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| 【インドネシアでは・・・】 大きな島々を転々と移動。お金のかかるパプアにも奮起して訪れ、最後はバリ島に癒された。 【感じること】 各島によって全く雰囲気や文化が異なり、何度も楽しめそう。きれいな海が多く、美しい自然がたくさん残っている。 【お気に入り】 芸術性と笑顔豊かな「ウブド」(マユ)。1人でなくマユや友人と行くなら「ギリ」(タカ)。 【お勧めは〜】 バリ島の屋台(ワルン)やライステラス、パプア・トレッキング、タナトラジャの伝統家屋。 |
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※食事中の読みは危険。
黒茶色の姿が、ゆっくりと壁や床を這い回っている。日本とは違って暖かい国で見るゴキブリは動きが鈍い。船内でもそれは同じだった。ただし、不思議と羽のある大人のゴキブリの姿は見ない。目にするのは小さな、または、育っている途中のゴキブリばかりだった。 1〜3等とエコノミーは、入り口が別と聞いていた。しかし、早めに船に向かったために、エコノミーの入り口を通ることになった。この辺は日本人の感覚で言うと逆な気がする。日本なら1〜3等の入り口を、先に準備するのではないか。ここでは、エコノミー内で場所取りの争いがある。そのために、エコノミーの入り口を最初に準備するのだろうか。 エコノミーのベッドを見ながらマユが、 船員が2等は上(第6層)のデッキであると教えてくれた。 第6層に来て、エコノミーとの差を実感した。マユも 見た目はとても清潔なのだけれど、第6層にもゴキブリが徘徊していた。 ゴキブリのことばかり書いてしまったが、船の設備には満足であった。2等室内にあるホットシャワーの出も良い。エアコンもちょうど良いくらいに常に効いている。トイレも汚くない。売店やカフェも多少高いが、まぁ船内なので納得できる範囲だ。というわけで、ゴキブリは衝撃的に多かったが「もう1度乗るか?」と聞かれれば「機会があれば乗る」と答えるだろう。 ※街には桟橋がたくさんあるが、その中でも最南にある桟橋から乗船する。タワウからの船が接岸したのと同じ桟橋であった。
●船での暇な快適ライフ。(TIDAR号) とて〜もインドネシア語の勉強に良い環境! 全く単語を覚えていなかった私だが、100コ以上の単語と簡単な文章の作り方を覚えて下船することができた。 同室の3人のうち1人は、日本語に興味を持っていた。英語の単語も知っていたので、お互いに言葉を教えあえることとなり、ありがたかった。また、他の2人もあれこれと話しかけてきてくれた。覚えたてのインドネシア語で答えたり、質問したりと実践の勉強になった。 2晩目に日本語のできる方と会った。仕事(研修就労のようであった)で日本に行ったことがあるとかで、とても日本語に堪能だった。あちこちの地名などもポンポン出て意外だった。 【暇つぶし状況】 船内では、一切のアルコールが売られていない。暇な船内でお酒を売ると、飲みすぎて喧嘩が起こったりするので防止目的でもあるらしい。イスラム教の国でもあり、そういった理由も含まれているかもしれない。 船内では1日3食を提供してもらえる。それらの食事はチケット代に含まれているのだ。2等の食事は、質量とも満足だった。 1〜3等の乗客は、夜の9〜11時にかけて歌のショー(?)を無料で見ることができる。インドネシア語の歌だけでなく、英語の歌も歌われていた。インドネシア人は、歌手にチップを払って一緒に踊ったりして(近くで踊りだけ)楽しんでいた。お酒も売られていないのでコーラや水を飲んでいる。何だか日本のスナックとかカラオケなどよりもずっと健全な楽しみ方に感じた。 21歳以上の限定ということで、映画も上映されていた。インドネシアのことであるから、限りがあるだろうがセクシーな映画だったのだろうか。 カフェテリアは、日没までは最上層のデッキで営業していた。日没後は第6層での営業となりカラオケなども可能な部屋で営業していた。 船内にはいくつかの小さな売店がある。値段は高いが、ご飯類からお菓子、アイスクリーム、ジュースが売られていた。 いくつかの場所にTVが置かれていた。インドネシア語を理解できない私たちには余り意味はなかったけれども。 船から見える日没はとてもきれいだった。夜中には星の光と船の光の区別もできないくらい真っ暗になる。周囲が全て海に囲まれるのは、外洋に出る船旅でないと経験できない。それも、インドネシアならでは(島国なので船便が多く、比較的安い値段で船に乗れる)の経験かもしれない。
私の同室の人はインドネシア人の親子だった。といっても娘はもう子供もいて私より年上だ。 親子:「○○××&&?」 というような会話になって一向に話が進まない。こういう状態が一番覚えやすい環境になるのだろうけど、これが延々と続くと疲れてきてしまう。でも親切でフレンドリー、かつ船中でお互い暇なんで良い話相手になったことだろう。 |
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私たちはマレーシアで、お酒について楽観的に考えていた。 実際にはタラカンでは冷えたビールにはお目にかかれなかったし、度数の高いお酒も発見できなかった。お酒大好き人間である私(本人は同意しないかもしれないがマユも!)は、毎日飲まないとしても、近くにお酒があると分かっていると安心する。そんな私には不満の残る出だしだった。 タラカンから出発して翌日の午前中に着く寄港地のポントロアンは、ポルという大きな街に近い港だ。私たちはポントロアンに着くなり、外に散歩に出かけた。お酒かビールを探すのと、何か安くてめぼしいものがないかを探しに行くためだ。 港の外に出て、普通のお店に入る。数件目で冷えたビールを発見! 船に帰るまでに、グビグビッと気持ちよく飲み干した。 日本ではビールをあまり飲まなかった私も、暑い国では良く飲む。最近はビールも好きになっているようだ。
ただし、TODAR号の到着はまだ太陽も出ない暗い早朝。 船はマカッサルの町のダウンタウンから見て北寄りの港に到着する。マカッサルは大きな街なので、港から安宿まで歩いていくのは時間がかかりすぎる。私たちはタクシーか乗合タクシー(ペテペテと呼ばれている)に乗ろうとしていた。しかし、あまりにたくさんの方面別乗合タクシーに、どれに乗ればよいか分からなかった。 ペテペテはすぐ(朝の6時半頃)に目的の場所に到着した。 第1にレジェンド・ホテルはシャッターが完全に下りていた。潰れているのかとさえ思った。近くにいたインドネシア人がシャッターをガンガン叩いて、ホテルの人を呼んでくれたので助かった。ホテルの人には早朝で申し訳ないが、ホッとした。 第2にペテペテの運転手が法外な金額を請求してきたのだ。2人で5万ルピア(約670円)。いくら何でも高すぎる。普通のタクシーにでも乗れる金額だった。そんなに払わないが気分は良くない。 そんなわけで、マカッサルは到着早々に悪い印象が重なった。 |
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| ●こんなに遅いインターネットカフェは初めて!(マカッサル)
マカッサルの市内にあるインターネットに行った。 店内に入ると、MACアドレスの確認とIPアドレスを割り振られた。そして、いざ接続開始! しかし、遅い! HOT SPOTでは ウイルスバスター の最新版のファイルに更新したいのだが、2時間以上もかかった(閉店の時間になり、結局は諦めることとなった)。 数時間いたが、できたことといえば数通のメールの送受信のみ。閉店が近づいてお客が減るにつれて、多少速度が上がった。閉店の間際には、ようやく普通の速度(といってもADSLなどと比べれば遅い)になった。しかし、閉店であり時既に遅し(回線が遅いのだが)であった。
マカッサルには日本食レストランがある。また、たまに「こんにちは〜」と話しかけられる。 それにしても片言の日本語は多い。それは挨拶程度だけど、日本人の観光客の数に対しては多すぎる気がする。タナ・トラジャの拠点として多少の観光客はいるだろうけど、基本的には歩いていると目立ってしまうくらい外国人が少ない地域なのだ。(と言ってもペテペテやベチャ(リキシャ)の運転手くらいで、それ以外はインドネシア語しか通じないことがほとんど。) タラカンで素朴な雰囲気を味わってしまった私たちは、その客引きがうざかった。 チケットはレジェンド・ホテルで購入した。 朝の7時に宿に迎えの車が来た。しかし、一緒に出発するはずの4人がまだシャワーを浴びているとかでやってこない。白人旅行者は、こういうのが日常であるのは嫌いだ。先に来ていたオランダ人も、遅れているヤツは置いて先に出ようと怒っていた。
あいにくと、乗車したバスの窓はとても小さかった。そんな訳で、エアコンもないし風もない。赤道直下にほど近いこんな場所で、サウナ・バスに乗るとは思いもよらなかった。 暑いのは仕方がないとしても、バスが頻繁に止まるのには辟易させられた。 う〜ん、これがインドネシア、いや、スラヴェシ島のスタンダードなのかもしれないが、まるで皆が自分の車に乗っているかのようにバスを止めるのには驚いた。 車窓から見える景色がとてものどかだったり、きれいだったりした。道路の幅は狭いようだったが舗装状態もよく、劣悪ではない。ただ、これまでの旅で乗ったバスはタイやマレーシアであったためにとても快適で、インドネシアでの初バスが悪いように感じてしまったのだと思う。それと、到着時に乗客をバスターミナルに下ろすのではなく、行きたい場所まで連れて行ってくれる。そのサービスは大変ありがたい。 ●アジア的な、ガイドの客引きによる歓迎。(タナ・トラジャ)
ホテルの従業員だと言って、彼らそれぞれが異なるホテルを勧めてくるのだ。しかし、不思議なことに当人が勧める以外のホテルであっても旅行者について来るようだ。実際には、彼らはフリーのガイドたちである。日々の仕事を得ようと、新しく到着した旅行者にアタックしているのだ。 それにしても、スラヴェシ島に入った途端にしつこい客引きが増えた。マレーシアやタラカンまでは、全くいなかったのが不思議なくらいだ。 |
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| ●ベモで天井に頭をぶつけつつ村を訪問。(タナ・トラジャ)
タナ・トラジャ北部の山間地(奥部)にある村々を訪れるにはベモ(軽のワゴンではなく、ほとんどがトヨタの KIJANG という車で運行されている)を利用する。ロコマタまで訪れるには、そういった交通手段しかないのだ。8人乗りと思われる車に、最大で18人が乗り(または、後ろにつかまり)こんだりする。また、10人以上が集まる(運転手が満足する)まで出発もしない。 ともかくも1時間ほど待って出発。車は快適に勢いよく進むが、身体は上下左右にと激しく揺られる。途中から道路の舗装が激しくはがれてしまっているのだ。中途半端(半分以上はない)に舗装が残ってしまった「雨季の泥の坂道」というのはひどい。しかも混んでいるので身動きも取れない。早く他の乗客が降りてくれないか(明らかに自分たちの方が奥地を目指している)と祈りながら進むのだった。 ロコマタでは、ランテパオを見下ろすことができるパノラマが広がっていた。 子供が多くいて「ハローハロー」と声を掛けてきてくれたりもするが、恥ずかしがっていたり、珍しいモノを見るような視線を投げてくるコもいる。タナ・トラジャには、目がパッチリしたかわいくて元気な子供たちが多いようだ。トラジャ人の特徴だろうか。普段は子供をあまりかわいいと思わない私も「かわいいな〜」と思ってしまう始末だ。タナ・トラジャには子供がたくさんいるようだが、村には特に多い気もする。どこに行っても子供が遊んでいるのだ。 |
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タナ・トラジャと言えばやっぱり観光だろうか?
レモはタウタウだけが並んでいる場所だ。人形の数は多いが、規模は小さい。田んぼの中に突然現れる。 それにしても手前に飾られている頭蓋骨の当人は観光地の看板にされていることを怒らないのであろうか?ちょっと疑問である。 夕方からまた停電になった。ここは今、雨季で夜になると必ず大雨が降る。そうすると必然的に停電になってしまうのだ。宿も蝋燭の貸し出しもないので、自分たちの懐中電灯で過ごすしかない。真っ暗闇だと本当に何もすることがないので早く寝るしかない。退屈だ。向かいにある女子寮の女の子たちは停電の間、歌を歌っていた。そして電気がついた途端、「わ〜〜」と嬉しい歓声をあげていた。毎日これは繰り返されるようだが、「何だか素朴だな〜」と思ってしまうのであった。 ガイドブックを見ると、「タナ・トラジャといえばお葬式」とうたっている。好きで頻繁に行くバリ島もお葬式で有名だが、こちらにも興味がある。 ずっとついて来きていた人をガイドに雇った。自分たちだけでも行けるのだけれど、こういう儀式とかになるとガイドがいると楽にすむことが多い。見させてもらう立場として”何を持っていけば良いのか?”(だいたいは煙草や砂糖などらしい)、どこの村で何時から行われるのか?といったことは1度目の訪問では知ることが出来ないからだ。 案の定、葬式現場には何人かの外国人が居たが、ほとんどがガイド付きのようであった。 マレーシアの犠牲祭で牛が生贄に殺され、解体されていく姿を見たが、今回はさらにもの凄い量の豚の殺生を見ることとなってしまった。(お葬式を見に来たのは殺戮を見に来たためではない。念のため。) 今日の葬式は規模は大きいようだ。全部で約100人くらいはいたかと思う。黒い服をまとった人々がコーヒーをすすったり、タバコを吸っておしゃべりをしてる。普通の葬式と何が違うと言ったらやはり暗くないことだろうか。タナ・トラジャの葬式は膨大なお金を掛けて行われる。よっぽど豊かな人でなければ簡単に挙げることはできない。亡くなってからも何ヶ月、何年も葬式を先延ばしにすることが常のようだ。一定期間の猶予期間があるので日本のように暗い雰囲気はあまりない。どちらかと言うと、”安らかに眠れ・・・”とお祭りのような雰囲気なのだ。これはバリ島と似ている気がする。 豚の大量殺戮(笑)が始まった。 それが終ると、次は豚の皮を焼いていく。毛を焼いてこすってしまえば、もう食べれる状態になる。こんな光景が永遠と繰り返される。何匹ものの豚がこうやって殺されていくのだ。豚は例えば「○○さん家からもらった豚」という具合なのだ。 なんか風変わりな葬式を期待していたが、そう興味深いものでもなかったのが正直な感想だ。動物の殺生(生贄)はここ独特の風習でもないし、殺戮ばかり見るのも気持ち良いものではないからだ。
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