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いつの時代?どこ?タイムスリップしたみたい!(タルチェン)

漢民族も多く住むアリ、中国料理屋の多いツァンダを見てきた私たちにとってタルチェンの町はとても新鮮に映った!中国料理屋は廃墟と化していて、漢民族は1人も見当たらない。ここは完全にチベタンの居住地区だ。薄茶色の土壁の家々が並び、路地が迷路のようにつながっている。
町の中心には川が流れていて、住民は夕方になると水汲みにやってくる。黄色く映える夕日の下ではしゃぎながら、生活をゆったりと楽しむ姿は本当に趣がある。

チベタンはお洒落だなぁーとは思っていたが、ここへ来て本当にそれを実感する。片肩を出して着こなすチュパ、カラフルな色彩のエプロンをする女性。大きなサングラスをしたおじさんも味があってキザだ。
全財産をアクセサリーとして身に付ける。主流なのはシルバー、ターコイズ、赤い珊瑚、琥珀など。石は大きい物が多く、目立って格好いい。服とのバランスも絶妙で感心してしまう。
髪の長い人(男性も長い人が多い)は細かく分けて三つ編みをしていることが多い。それがまた格好いいのだが、実際に真似してみて分かった。
「髪を洗わないチベタンには好都合・・・。」
髪がまとまっているのでボザボサになりにくく、地肌が汚れにくいのだ。

「タシデレ〜」(意:こんにちは)
と声をかけると、必ずと言っていいほどチベタンは素敵な笑顔で返してくれる。全くタクタク素朴な人たちで、自然と微笑してしまう。ラサなどの都会では会えないチベタンに会えた気がする。

そうして、1日目のタルチェンは早くも過ぎ去った。
高地で見る夕日はきれいで、太陽の光の線1本1本まできれいに見えた。

●ラマに会えた!(タルチェン)

ノリコさん、ノブさんの4人でゴンパらしきものと思われる建物の中に入った。けれど、中は普通の民家の内部のように見える。なぜ?ストーブを囲み、数人の人たちが談笑しているのだ。
奥の席に老僧で穏やかな笑顔をたたえた男性が座っている。最初は彼に向かって軽く挨拶をした。

突然、ノブさんが彼の前に膝ついて正式で丁重な挨拶を始めた。(な、何?)と思ったが、すぐに判明。彼はラマ(高僧)なのだ!道端で会った住民に「ゴンパ?」と尋ねてここに辿り着いたのだが、彼らは「ラマ?」と勘違いしたようで、親切にもラマのいる場所を教えてくれたのだった。それはそれでとてもラッキーな勘違いだ。
次にノリコさんは唐突に涙を流し始めた。ラマに会えたこと、ラマの慈悲深いエネルギーに触れ感動したようだ。涙もろく感情移入しやすいノリコさんらしい。

これからカイラス山をコルラすることを告げると、無事安全に帰ってくるようにと祈りを捧げてもらった。聖水を手に、頭に、口にとかけてもらった。そして、赤い毛糸の紐を頂いた。お守りのようなものだ。
もらい泣きとも言うのだろうけど、ラマに会えて良かった。穏やかな微笑は心に残った。

●カイラス山巡礼の旅!Part.1

待ちに待ったカイラス山の巡礼(コルラ)の旅のはじまり〜〜!
メンバーはランクルチャーター時から一緒のノブさん、ノリコさん、ハマちゃん、マンギョン、岩崎さんだ。

タルチェンの町から歩き始め、6656mのカイラス山の周りをぐるっと時計回りで1周する形でコルラする。高い標高に慣れているチベタンは55kmの距離を1日で歩いてしまうらしいが、普通の観光客は平均3日かけて巡礼する。1日にすると決して長くはない距離だが、慣れない高地で歩くのはしんどい。
が、がである。コルラが終われば現世の罪が洗い流せるらしい!ならば!とやる気が出てきてしまう不謹慎な私でだった。

スタートから2時間ほどは余裕の道程だ。平地で周りの風景も遠く広がっていてスケールが広い。みんな余裕があって氷の上で「氷崩し」をしたり、太陽の光にキラキラ反射する氷をマクロで写真を撮ったりと楽しみながら進んだ。

後ろをのんびり歩いている岩崎さんを除けば、ほぼ同じペースだった6人も徐々に離れてきた。
体育会系と自負する元気なノリコさんと好奇心旺盛のノブさんは順調に進んでいってる。タカとマンギョンも私からしたら息切れなし?と思えるほど快調な足取りだ。ハマちゃんはアリに長く居た私たちとは違い、まだ高地に順応していない。なので、ペースは私とどっこいどっこいだ。
急な上り坂はないのだが、1日目の上りは600メートルを越える。意外にもきつい初日なのだ。

タルボチェと言うチベットの旗(※)タルチョを柱にたくさん付けたものがカイラス山のコルラコース途上にある。
既にたくさんのタルチョ群を見ているが、山の中で見るタルチョは格別だ。タルチョはだいたい峠付近にあるので、ゴールが近いこと、一旦落ち着きましょうという休憩所でもあるようで私は好きだ。風にたなびく5色の旗はとてもきれい。

※峠や聖山、聖湖などにはためく白または5色(白、黄、青、赤、緑)の旗。この旗がはためくたびに、風が仏法を世界中に広めてくれると言われる。

●カイラス山巡礼の旅!Part.2

きつい!非常〜にキツイ!
1日目のルートの、ちょうど真ん中にあるゴンパは山の上にある。酸素が薄くなり、ちょっとした坂を上がるだけでも息切れがする。が、ハマちゃんと私以外は、結構スムーズに登っていっているではないか!私はハァハァゼィゼィ、数分ごとに岩に座り休憩しつつ上を目指した。

ゴンパは「チュク・ゴンパ」。こじんまりとした静かなお寺だ。ここに泊まることもできるらしいが、私たちはお昼休憩に当てただけで、小1時間ほどで後にした。良いゴンパだとは思うが、私の印象は、
「上りのキツいゴンパ」
だけだ・・・。

ゴンパから下っていると、ずっと姿の見えなかった岩崎さんと久しぶりに会った。ずっと後ろを歩いているが、相変わらずタフで元気そうだ。彼は1周しかしないので、ゆっくり景色を堪能しながら歩くつもりらしい。心配は不要のようだ。
やる気満々のノブさんとノリコさんはコルラ3周、マンギョンとハマちゃんは1周。そして私たちは3周(!?)の予定だ。コルラは1周か3周、もしくは13周するのが普通のようだ。

チュク・ゴンパから今日宿泊予定のディラ・ブク・ゴンパまでの距離は景色が退屈で、かつキツい。川沿いを歩くだけだが、石などで足場も悪く緩やかなアップダウンが多い。息切れは収まることなく、たまに休憩して息を整えなければ先に進めない。タカは私よりもペースが速いが、私に合わせてくれていて申し訳ない。

なかなかゴンパが見えない。
山と山の谷間を歩いているので、先が見えにくいのは分かっているが、ゴンパが姿を現してくれない。
後にも先にもそうだったがゴンパは、わざとなのか見えにくい場所に建っていることが多い。距離感もつかめないし、時計のない私たちには太陽の位置だけが頼りだった。太陽が沈み暗くなり、寒くなっても着かなければそれは死を意味する・・・。

私たち2人は太陽が傾きかけた頃に到着した。私は本当につらかったので、着いた瞬間泣いてしまった。つらかったけど、着いた感動は上物だ!久しぶりのこの感覚。運動後のクールダウンは気持ちがいい。
ゴンパの中では先に着いていたメンバーとゴンパの人たちが温かく迎えてくれた。何よりもありがたいお湯を飲み、それからチベタンのパンとスープを頂いた。昼は食欲がなくあまり食べていなかったせいもあってそれらはかなり美味しく感じた。

●カイラス山巡礼の旅!Part.3

2日目は「ドルマ・ラ」という5668mの峠を越えた後、今日宿泊のゴンパまで800m下る予定だ。恐れていた筋肉痛の気配もなく、身体は疲れているものの何とか乗り越えられそうな気がしていた。

ゴンパを出ると、すぐに上り坂が始まる。
また昨日のように息切れが始まり、すぐに(休みたいよぉー。)と弱腰になっていた私。
「ゆっくりゆっくり歩いてなるべく休まない方がいいよ。休むと逆に疲れちゃうからね。疲れたら小股でもいいから確実に歩を進めてー。」
ノブさんがハマちゃんにアドバイスしているのが聞こえてきた。ほっほーと納得し、私もそれに習って登ってみることにした。息切れはするけど、昔、体育の先生が言っていたように「スースーハーハー」と規則的に意識的に呼吸していると楽だということにも気が付いた。昨日のようにたくさん休憩もしないで、ひたすら前に前にと歩いていると意外にも調子良く進める。

前を歩く人たちはどうか分からないけど、私は1人で誰とも会話せず、無心になって歩いていた。
何だか気持ちがいい。
以前に1人で屋久島を歩いたときも、こんな風な快感を感じたものだ。ずっとひたすら歩いていると、思考することさえストップし無心の状態になる。これは瞑想状態と言うのだろうか?こういう自分だけの世界もいいものだ。

段々と雪が増えてきた。うむ、高い場所に上ってきた証拠だ。
カイラス山コルラの道は、そんなにはっきりしているわけではなく複数の道が存在するので、迷う人も多いはずだ。けれど、この雪道に来てしまうと、前を行く人の足跡が前に導いてくれるので安心できる。
先の山上に1、2人の人影が見える。タルチョも見える。たぶんタカが私を待ってくれているのだろう、とぼんやり考えた。
・・・気が付くと、そこはドルマ・ラだった。
たくさんのタルチョが強風にたなびいている。寒さは絶好調(マイナス7度)だし、空気はとても薄い。カイラス山がすぐ傍で静かに微笑みかける。
「ここはどこ?」
私はタカに尋ねた。
「ドルマ・ラだよ。」
そう、当たり前にここはドルマ・ラなのだ。
そんな期待通りの返事を聞いた途端、再び涙が出てきた。昨日もつらかったけど、今日の前半もかなりきつかった!そして、頑張りが実ったのだ。とても嬉しい!

ドルマ・ラからゴンパまでは思ったより距離があるようだ。早めに出発した方がいい、というノブさんのアドバイスで皆、下に下り始めた。
下りは楽だけど、足場が悪い。大きなゴツゴツした石が下に敷き詰められ、足に負担がかかる。折角のきれいな景色も足元ばかり見ていると見る余裕もない。タカと2人で歩いていたが、会話する余裕も生まれなかった。

時期が遅いせいなのか、巡礼するチベタンの姿は稀だ。
今のところ、ドルマ・ラの手前で2組(朝にタルチェンを出たそうだ。ここで追い抜くなんてさすがチベタン!かなりのスピードだ!)、ドルマ・ラで1人の男性に会っただけだ。そもそもこの時期にこれだけの日本人が巡礼しているなんて、これもまた珍しいことだろう。巡礼している人の半分以上は日本人なのだから。

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++コルラ中の
持ち物++

私たちは食料(インスタントラーメン3〜4個、クッキー、チョコレートなど。)・水筒代わりのペットボトル・衣類・防寒具(ジャケット、手袋、ニット帽子など。)・寝袋をデイバックに詰めて持っていった。
だけど、何周もして慣れたノリコさん・ノブさんいわく「寝袋はいらない。」だった。ゴンパは泊まる人が少ないので布団は多めに貸してくれるし、暖房のある部屋に寝させてもらえる場合がある。確かに寝袋が減ると楽!







●カイラス山巡礼の旅!Part.4

夕日が沈むちょっと前にゴンパに到着した。今回のゴンパは食事が付かないが、部屋にストーブが付いているのが嬉しい。ヤクの糞を火にくべ、ヤカンのお湯を飲み、カップラーメンを食べる。とても質素な生活だけど、慣れてしまうとこれも普通に感じてくる。

3日目の道のりは一番楽。距離も短いし、下るだけだ。
だからいつもみたいに早起きする必要がないので、皆寝たいだけ寝た。出発も11時とかなり遅かった。気持ち的にも(あともう少し!)という余裕があったので、楽しい気分だけが勝る。

そんな私の楽しい気分とは裏腹に、タカの体調が優れないようだ。
どうやら風邪を引いたようだ。身体の疲れと寒さと高山の厳しさ。いろいろな要素でそうなっているのだろう。前を歩くタカはどことなく元気ない。一歩一歩がつらそうだ。昨日までは私の遅いペースに合わせてくれたタカも今日は逆のようだ。
今日の私は景色を見る余裕もある。いくつかマニ塚に石を積んだし、きれいな石を見つけ拾うこともした。どうも心が晴れ晴れしていたようだ。これで現世の罪を洗い流せる、とスッキリしていたのか?(笑)

いよいよ見慣れた景色が広がり、タルチェンの町並みが見えてきた。道も車が通れる充分な広さに変わり、生活の匂いさえ感じられるような気がした。
3日目は案の定あっという間だった。1日目のゴールやドルマ・ラの時は泣いて喜んだ到着だったが、本物のゴールはとても呆気なく訪れ、特別な感慨も出なくて涙1滴も出なかった。

先に到着していたノブさんが、私たちにカタ(※)を巻いてくれた。

ゴールは果たした。
巡礼は終わったのだ!おめでとう、おめでとう〜!なのだ!

※スカーフ状の薄いシルクの布(安い物は綿)。お祝いやお別れの席で「タシデレ(おめでとう)」と言いながら相手の幸せを祈って首にかける。ゴンパの仏像にかけたりもする。

●カイラス山巡礼の旅とその仲間たち。

ノブさんと最後に会ったのは2日目のドルマ・ラだった。
下りがとても速いノブさんは、ドルマ・ラ峠から先は1人でグイグイと下り始め、普通は泊まるはずのゴンパを横目に彼は歩き続け、その日のうちにタルチェンの町に到着してしまった。スバラシイ。

翌日に、ノブさんが身体を休めているところに私たちは帰ってきた。そして、翌々日に彼は再びコルラをスタートした。2日で1周するつもりで11時頃に出ると話していたのに、なぜか6時に起きて1日1周に予定をチェンジ!その日の夕方、
「ノブさん、帰るのは夜かなー。」
とみんなで話しているところへ、
ドタン!
部屋の扉が開き、倒れこむかのようにノブさんが帰ってきた。
「疲れた〜!」
かなり、かなり早い帰宅であった!
「いやぁ、疲れた疲れた!朝6時に出発というのは間違ってたね!でも、星がすごいきれいだった!流れ星も「北斗の拳」に出てくるラオウが死んだ時のようなごっついやつだよー。」
疲れているけれど、表情がとても生き生きしていたのが印象的だった。

そして、翌々日彼は再びコルラをスタート。これが3周目だ。さすがに3周目はきつくなったらしく、2日で1周コースにするらしかった。
2周目の時は休憩15分を4回の1時間しかしなかったと言う。そんな風に急いで歩いていると景色を見る余裕も全くないし、写真も撮れない。う〜ん、そうだろう、そうだろう。それにしても凄いパワーだ。これでもタカより年上ななのだ!(笑)

ドルマ・ラからチベタンと一緒に下りて来たノリコさんは、2日目に泊まったゴンパを翌日の早朝に飛び出した。前夜はワクワクしてなかなか寝れなかったらしい。急ぎ足でタルチェンに向かい、到着したのが昼前。寝袋などの荷物を減らし、休憩もままならないうちに再びコルラをスタート。その日のうちに1日目に泊まったゴンパに辿り着き、翌日にはタルチェンにゴール。

翌日すぐに3周目をスタートしたノリコさん。
予定通りに3周目を1日で終わらせたノリコさんは、みんなの前で号泣し始めた。その日はとても風の強い日でタルチェンにいてもゴミが飛び交い、ホコリで前が見えないほどだった。ドルマ・ラを越えたノリコさんに突風が襲い、泣きたくなるような道程となってしまったようだ。

誰よりもスローペースで歩いていた岩崎さんは4日で1周した。
1日目に泊まるはずのゴンパに辿りつく前に野宿(!!)し、2日目はゴンパに宿泊、3日目もまたもや野宿(!!)、4日目に再びゴンパに泊まり、ようやくタルチェンに帰ってきた。

※深夜・早朝の外気温はマイナス15度を下回る。

1日目のゴンパにて・・・。
「岩崎さん、帰って来ないね・・・。」
「この寒空に寝られるわけないよね・・・。」
「早く辿り着けるといいんだけど。外で寝るのって死を意味するよね・・・。」
「・・・・。」
探しに行きたいけれど無理。自分たちまで迷ってしまったら一大事だ。

帰ってきた彼はとてもつらかったという話をするのだが、なぜだか本人はあっけらかーんとしている。
「いやー、2回も幽体離脱してしまいましたよー。」
「誰かの声が聞こえましてね。『1人で歩いてはいけません。』って聞こえましてね。。。」
これはこの人のキャラクターなんだろう。「つらい」という感覚に人より強いんだろうか。
彼は地図を持っているし、目的地までの平均時間を分かっているはずだ。距離を考えないでのんびり歩いていた彼は、本当に危険だ。一歩間違えれば死なのに・・・。が、彼のキャラクターがそうさせるのだろうか。
「大丈夫だったんだ。すごい・・・。」

●カイラス山巡礼の旅と犬。

タルチェンをスタートした時から、犬が何匹かついてきた。
最初は1時間も歩けば戻るんだろうと思っていたが、歩けども歩けども彼らはついてくる。

チベット犬は寒さに対応しているからか、大型のものが多い。毛も長く、温かそうな毛皮の犬が多い。そして、ガイドブックには「噛まれる可能性があるので注意(※)」と書かれている。
でもチベット犬はチベタンに邪険に扱われていると言うべきか、ちゃんと躾がなされているので人間に対しては大人しいし、忠実な印象がある。ついてきた犬も決して吠えることなく、静かに後ろをついてくる。ただ犬同士の縄張り争いはすごいようだが。

※遊牧民の飼うチベット犬は町にいるチベット犬とは違い、侵入者が来ると追い払おうとする。

私たち2人のあとを3匹の犬がついてきていた。休憩をしていると必ず同じように止まり、ゴローンと横になり休んでいる。とてもかわいらしい。1匹、毛が短くやや小さめの犬がかわいいと思い、なでなでしてやった。だからなのか分からないけど、2匹はどこかへ行ってしまったけれど、その犬だけが私たちの後を付いて来た。

その犬を「コルちゃん」と名づけた。
そのあと、マンギョンや浜チャンの後も歩いていたが、だいたいは私たちの後を追ってついて来る。1泊目のゴンパでも、古着の上に寝て待ってくれていた。2泊目は飼い犬がいたので外で寝ていたようで、コルラを始めようと歩き始めると尻尾を振って追ってきた。
かわいい、とてもかわいい。獲付けが効いたのか、タルチェンまで一緒だった。なんと、一緒にコルラしてしまったのだ。これがこの辺に住む犬の習性なのか?一緒にコルラしてしまうなんて素晴らしい!

そしてコルちゃんは、タルチェンのホテルでも私たちの部屋の「番犬」をしてくれていた。もともとの縄張りでもないのに、他の犬に負けずにそこに「居てくれた。」のだ。コルちゃんはメスで、オスにお尻の匂いを嗅がれていたりしたのが良かったのだろうか?

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++アイポット++

チベットなどの標高の高いところで(特に峠らしいが。)アイポットを使用していると壊れる率が高いらしい!
ノブさんが会った人は全員壊れたらしい。だけど、1人だけ壊れていない人がいて、聞いてみると、
「その時はONにしなかった。」
だそうだ!要注意である!

●足がな〜い!(タルチェン)

辺鄙な場所だし、オフシーズンだから車がない!
タルチェンの町は国道から外れていて、トラックや観光客を乗せた車がやって来ることは滅多にない。だからラサ・アリ方面とも、向かう車を探すにはとって苦労する。
ノリコさんとノブさんはコルラを続けるので、残りの4人(私たち、ハマちゃん、マンギョン)は先にタルチェンを出ることにした。浜チャンはアリを目指し、それ以外の3人はラサを目指す。

足を探す方法として、
A.週に一度は来ると思われる郵政省のトラックをヒッチする。
B.タルチェン住人で車を持っている人に交渉する。
C.たまに来るバスに乗る。
Aはその週、私たちが聞いた時にはすでに先客が乗っていた。Bはかなりの値段をふっかけられるOR行きたがらない。Cは情報が曖昧で、しかもバスではなくジープだったりと本当なのかが不明。
といった具合にとっても大変なのだ。

浜チャンのアリ行きもタルチェンからだと足がないので、まずは国道沿いまで出ることにしたようだ。タルチェン近くの国道には、バルガという小さな町が存在する。そこまで行けばヒッチできるだろう、という企みで4人一致した。
ごく稀にしかないジープの姿を見るたびに、
「バルガ?OK?」
と連呼する。バイクにまで声をかけてみたが「NO」という寂しい返事・・・。結局その日は見つからぬまま夜は更けた。さすが西チベット!かなり不便な旅だぁ〜・・・。

翌朝、前回ラマに会った家に行ってみると嬉しい奇跡が。
そこに止まっているジープに交渉をしてみると、バルガまで連れて行ってくれるということになった!歩けば遠いが、車だと1時間程度の道のりだ。全員ほっと一安心の溜息をついた。

バルガでは検問がある、という理由で夜の出発となった。メンバーは探していた4人と岩崎さん。岩崎さんはマナサロワール湖を目指す。マナサロワール湖はバルガを拠点として行く場所なので好都合なのだ。
検問がないだろうということで運転手が夜の出発を選んだが、空しくも検問は夜でも行われていた。運転手が検問を目前にした時に突然、
「この車は5人乗り。誰か1人降りてくれ!」
と言い出した。しかも、旅行許可証を取っていないマンギョンと浜チャンは危ない!2人は検問前スレスレに外に飛び出した。少し回り道をして町内に入るつもりだろう。他人事ではあるけれどスリリングだ!

「パスポートを見せろ、荷物も見せろ。」
警察は思っていた以上に厳しい。チェック行為も口調も威厳があり、こちら側がドギマギしてしまう。と、回り道をしたはずのマンギョンがわざわざこちら側に来るではないか!たぶん検問が済み、車は無事町に入ってきたと思っているのだ!しかも、運転手は(本物の)運転手ではなく、警察なのだ。う〜ん、お金のないマンギョンも罰金を払わなければならないか〜!かわいそうに。

けれど、彼もパスポートの提示を求められただけで旅行許可証の提示は求められなかった。彼は最初に車に乗っておらず、外からふとやって来たことも咎められず、何も問題はなかった。
浜ちゃんは先にホテルで待っていると言う。彼らは許可証がないまま西チベットを周っているが、いつも運良く捕まることがない。運が良いのか、元々許可証は重要ではないのか、どちらなのか分からないけど・・・。

バルガは町の入口にロープが張っており、検問をした車でないと入れないことになっている。中国はとても厳しく、車に制限人数以上の人を乗せていたら罰金だし、旅客輸送の免許を持っていなければお金をもらって人を乗せることができないことになっている。

●な〜んにもない町。(バルガ)

ほ〜んと、小さい町!
人口は予想するところ、30〜40人。家の数も少なくひっそりと静かな町(村かな?)だ。そして極めつけ!(トイレがない町・・・。)中国は仕切りがない、穴がないなど実に様々なトイレが存在するが、ない、と言うことは初めだ!本当アンビリーバボーな世界である。

それから、退屈で疲れる生活がはじまった・・・。
バルガに着けばどうにかなる。そう思っていたのは甘かった。土日という理由もあるだろうけれど、バルガの町を通る車はごく少ない。車の音が聞こえてくるたびに外に走り出て交渉に励む、という行為を繰り返した。
・観光客を乗せているだろうというジープ、ランクル→即効走りぬけていくOR人数オーバーで乗れない。
・トラック→たいがい満席、また行き先がタルチェンやツァンダなどの近郊が多い。

アリに行きたい浜チャンも、ラサに行きたい私たちも運転手に断われてばかり。しかも、ここの検問が曲者なのだ!警察がいると運転手は定員以上の人を乗せることが不可能。だいたい定員一杯に乗っていて、必然的に私たちは断わられてしまう。無念!(とは言え、警察とは仲良くなった。林檎やお菓子を頂いたり、筆談を楽しんだりした。)

車は滅多にやって来ない。
だから、私たちはお茶を飲んだり、食べたり、話したり、子供と遊んだり、本を読んだり、といった具合に暇を潰した。が、こんな何もない町ではそんなことにもすぐ飽きてくる。中央に温かいストーブを囲み、まった〜り、
「暇だぁ〜、ヒマだぁ〜。こんな退屈な町にいたくな〜い。」
と不満の声をあげた。
とは言え、私は結構この町が嫌いではなかった。何もないが純粋にチベット人の住む素朴な町なのだ。

ノリコさんの姿が!
コルラを終えた彼女が歩いてここまでやって来たのだった。聞くと、11時に出発したと言う。ここまで6〜7時間かかったこととなる。さすがノリコさん。気合が入っている!
そしてまた、岩崎さんである。彼はバルガに着いた翌日、マナサロワールへ向かって歩き出した。のんびり派の彼は、かかる時間もさほど考えず、11時頃に出発した。大丈夫かな?と心配していたが案の定、帰ってくるはずの翌日夜になっても帰ってこない。マナサロワールは1周のコルラをしてしまうと5日程度かかるが、彼は途中で引き返す1泊2日を予定としていた。にもかかわらず、である。カイラスの時と同様、幽体離脱を繰り返していなければ良いが。
あれ以来彼には会っていないが、相変わらずのんびりマイペースに旅を進めていることだろう・・・。

●再びランクルチャーターでバルガからシガツェへ。

バルガを抜けられる!
検問で、邪険に思っていた警察官もなんだかんだと親切にしてくれた。彼がチャーター車を探してくれたのだった。車はアリからラサへ向かうジープタクシー。席の空きがあり、私たちをバルガで拾ってくれるということになった。値段は1人1000元と見事に高いが、(交渉不可能だった。)バルガにいるより遥かにマシ!値段に渋っているものの、マンギョンもそう思っているようだった。

だが、この車とっても狭い。旧型のランクルの後ろの座席を改造し横に3人乗れるようにして、無理やり9人乗りにしてあるのだ(満席)。これで1000元はやり過ぎ〜と3人で憤慨した。また標高が高いせいもあって非常に寒い!足が伸ばせないので腰に負担があるし、お尻も痛い・・・。

翌朝、サガの町に到着した。サガはこの辺ではかなり大きい町に見える。そして、、、バスもいる。しかも、シガツェ(ラサの手前の町)行きだ。乗りたい・・・。車はオーバープライスだし、条件が全然良くない。ダメだろう、とは思ったが運転手に、
「ここで降りたい。だから半額でいいだろう?」
と聞いてみた。だけど、
「だめ、だめ、だめ!」
と取り合ってくれない。

私たちは最初に言われた条件と実際が違っていることを理由に車を降りようとしたのだが、認めてもらえない。また、お金のないマンギョンは必死になっているうちにキレ始めた。また、運転手の中国人ボスとチベット人も怒りが増幅されたかのように切れて怒っている。
私たち2人はしばらく話した後、諦めて車に乗り込んだが、マンギョン1人はゆずろうとしない。
「警察へ行こう。警察へ連れて行けばいい!」
などど。韓国人と日本人の違いを垣間見た気がした。韓国人の方が少し気が強いなぁ〜。
だけど、マンギョンは普段は穏やかなのだ。バルガの宿で計算ミスされた時、私たち日本人3人が逆上しているのと、逆切れしたスタッフとの双方に「スマイル、スマイル〜!」となだめてくれたりもした。その時は尊敬したものだが、たぶん怒るところが違うだけなのだろう。(笑)

●人間らしい生活、西南チベットにて。(シガツェ)

シガツェは大都会。チベットの中でも2番目に大きい都市だと言うぐらいだから。
西チベットを旅してきた私たちにとって、ここは(普通の生活ができるトコロ!)シャワーがあって、しかも24時間。ホテルはホテルらしいし、中華料理も西洋料理もある!普通の人間の生活に戻れる!そんな感動がある!

シガツェはタシルンポ寺が有名。私たちは中には入らず、周りの道をコルラすることにした。
小高い丘の上に建つタシルンポの周りには、かなりたくさんのマニ車が並べられている。丘の下からもそれらの金色の缶が見えるくらいだから相当な数だ。ほぼ1周中全部に並べられているので、回し疲れて手が痛くなるほどだ。
チベタンと一緒にコルラしていると、いろいろなことが分かっておもしろい。マニ車を回しながら歌うようにお経を唱えて歩く人。聖石と言われるものの前で立ち止まり、祈りを唱えたり頭やお尻、肩などをそこに擦り付けていく人など。

タシルンポ以外にはシガツェ・ゾンという城塞跡がある。ここはちょうど工事中であるし、修復が進み過ぎていて全くいいとは感じられなかった。中国は本当に(修復好き)だ。きれいになるのはいいが、変にいじり過ぎるのは絶対良くない・・・。

●チベタン・外国人向けレストラン。(シガツェ)

シガツェで西洋料理を食べた。結果、まずい・・・。

そもそもこの町は少し変わっている。中国料理屋に英語のメニューがあるのだ。普通の漢民族は、メニューを英語で書くなんて手の込んだことは絶対しない。たぶん他の地域に比べて、外国人観光客が多く来るのだろう。しかも、それらの値段はローカルメニューのものとは違っていて高い。そんなもの頼みたくもない。

西洋料理は、ほとんどがチベタンが経営する店だ。中国人よりは英語を上手に操れるチベタンは仕事熱心のようだ。だけれど問題は味。材料が足りななどの問題点は分かるが、おいしいとは言い難いのだ。ピザのパンはチベタンスタイルだし、ソースの味も今一歩足りないのだ。

西チベットでは食べ物がなかったり、妙に値段が高かったりしたのが理由で持参のカップラーメンをメインに食べてきた。その中にわずかに入れる白菜が貴重でさえあったぐらいなのだ。それに比べれば遥かにマシだけれど。
う〜ん、せっかく都会にやって来たのに、残念〜!

●古都のおもしろいゴンパ。(ギャンツェ)

シガツェからはギャンツェという古都に日帰りで気軽に行ける。車で1時間程度で行けてしまうし、前は必要であった旅行許可証も今は不要なのだ(同室の日本人が公安で聞いてきた)。

バスで行こうと思っていたが、ミニバス(乗用車)に誘われた。車は新車に近く、きれいで丸みを帯びた最新型のものだ。しかも、バスの2倍はありそうな超特急なスピードで走る!ぶつかって死にそうな勢いだ。このシガツェ〜ギャンツェ専用の車で、一日何回往復できるかが肝心なのだろう。それにしてもスピード出しすぎ!

まずはギャンツェ・ゾン。ひときわ目立つ岩山の上にそびえる城塞で、その姿は近くよりも遠くで見たほうが威厳があり迫力がある。ギャンツェの町のどこからでも見渡すことができるだろう。言わば、町のシンボルでもあるのだろう。

内部は城塞といっても壊れていたり、壊されていたりと破損が激しい。ただ壁だけが残っている感じだ。ただし、小さなお寺もあり、壁画が一部残されている。あとは上から見下ろすギャンツェの街並みもおもしろかった。それだけは見ごたえがあったと言えるかどうか・・・。
どちらかと言うと中よりも、外から見た方が良い。

パンコル・チューデ。ネパールでよく見るような"目のある仏塔"もあり、巨大なゴンパだ。メインとなるパンコル・チョルテン(ギャンチェ・クンブム)の造りはピラミッド式になっていて、上階に行くほどタントラが成立していったプロセスを辿れるようになっている。最上階は宇宙の中心になっているという。う〜ん、神秘的!
中は100部屋はあるのでは?と思うぐらいたくさんの小部屋に分かれている。それぞれに違う神様が祀わられていて、鬼のように怒った神様からふくよかな肉体を持った女の神様まで様々だ。
5階にはたくさんのマンダラの壁画がある。壁画は修復がされているのか、きれいに残っている。私はそれらを見ているうちにとてもマンダラに興味を持った。芸術としても素晴らしいし、宗教観の集大成という風にも映るし、おもしろい。

ギャンツェはとってものんびりとした町。車はほとんどタクシーで、自家用車は少ない。馬やロバが闊歩していたり、学校帰りの子供がのんびり道草を食っているのだ。「漢民族街」以外はチベット特有のバターの匂いが漂い、道は石畳が続く。日帰りで帰ってしまうが、泊まってゆっくりギャンツェを堪能するのもいいかもしれない・・・。

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++バス++

サガやラチェなどの町からラサ方面行きバスは結構頻繁に走っている。チャーターは高いし、足が伸ばせないのでできるのならバスをお勧めする。
ただし、西チベットはアリを拠点にしなければほとんどないと言っていい。(※オフシーズンの場合。)

●バルコルでコルラ・コース。(ラサ)

ラサはチベットと言えども、ビルが立ち並ぶ大都会だ。そんな都会を目の当たりにし、自分自身少なくともがっかりするだろうな〜ぁと危惧していたが、町の中は意外とチベタンの姿が多く、「神の土地」と表現するラサの意味が何となく解るような気がした。
威厳に満ちたポタラ宮殿やジョカン寺院の前は、地方からもやって来た大勢の巡礼者で毎日賑わっている。もちろんチベタンにとっては、単なる「旅行」ではなく「巡礼」だ。真剣にコルラし、お経を唱え、五体投地する。

ジョカンの周りのバルコルはジョカンをコルラする巡礼路でもあるが、賑やかなショッピング街でもある。両サイドはアクセサリー、帽子、チュパ、タルチョ、お守り、マニ車などのチベタン風お土産グッズが山のように売られている。そこでショッピングするのも楽しいけれど、やっぱりおもしろいのがいろいろな地方からやって来たチベタン・ファッション!
ナイフを身に付けた男性、頭に大きなトルコ石を派手に飾りつけた女性はカム地方の人たち。両サイドがグッと開いたチュパを着ている人たち。詳しくは分からないけれど、実にカラフルでお洒落なファッションに身を包んだたくさんのチベタンがゴロゴロしている!これらの人たちを見ているだけで本当におもしろい。一日一度は、たいていここを回っていた私であった!

●ポタラ宮殿。(ラサ)

ポタラはきれいに塗られている!(mayu)
ポタラは意外と小さいな〜(taka)
と2人の感想・・・。

ポタラは世界遺産に選ばれているだけあって、入場料が1人100元もする。行く前に聞いていた話によると、
「ポタラは博物館みたいでつまらない。タダで外から見ている方がいい。」
と、いいことは聞いていなかった。だけれど折角わざわざラサにやって来たのだから、と気合でドーンと200元を払ったのだ。

始めが、一番凄いと思われる部屋だった。13・14世ダライ・ラマが使っていたと言う、かなりゴージャスな部屋だ。最初に入ったからよくは分からなかったが、後から考えてみると多数の部屋の中でも比較的新しく見え、造りも現代を思わせるものだった(※)。高い天井に繊細なたくさんのシャンデリアが輝き、壁画や仏像が神々しく飾られている。

※実際にはダライ・ラマが居住した"政治の中心"である「白宮」は、ポタラ宮でも最初に造営され、宗教の中心である「紅宮」が続いて造営された。ただし、ポタラ宮も日々修復されていたであろうし、中国がチベット侵略後にポタラ宮にも手を入れている。

ポタラは全部で999部屋があるとされているが、実際に見られるのはごく一部だ。たくさんの部屋があって全部見るのは大変だなぁと思って動いてしまうと、あっという間に出口に出てしまうことに気づいた。
順路を歩くと言うことは、チベタンと共にコルラすることと同じだ。ダライ・ラマの王宮はゴンパと同じような扱い(?)のようだ。たくさんの部屋にたくさんの壁画と仏像が並び、チベタンは次々にバター蝋燭をスプーンで載せ、水を入れ、お布施を入れる。こんなにたくさん部屋があるのに全部こうやって祈りを捧げるのは大変なのになぁと思った。

チベット中の宝石はここに集まった?と思ってしまうぐらい凄い宝石の塊がある。
ダイヤモンド、ターコイズ、サンゴなどの重厚な石が5t〜とかあるのだ。暗闇の中でキラキラと光を反射するそれらには目がくらんでしまう。隣でタカが、
「チベットのすごい財産だけど、これって結局今は中国のものなんだよね・・・。」
とつぶやいた。本当にそうだ。中国は財産は奪うし、象徴や歴史物を壊す。

ポタラの外にも巡礼路がある。宮殿の正面は普通の大通りに面するのだけど、チベタンたちは場所構わずそんな「普通の道端」で五体投地してしまう!胸の前、額の前、口元の前、胸の前の順番で手を合わせ、最後には身体を地に伏せ額の上で再び手を合わせる。それの繰り返しだ。チベタンたちの敬虔さには尊敬させられる。

最後にトイレに入ったのだが、これまたスゴイ。トイレがある高い場所から随分と下に見える地上まで、己のものが急スピードで降下していく!これはガイドブックにも書いてあるぐらい有名なものらしかった。

●朝の祈り。(ラサ)

再びノブさんとノリコさんに会えた!
打ち合わせ通り(?)泊まり合わせたYHAのホテルに、偶然にも2人が同じ日に到着したのだ。ノリコさんとは3回目の再会となった。好奇心旺盛の2人と一緒に旅できるのは本当嬉しい。

ポタラに大金を払っていた私たちは、ラサでは一番有名なゴンパのジョカンに行くのを少し躊躇していた。だけどノブさんが言う(ガイドブックにも書いてある)には、朝一番で行けばタダで入れちゃう!とのこと。早速、翌朝チャレンジしてみることにした。
4人ともなーるべくチベタンに近い身なりを心がける。例えば地味目のジャンバーを着るとか、帽子を浅く被るとか!なぜだかチベタンを帽子を浅く被るのだ。

まだ暗いうちにホテルを出たが、結構早い時間からジョカンの周りで五体投地するチベタンの姿があった。彼らはいつも、ジョカンの前で五体投地をしているのだ。
朝靄に紛れて、たくさんの香(サン)の煙と匂いに包まれる。ついカメラを身構えたくなるような光景だ。

私たちは、早すぎず遅すぎないタイミングでジョカンに入った。朝8時半頃に開くのだけど、早すぎると前過ぎて外国人だとばれてしまうし、遅すぎると人の渋滞に巻き込まれてしまう。私たちはラッキーにも普通に中に入れてしまった。入口前にはたくさんの警備人がいたにも関わらずだ。ここで改めて日本人とチベット人の顔が似ているコトに感謝!なのであった。
女の子が1週間連続で朝にトライしたが、見事にバレてしまって入れなかったということもあるらしい。私たちはラッキーだ〜。

中ではポタラのように、いろんな地域からやって来た巡礼客でいっぱいだ。背中を押されるほどに混み混みの中を前に進んだ。私たちもチベタンに習い、お布施を投げ、仏前のガラス戸に頭を付けて祈る。さすがにチベットの中心となるジョカンだけあって威厳があり、壮大だ。

●グルメ・ツアーになった?(ラサ)

ラサはチベット中で一番おいしいはず!
だけれど、そんな期待は裏切られた・・・。

日本食屋へ行けば、汁つけになり過ぎたカツ丼。洋食にパスタを頼むと、中国風の麺に固いヤク肉のソース。素材の不足もあるし、日本食のようにグツグツ煮込むのはここのような高地では難しいなどと、おいしくできない理由は分かるが、高いお金出してまでこれらを食べる理由がない!

が、ラサ滞在の後半で突如グルメ・ツアーに急変した。
まず毎日のように通った韓国料理「アリラン」。ここは、特に冷麺が安くておいしい。同じ部屋だった韓国人男性と5人で行ったり、ネパール国境ツアーで一緒になった韓国人カップルを合わせた8人で行ったりと大御所グルメ・ツアーとなった。
ここでは韓国人と一緒に焼肉を食べると、スープとサンチュが無料で付いてくる。韓国ではこういったサイドメニューは、無料かつお替り自由なのだそうだ。嬉しい特権である!(毎回お通しとしてキムチが付く。これまた辛すぎず、美味しかった!)

また、夜の屋台で出る煮・揚の串モノ。特に煮串はコンブがおでんみたいでおいしかった。ヤクホテル付近にこの2種の串モノとウイグル族の焼き鳥屋が隣合わせて営業している。そこを我々は「黄金の三角地帯」と名づけた!
また町中でよく売られている揚げポテト。または茹でポテト。結構多くの量があるのに1元とお買い得だ。揚げたてに当たればラッキー♪

また、スノーランド・ホテルのレストランは夜の9時以降、ケーキが半額になるらしい!
噂を聞きつけた私たちは早速行ってみた。ケーキは8種類ぐらいあってどれも本当においしそう。避けていた洋食レストランだったけれど、そこだけは雰囲気も良いし多くの欧米人で賑わっている。ケーキも本格的で非中国的。ワクワクしてしまう。向かった5人で2つずつ買い、ケーキはほとんどなくなってしまった。店員がこれで最後だと思ったのか、かなり大きく取ってくれたのも最高だった。
お味の方は・・・。おいしい!!!
特にレモンチーズケーキがおいしい!

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++ただで?++

一緒にツアーを組んだ韓国人カップルはチベタンに変装してポタラに侵入した!(※チベタンは入場料無料。)
彼女はチベット民族衣装のチュパに帽子とマスク。マニ車をまわして完璧なチベタンで侵入も全く問題なし。だけど、彼氏の方はチュパを身に着けていにも関わらず、捕まってしまった!おそらく買ったばかりのチュパと白い顔が良くなかったのだろう。残念!

突然にラサ出発が決定!

冬期には、ランクルチャーターなどをする旅行者はかなり少ない。



ホテルの掲示板に張られるネパール行きツアー募集の紙も、2日に1枚くらいだ。その中でも実際に人が集まって実施されるツアーは少ないようなので、ランクルでのツアーを諦めてバスでネパールに行く旅行者も多い。
私たちもいくつかのツアーに問い合わせたが、人が集まっていないか、日付が変更されるなどしていた。

(そろそろちゃんとネパール行きを決めないと。)
そう思っていた矢先に声がかかった。掲示板の前で張り紙を眺めていると、参加者を探している旅行者からよく声がかかるのだ。皆、何とかしようと頑張っているのだろう。私たちは割りと楽観的で、そういうことはしていなかったのだが。
その時は、別の掲示板の前で話した旅行者だった。彼はエベレストB.C.とラサ間を往復する仲間を探しているが、私たちの希望の行き先(ネパール)も覚えていたのだ。
「中国人がネパール行きの仲間を探していたよ。」
(中国人かぁ〜、中国人以外がいいなぁ・・・。何だか英語も通じないかも・・・。)
(反日感情とかあったら面倒だもんなぁ〜。)
ワガママにもそんなことを考えてしまったが、それは杞憂だった。直後に、その話の人たち(2人)が現れ私たちに話しかけてきた。
「ネパール行きですか?(英語)」
「ええ。ヤムドク湖経由なら、何でもいいのですけど。(英語)」
ちょっと話を続けつつ、お互いに何だか日本人のような気がしてきた。
「日本人ですか?」
そう聞かれて安心して日本語で答えた。その後に分かったのだが、1人は日本語がペラペラの韓国人だったのだが。

彼らはここ数日、真剣に仲間探しをしていたらしい。もう1人の仲間が数日後に中国ビザが切れてしまうので、その前にツアーを実施したかったのだ。
バスではエベレストB.C.をはじめ、どこにも寄らずにネパールに行ってしまう。そんなわけで、観光しながらネパールに行くツアーを選ぶ旅行者は全般に多いのだ。

一緒に行くことになったのは以下の3人。
マサキ君 中国に留学していた日本人学生
グラさん チベットに何回も来ている日本語ペラペラの韓国人
ジュン(ジ・フン)さん 大学を休学し旅行している韓国人

●日本語ペラペラのグラさん。(ラサ)

本当に日本語がペラペラで驚いた。

しかも、勉強したこともなく、TVゲームとTVドラマ、それと実際の会話だけで覚えたのだという。難しい会話をしても大抵は通じる。TVドラマに出てこないような"下痢"、"ゲロ"など意外な単語は知らなかったりしたようだが、それにしても日本に住んだわけでもない彼のペラペラさには正直"凄い!!"と驚いた。
おまけに日本の歌やドラマにとても詳しい。日本語をそれらで覚えているので当然かもしれないが、私なんかより余程そういったことに詳しい。歌のイントロを聴いただけで大抵の歌の名前も分かってしまう。そして口ずさんでしまうのだから!!・・・しかも、知っている歌の範囲もやたら広く、彼のipodに入っている歌のほとんどは日本語の歌だった!!

●ヤムドク湖は青かった。

マユがどうしても行きたかったチベットでの湖。
余り期待していなかったが、本当に写真のように青くきれいだった。上から眺めると真っ青で、色を加工された写真のよう。近くで見る水は澄んで透明だった。
「おお〜、凄いね〜。」
「きれいだ〜。」
「青い青い〜。」

皆、5000m超の峠を越え、湖が目に入った途端に声を出した。

「写真、写真、5元。」
しかし、これは雰囲気をぶち壊しだった。
たくさんのチベタンが観光客を待ち構えて、ヤクやチベット犬と一緒に写真を撮るようにしつこく勧めて来たのだ。観光地なのだけれど、動物との写真を撮るために来るのではなく、湖を見に来たのだからもっと静かに見たい。

トイレに入った途端にチベタンが数人走ってきた。
別にその辺でしても良かったのだが、ちょっとした塀が作ってあるトイレがあったので利用したのだ。まさか、それでお金を請求されるとは思わなかった。「お金、お金、2元、2元。」
しかも、トイレ代が2元とは高すぎる。
一緒にいたマサキ君がやけになって(?)5元払ったが、チベタン同士で取り合いになりお札を半分に破ってしまった。そんなこんなで、私は払わずに済んだのだが、強引さがとても目についた。

まぁ、そんなことも忘れてヤムドク湖沿いを走り続ける。
湖は本当にきれいで、嫌なことも忘れて眺め続けた。道は比較的きれいで、街に近づくと色も多少濁ってきたようだが、やはり独特の青さは含まれていた。カイラス山のコルラ中に見たマナサロワール湖も青かった。世界的には全くマイナーなチベットの湖だがナカナカやる。やはり見る価値があるのだった・・・。


●ギャンツェ再び。

ツアーで再訪することになったギャンツェだが、到着したのは6時を回っていた。私たちはゴンパには前回訪問した際に入っていたので、入るつもりはなかった。でも、ともかくも皆と一緒に入口まで行く。

入口でフラフラと写真を撮り、チケット係が入るのかどうか聞いてくる。断っているとなぜか値段がどんどん下がる。
3人は10元で入ることに。でも、私たちはそのまま入口で待つ。すると5元に下がった。前回に40元で入ったのに、5元になるとは!
でも、私たちのいるゴンパの門から見える正殿の門は閉まっている。奥は・・・メインの仏塔はどうなっているのだろうか・・・。

「門は全部閉まってました。」
マサキ君は残念そうに言った。
(う〜む。全ての門が閉まっていては、入場料を払う意味はほとんどないじゃないか!?入らなくて良かった〜!)

そんなわけで、ゴンパを訪問するのにもやはり時間が重要なようだ。
日中でも入場料は下がるかもしれないので、入る前に入口をフラフラしてみるのもいいかもしれない。

その後、暗くなる道をシガツェに向かった。シガツェも訪問済みなので特に興味はなかったのだが、翌朝にタシルンポ寺の周りやパンチェン・ラマの夏の離宮を見に行った。

(それにしてもタシルンポは行った方が良かったのかなぁ?)

五体投地。(シガチェ)

シガチェは11時までしかいられない!
一度は来ているものの、貧乏性な私はシガチェでもう一度「何か」を見たい。

早起きした私は、歩いていけると思われるタシルンポ寺へ向かった。朝早かったのでタダで入れるかな〜と企んだのだ。だが、空しくも入口にて、
「Hello〜?」
と呼び止められた。別にお金を払ってもいいのだが、出発まで時間がなかったので無駄かな?と思い入るのは諦めた。

この前来た時と違い、朝が早かったので公園前(タシルンポを正面に見える位置)や寺周りをゴンパする人たちが五体投地をしている。決して無理をせず、自然体で祈りを捧げるチベタンを見ていると清々しい気持ちにさえなる。これが一日のスタートとなるのならとても素晴らしいこと!と思った。

それに感化された私は(笑)見よう見まねで五体投地をしてみた。
高地に慣れた私にはひとつも苦しいことはなく、いわば気持ちのいい朝の運動だ。膝を地面につけるならまだしも、額を地面につけるのは抵抗があるように感じていたが、やってみると大したことはなく、むしろ気持ちがいい。
終わってから自分の黒いズボンに赤い線維がたくさん付いていた。それは自分の服の線維ではなく、他のチベタンの衣服から出たもののようだ。なんだかこういうのもいい。

それからタシルンポの周りをコルラした。時間の都合で途中の旧市街へ降りれるショートカットをしてしまったが、祈りというよりは「運動」となった。
朝早く起きて散歩、そして五体投地してコルラをする。ああ、なんて健康的?!

●シェーカル(ニュー・ティンリー)への道。

ラチェまでは普通の砂利道で順調に進んだ。
お昼でランクルはレストランに停まる。朝食を食べていない皆は喜んで車を飛び出した。
「やっとご飯だね〜。何食べる?」
「西洋料理もあるって書いてあるよ。」
メニューを確認。
「・・・。」
余りに値段が高い。でも、敢えて食べるならサンドウィッチだろうか。
「チキン・サンドウィッチ!」
グラさんが注文すると予想外の答えが!!
「サンドウィッチはありません。」
(う〜む。これでは食べたいものはないうえに、値段は3〜4倍。最低だ〜。)

「あっちに中華料理があるよ。」
そういうマユの誘いに素直に乗って、通りの反対側の中華料理店のメニューを見に行った。案の定、そちらは普通の値段。皆でお店を移動して中華料理を食べた。味はかなりイマイチだったが、まぁ安かったので我慢、我慢。
(それにしても、あんな高いところに連れて行かれて、そのまま食べる人は少なそうだなぁ〜。)

ラチェからの道は最悪だった。ほとんどが工事中で、全く平らな部分がない。気持悪くなるくらいぐらぐら揺られつつシェーカルまで我慢した。

シェーカルでは翌日のエベレスト自然保護区入域のために、入域料を払い(65元/1人 & 405元/車1台)美しい星空を見ながら寒い夜を過ごした。布団が薄かったのと、寝袋を使わなかったのがマズク、本当に寒い夜だった。

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++ネパール行き++

バスでラサからカトマンドゥまでは、580元。メインのバスターミナルより。
ラサ、シガチェからダム行きのバスがあり、そちらはもっと割安(ただし正式には外国人はン乗れない)。

エベレストB.C.を経由する場合は、1台3〜4000元(車や時期により異なる)。直行で行く場合にはもっと安い。

飛行機で飛ぶことも可能だが、バスやランクルの2〜3倍。ただし、車では数日かかるので、お金に余裕があり時間がないのなら飛行機の方が良いに決まっている!

●チョモランマ(エベレスト)を見た。

正直言って、カイラス山の方が美しかったと思う。
チョモランマも良いが、世界一でなかったら、そんなに注目される山ではないかなと感じた。

しかし、ヒマラヤ山脈は全体としても十分に美しいし、チョモランマだけでない魅力がある。強風と日中の太陽熱の影響か、頂上付近から煙か雲が立ち上っている。夕刻にはその煙が赤く染められ、とても美しい。そういった自然現象は予想外の美しさを見せてくれる。



私たちが泊まった宿は、ゴンパの正面にある。冬はそこしか宿泊施設がないので選択の余地はない。それを良いことに値段は普通の倍の40元。高いのに設備は貧弱だった。2年ほど前まで宿泊費は高くないものだったらしいが、旅行者が数多く訪れるようになったために変わってしまったのだろう。
しかし、宿の部屋の窓の正面からはヒマラヤが見える。窓も大きく、美しい星空も覗けるので納得した。

ゴンパからエベレストB.C.までは、夏期は80元のバスで移動するか歩きで行く必要がある。しかし、冬期はバスもなく、車の立ち入り禁止を監視する警察もいない。私たちは80元を払うことなくランクルでエベレストB.C.に向かうことが出来た。うん、たまには冬に来ることでいいこともあるのだ。・・・寒くて面倒なことも多いけれど。

ちなみに、ランクルにはポーランド人(日本語ペラペラ)と香港人のカップルがヒッチハイクで乗り込み、いつもより狭いがワイワイと賑やかな移動だった。

星がきれ〜い!(エベレスト)

夜空を見上げると、満天の星!
深夜になるまではホテルやレストランの電気が邪魔していてよく見えないが、消灯になった後は見事に星が見渡せるのだ。

布団にくるまってヌクヌクしていたがトイレに行きたくなりベットの外に出ると、タイミング良く消灯の時間。外に出ると、ちょうどマサキ君も出てきていた。
「うわーー凄い星空!!」
そしてその瞬間、おおき〜な流れ星が!
ちょうど2人とも目撃し、
「見た?」
「見た〜!すごいでっかかったぁ〜〜!」
と感動し合った。

エベレストの夕日も朝日もきれいだったけど、この星空は格別だ。
こんなにきれいな星空を見れるのも一生に数少ないのだろう・・・。

エベレストB.C.からティンリーまでのヒドイ道。

河原を走る悪路が続く。
この悪路ぶりは、中国でも最悪の部類だ。他の国には、こういった道はざらにはない。さすがに中国は工事も中途半端、工事を実施してもお粗末な様子。そんな中国を早めに離れられるのが嬉しくもある。
斜面の道まで凍りつき、タイヤが何回も摩擦を得れずクルクル回転してしまう。
「しかたない。外で押そう!」

氷の上に砂や泥をかけてタイヤが滑らないようにする。そして、男4人で真剣に車を押す。道は荒れているし、冬期には"移動に関して"あまり良いことがない。
しかし、何だか時間も掛かるし面倒だけれど、車が無事に通った際には微妙に達成感があった。

大きな川が道を横切っている。水はシャーベットのようになっており、深さもタイヤくらい(いや、もっとか?)にある。とてもそんな川を渡れるとは思わなかったが、ランクルは何事もないように渡りきる。トヨタのランクルは、チベットではとても評判がよく、評価も高い。私たちも納得の性能で、渡河しきった際には車内で気持ち良く運転手と車を褒め称える拍手が起こった。

我慢してティンリーに辿り着き、ポーランド人と香港人を下ろし、ご飯を食べる。ティンリーのご飯は高めだが、おいしかった。

●予定を変更し、ティンリーは通過してダムへ。

ラサ発ネパール行のツアーに参加してから、夜の時間などにすることがなく時間を持て余していた。そんなわけで、ティンリーに1泊しても、大して面白くもない夜を過ごすことが目に見える。
「少なくとも国境に行けば電気もレストランも、シャワーもあるよね・・・」
「そうだよね。夜もいろいろできそうだしね〜。」
「大きい町がいいね〜。」
「温泉もいいね〜(打たせ湯だけど)。」

一気にネパール国境を目指すことにした。うまくいけば、その日のうちにネパールまで入り、温泉に行きたいと目論んだのだ。

グラさんの友人である韓国人2人と偶然に出会い、ヒッチハイクで乗せることになったりと時間を浪費し、残念ながらネパールには辿り着けなかった。

でも、ダムはシャワーは普通にあるし(お金を払うが)、電気も十分にある。TVもあるし、いつもの夜に比べると時間を有意義に使えた。晩御飯は、中国「最後の晩餐」ということで中華を選択。7人でお皿をたくさん並べ、とても美味しい食事だった。
(最後に、世界一安いかもしれない中国のビールを、余り堪能しなかったのが心残りだ・・・。)

田舎の夜も、星が綺麗に見れたりと良いこともある。が、この時期は寒すぎて外に長くいることもできない。田舎では、電気もなく、お店も早く閉まってしまう。暗い部屋で起きていても仕方がないので、結局寝るしかないのだが、それでは朝方の暗いうちに目が覚めて布団の中ですることもなく困る。
TVを見たり、パソコンをしたり、お酒を飲んだりで満足する私は、自然派ではなく都会派だな〜、と実感。

●ダムからコダリへ、ついに中国出国!

中国のイミグレ、遅すぎ!

私たちは並んでから1時間半待たされた。列は10mくらいしかないのに・・・。窓口が1つしかないということと、作業が遅いことなど複合的なものだろうが、この遅さが恒常的だとすると旅行者の中国に対する印象(それも、最初か最後)はグッと悪くなるだろう。

イミグレには関係ないけれど、チベタンは列に並ぶ時にぴったりと身体を寄せ、前の人に触れてくる。ひどい時には押してくる。服がバター臭くなるので触れて欲しくないし、押されるのは押し返さないとならないのでもっと面倒。
イミグレでもずっと後ろのチベタンが私を押し続けるので本当に嫌だった。何回言っても同じことを繰り返すので・・・。まぁ彼らにとっては当然なのだろうから、我慢するしかないのだろうが。

ダムのイミグレでは珍しくパスポートの顔写真と実際の顔を真剣に比べている。一緒にいた韓国人の女性(ジ・フンさん)は、髪型などが大きく変わっていたこともありパスポートのコピーを取られたりして待たされていた。直後にいた私も、髪が随分と長くなっていたので後ろに束ねておいて通過した。
チベット人の偽パスポートでの国境通過などもあるのだろうか。どちらにしても、チベット旅行の延長線上で考えると、外国人取締りなどというよりは、中国政府のチベット人に対する締め付けのように感じる。

中国側のイミグレを通過しても、まだしばらくは中国の領土内。とても荒れた道を10kmほど行くと橋がかかっており、橋の中心が国境なのだ。
それにしてもこの道は本当に荒れていた。軽自動車のトラックが、ひっくり返ってしまうのではないかというくらいひどい。少しだけ舗装されている部分は穴が開き放題だし、泥道は波打っている。中国にとっては国境の道路の優先度は低いのだろうか。不思議だ(町はやたらと整備されていたり、検問所ばかり整備されていたり。)。

中国の正式な出国である橋でも、大きな行列が出来ている。
「何で2回も並ばなくちゃならないんだよ。もうぅ〜!」
「中国は効率悪すぎるよね。無駄な仕事に、人がたくさん働いていてさ!」
「だから中国はだめなんだよ〜。」
そんなことをブツブツ言っていたが、中国人の係官が私たちだけを呼びに来た。
(???何にも悪いことしてないぞ。)
列の前方に連れて行かれ、なぜか外国人だけ並ばなくて済むようだ。パスポートの確認もすぐに終わり無罪放免!!ちょっと中国人(ほとんどチベタンなので尚更)には悪いけれど、かなり嬉しい!!
皆気持ちよく橋を渡り、出国記念で記念写真を撮ることにした。グラさんがカメラを持って準備している。
「ハイ、並んで〜。」
写真を撮ってもらうようにも通行人にもお願いし・・・。
「ダメダメ、写真禁止。」
国境だからそうかもしれないとも思ったが、やはり中国だ。
「中国、だから嫌なんだよ!」
「中国最悪!」
そんな文句をいいつつ橋の真ん中を越える。
「うれしいぃ〜。」
「ここなら文句ないだろ〜。」
「ネパールは自由の国だよ。最高!」
「早く撮ろう!」

ネパールのイミグレは、ビザ取得も含んでいるけれど簡単なものですぐに終わった。列も出来ていないし、やっぱりこうあってほしい!町は中国側とは随分雰囲気が違い、国境越えを実感。
何と言っても、コダリにいるほぼ全てのネパール人が(片言でも)英語を話す。これは驚き。川の向こうにいる中国人にはまったく通じないというのに。これが教育の差なのだろうか。教育の質や普及率は中国の方が上かもしれないが、英語だけは明らかにネパールの方が上だ。

ところで、中国元からネパールルピーへの両替だが、国境の闇両替のレートが最も良かった。
闇両替の言い値は1元=8.5Rsだったが、交渉して1元=9Rsに(2005.11.28)。ネパールにあるコダリの銀行では8.96Rs、カトマンドゥの市中では8.64元であったのだ。
・・・レートから考えると、中国側では両替せずにコダリの銀行で両替するのがもっとも安心かもしれない。

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++冬期のE.B.C.++

とにかく天気の良い日が続く!

車の往来がほとんどないのでヒッチハイクには時間がかかりそう。

ゴンパ→B.C.間のバスに乗る必要が無い(80元)。車でいける可能性もあり、夏よりも安く済むかも。

B.C.を超えた場合には、US200$払う必要がある。しかし、監視人など誰もいない。先に行きたければ行くことも可能。

標高が高いので朝夜は冷え込む。ラサよりもずっと寒いので、準備が必要(夜も)。

ニューティンリーとB.C.間の道は比較的整備されているが、オールドティンリーとの間の道はひどい。川がシャーベットになったりしているので、ランクル以外では行けない。