうか?? マレーシアで現地語を話す必要がなかったが、インドネシアに入った途端、その必要性を感じた。 タラカンは長く大きな通り沿いは普通の街と様子は変わらないが、少し中の道を入ると雰囲気がぐっと変わる。
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| ●こんなに遅いインターネットカフェは初めて!(マカッサル)
マカッサルの市内にあるインターネットに行った。 店内に入ると、MACアドレスの確認とIPアドレスを割り振られた。そして、いざ接続開始! しかし、遅い! HOT SPOTでは ウイルスバスター の最新版のファイルに更新したいのだが、2時間以上もかかった(閉店の時間になり、結局は諦めることとなった)。 数時間いたが、できたことといえば数通のメールの送受信のみ。閉店が近づいてお客が減るにつれて、多少速度が上がった。閉店の間際には、ようやく普通の速度(といってもADSLなどと比べれば遅い)になった。しかし、閉店であり時既に遅し(回線が遅いのだが)であった。
マカッサルには日本食レストランがある。また、たまに「こんにちは〜」と話しかけられる。 それにしても片言の日本語は多い。それは挨拶程度だけど、日本人の観光客の数に対しては多すぎる気がする。タナ・トラジャの拠点として多少の観光客はいるだろうけど、基本的には歩いていると目立ってしまうくらい外国人が少ない地域なのだ。(と言ってもペテペテやベチャ(リキシャ)の運転手くらいで、それ以外はインドネシア語しか通じないことがほとんど。) タラカンで素朴な雰囲気を味わってしまった私たちは、その客引きがうざかった。 チケットはレジェンド・ホテルで購入した。 朝の7時に宿に迎えの車が来た。しかし、一緒に出発するはずの4人がまだシャワーを浴びているとかでやってこない。白人旅行者は、こういうのが日常であるのは嫌いだ。先に来ていたオランダ人も、遅れているヤツは置いて先に出ようと怒っていた。
あいにくと、乗車したバスの窓はとても小さかった。そんな訳で、エアコンもないし風もない。赤道直下にほど近いこんな場所で、サウナ・バスに乗るとは思いもよらなかった。 暑いのは仕方がないとしても、バスが頻繁に止まるのには辟易させられた。 う〜ん、これがインドネシア、いや、スラヴェシ島のスタンダードなのかもしれないが、まるで皆が自分の車に乗っているかのようにバスを止めるのには驚いた。 車窓から見える景色がとてものどかだったり、きれいだったりした。道路の幅は狭いようだったが舗装状態もよく、劣悪ではない。ただ、これまでの旅で乗ったバスはタイやマレーシアであったためにとても快適で、インドネシアでの初バスが悪いように感じてしまったのだと思う。それと、到着時に乗客をバスターミナルに下ろすのではなく、行きたい場所まで連れて行ってくれる。そのサービスは大変ありがたい。 ●アジア的な、ガイドの客引きによる歓迎。(タナ・トラジャ)
ホテルの従業員だと言って、彼らそれぞれが異なるホテルを勧めてくるのだ。しかし、不思議なことに当人が勧める以外のホテルであっても旅行者について来るようだ。実際には、彼らはフリーのガイドたちである。日々の仕事を得ようと、新しく到着した旅行者にアタックしているのだ。 それにしても、スラヴェシ島に入った途端にしつこい客引きが増えた。マレーシアやタラカンまでは、全くいなかったのが不思議なくらいだ。 |
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| ●ベモで天井に頭をぶつけつつ村を訪問。(タナ・トラジャ)
タナ・トラジャ北部の山間地(奥部)にある村々を訪れるにはベモ(軽のワゴンではなく、ほとんどがトヨタの KIJANG という車で運行されている)を利用する。ロコマタまで訪れるには、そういった交通手段しかないのだ。8人乗りと思われる車に、最大で18人が乗り(または、後ろにつかまり)こんだりする。また、10人以上が集まる(運転手が満足する)まで出発もしない。 ともかくも1時間ほど待って出発。車は快適に勢いよく進むが、身体は上下左右にと激しく揺られる。途中から道路の舗装が激しくはがれてしまっているのだ。中途半端(半分以上はない)に舗装が残ってしまった「雨季の泥の坂道」というのはひどい。しかも混んでいるので身動きも取れない。早く他の乗客が降りてくれないか(明らかに自分たちの方が奥地を目指している)と祈りながら進むのだった。 ロコマタでは、ランテパオを見下ろすことができるパノラマが広がっていた。 子供が多くいて「ハローハロー」と声を掛けてきてくれたりもするが、恥ずかしがっていたり、珍しいモノを見るような視線を投げてくるコもいる。タナ・トラジャには、目がパッチリしたかわいくて元気な子供たちが多いようだ。トラジャ人の特徴だろうか。普段は子供をあまりかわいいと思わない私も「かわいいな〜」と思ってしまう始末だ。タナ・トラジャには子供がたくさんいるようだが、村には特に多い気もする。どこに行っても子供が遊んでいるのだ。 |
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タナ・トラジャと言えばやっぱり観光だろうか?
レモはタウタウだけが並んでいる場所だ。人形の数は多いが、規模は小さい。田んぼの中に突然現れる。 それにしても手前に飾られている頭蓋骨の当人は観光地の看板にされていることを怒らないのであろうか?ちょっと疑問である。 夕方からまた停電になった。ここは今、雨季で夜になると必ず大雨が降る。そうすると必然的に停電になってしまうのだ。宿も蝋燭の貸し出しもないので、自分たちの懐中電灯で過ごすしかない。真っ暗闇だと本当に何もすることがないので早く寝るしかない。退屈だ。向かいにある女子寮の女の子たちは停電の間、歌を歌っていた。そして電気がついた途端、「わ〜〜」と嬉しい歓声をあげていた。毎日これは繰り返されるようだが、「何だか素朴だな〜」と思ってしまうのであった。 ガイドブックを見ると、「タナ・トラジャといえばお葬式」とうたっている。好きで頻繁に行くバリ島もお葬式で有名だが、こちらにも興味がある。 ずっとついて来きていた人をガイドに雇った。自分たちだけでも行けるのだけれど、こういう儀式とかになるとガイドがいると楽にすむことが多い。見させてもらう立場として”何を持っていけば良いのか?”(だいたいは煙草や砂糖などらしい)、どこの村で何時から行われるのか?といったことは1度目の訪問では知ることが出来ないからだ。 案の定、葬式現場には何人かの外国人が居たが、ほとんどがガイド付きのようであった。 マレーシアの犠牲祭で牛が生贄に殺され、解体されていく姿を見たが、今回はさらにもの凄い量の豚の殺生を見ることとなってしまった。(お葬式を見に来たのは殺戮を見に来たためではない。念のため。) 今日の葬式は規模は大きいようだ。全部で約100人くらいはいたかと思う。黒い服をまとった人々がコーヒーをすすったり、タバコを吸っておしゃべりをしてる。普通の葬式と何が違うと言ったらやはり暗くないことだろうか。タナ・トラジャの葬式は膨大なお金を掛けて行われる。よっぽど豊かな人でなければ簡単に挙げることはできない。亡くなってからも何ヶ月、何年も葬式を先延ばしにすることが常のようだ。一定期間の猶予期間があるので日本のように暗い雰囲気はあまりない。どちらかと言うと、”安らかに眠れ・・・”とお祭りのような雰囲気なのだ。これはバリ島と似ている気がする。 豚の大量殺戮(笑)が始まった。 それが終ると、次は豚の皮を焼いていく。毛を焼いてこすってしまえば、もう食べれる状態になる。こんな光景が永遠と繰り返される。何匹ものの豚がこうやって殺されていくのだ。豚は例えば「○○さん家からもらった豚」という具合なのだ。 なんか風変わりな葬式を期待していたが、そう興味深いものでもなかったのが正直な感想だ。動物の殺生(生贄)はここ独特の風習でもないし、殺戮ばかり見るのも気持ち良いものではないからだ。
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