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高山病は恐ろしい病気である。 入院して様子を見ていると、まさに千客万来の高山病患者が医院を訪れる。気持ちでカバーできる病気でもないし、軽い気持ちでだけなく「万が一」ということは想定して臨んだ方がいい。 私自身の反省点「到着がすぐに昼寝してしまった」 多少は良かった点「すぐに病院に行った」 ところで、自覚症状のない者でも、高地に上がってきたばかりの人たちは発熱していることが多いようだ。 ちなみに、言葉の問題は、漢字で書けばほぼ通じるので余り問題にはならなかった。多少の慣れは必要だが。 ●高山病への道!その2。西蔵阿里地区人民医院。(アリ) アリに到着し、昼寝をしてしまってから身体はずっとだるいままだった。水を飲んだり代謝させた方が良いということは分かるけれど、水分以外に対する食欲はほとんどなかった。風邪気味のように、発熱と頭痛が続き、どうも身体が思うように動かない状態が続いた。
病院の敷地はとても広い。 その空き地の周囲をいろいろな建物が囲む。 他にも作り途中の建物や、廃墟になってしまったような建物があり、病院というよりは少し不思議な空間だ。 「押金(デポジット)1,000元。」 医療費の過多については、旅行保険に入ってもいるため、全く心配はしていなかった。そもそも海外旅行保険に入っているのは、普通の病気というよりは、こういった特別な病気を考えてのことの方が大きい。それに、辺鄙な場所で体調不良になった場合にも、保険があればちゃんとした病院のある"町まで"運んでくれるという安心感がある。保険を博打に例える人もいるかもしれないけれど、まぁそんなモノかもしれない。 ともかくも、お金さえ払えばあとはスムーズにことが運んだ。 後日、私よりもずっと体調の悪いスペイン人が病院を訪れた際には、デポジット2,000元を取られていた。よって、医者も病状を判断してデポジットを要求しているようだ。その際には、ボンベから直接に鼻まで酸素をつないでいたので、高山病に対する処置も症状別といったところだ。 2日間はベッドで点滴をし、トイレに行く以外は安静にして過ごした。 ●高山病への道!その3。院内感染とか。(アリ) 人民医院では、院内感染などに注意は向けられていない。 注射針は、その辺に"ポイッ"と捨てられたりもしている。中国人気質だろう、患者も痰や唾を廊下に平気で吐いている。水道もない(これはやむを得ないか)し、どうも清潔感が感じられない。 ベッドのシーツなども、入院患者毎に交換するのではなく"汚れたな"と感じたら洗うとか、その程度のものようだった。 日本の病院は"人権がどうとかとか"、ちゃんと調べているのか知らないが、以前にタイで友人が入院した際には、まずAIDSチェックや肝炎チェックなどをされていた。他の国でも、そういったチェックが入院に際して行われることは珍しくもないだろう。 こんな程度なので、自分で気をつけることは極めて重要なようだ。 ●高山病への道!その4。費用とか。(アリ)
これが安いかどうか、中国の物価から判断することはできないが、日本人にとってはとても"良い値段"だと思う。 ちなみに、その料金表によると・・・ 例えば、町中で「解熱鎮痛剤」を買っても、日本に比べるとずぅ〜と安い。そういった薬価の差もとても大きいようだ。日本の薬は副作用が少ないとか、いろいろあるのだろうけれど。 ところで、英語を話す医者は"いない"。片言なら可能だが、会話にはならない。英語で意思の疎通をする場合には、文字にするとグッと理解度が増す。 上にも書いた高山病の重いスペイン人については、公安はスペイン大使館に連絡を取ると言っていた。症状だけではなく、ワガママで歩けもしないのに"退院する"と暴れたりしたのも原因のようだ。 ●高山病への道!その5。医者のファッション。(アリ) 医者の服装が面白い。 茶髪とかは普通だし、何だか自由な雰囲気だ。場所が場所だけに、遊び心を持っていく場所がそういう方面に限られてしまうのだろうか。 |
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何度か話に挙げているが、1日だけタカと同室となったスペイン人、ジョルディンについて書かないわけにはいかない・・・。
ジョルディンはタカのようにすぐに病状が出たわけではなく、到着2日目にして咳、熱、幻聴と実に重ーい症状が表れてきたようだ。本人は元気のつもりだが、傍から見ると重病人そのもの。立つこともままならず、顔色も鉛色でつらそうだ。 とてもとても症状は悪いのにこのスペイン人、かなーりわがまま。点滴も酸素も嫌々で自ら取り外そうとしてしまう。おまけにトイレも間に合わず、ベッドの上でしてしまう始末。決して彼女でも妻でもないノリコさんが下のお世話までする羽目となった。かわいそうに・・・。 少し体調も良くなった3日目の夜のこと。 それでも大人しく(?)、3日間ほど入院していた彼だが、我慢できなくなったのか病院脱走した!タクシーでホテルまで戻ったのだ。ノリコさんから警察へ情報は行き渡っていたが、警察も疲れていたのか彼を呼び戻す気配はなかった。そして、翌々日にはイエチョン行きのバスに乗り、チベットを去ったようだ。更には親に説得され、国に帰るらしい。 彼の最後の吐き捨て言葉、 ジョルディンを知っている別のチャリダーがアリに辿り着いた。(ジョルディンはチャリダーだが、アリまではバスで来ている。彼は本物のチャリダー(?)でイエチョンからアリまで自転車でやって来ていた!すごい。)
私たちは病院にて、公安の担当者と顔を会わせていた。 公安はアリの東町外れにある。とても大きな建物だし、さぞたくさんの人が働いているのだろうかと思う。実際にはどうも人影は少なく、妙に殺伐とした雰囲気が漂っているビルだ。アリ全般に言えることだが、機能に対して建物が大きすぎるのではないか。 「旅行許可申請書」の用紙を、ヒョイッと渡された。パスポートやビザの内容を写していく。さらに「行きたい場所」を書く欄を埋める。 1人350元ナリ(罰金300元、許可証50元)。 ●盛況の INTERNET BAR。(アリ) 中国電信の運営している(?)INTERNET BARは、とても良い! 暖房が効いていてとても暖かいし、お茶のサービスもある。 アリには、他にもインターネットカフェは存在しているのだが、外国人はお断りだったりする。もっとも、値段やサービスを考えれば、中国電信に行く以外は考えられない。 日々盛況。
ここ数日、アリを出発しようとしては失敗していたのだ。 バス。乗客が集まらないこともあるのだろうが、出発が不定期。いつ出るのか信用できない。値段も他地域に比べて数倍は高いし、なるべくなら利用したくない。 無許可営業車。バス停でのんびりしていたら、声を掛けてきた。私たちも安く行きたいし、お互いの利益は一致。チャーター金額も交渉の末決定。しかし"いざ出発!"という段階になって公安(交通警察)が登場。無理やりに解散させられた。 この日、偶然に人も増え、ついに集団は6人になった。 私たち2人 ※ハマちゃんとノブさんは知人だったとすぐに判明 アリからグゲ遺跡を経由して、カイラス山(カン・リンポチェ)に向かう旅路を思い浮かべて言う。「ランクルチャーターして行っちゃおう!」 ハマちゃんとマンギョンを除いて、もう4人は行く気満々になっていた。しかし、マンギョンは所持金が少ないために、グゲ遺跡に行くよりも直接にカイラス山に行くことを考えている。 「おいおいそれだけかよぉ〜!」 何だかんだとグゲ遺跡について話すうちに、ハマちゃんとマンギョンもグゲに行くことが決定。ランドクルーザーのチャーター交渉に向かう。 バスでツァンダ(グゲ遺跡近くの町)まで行くと片道260元。いったんアリまで戻ってこないと、カイラス山のあるタルチェンまでは行けない。アリからタルチェンへは、230元〜280元ほどかかる。 私たちは"善は急げ"で、すぐに出発準備を済ませ、10分後には車上の人となっていた。 1日目 アリ→ツァンダ |
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●絶景!ウイグルの火焔山など比較にもならない!(ツァンダ)
全員が興奮し、車を止めてもらい写真を撮りに外に出る。 アリの町をようやく離れられたという興奮もあり、意外にも舗装された道を突き進むランクルに乗っているのはとても不思議な気分だった。最近まではチャーターなどするとは思ってもいなかったのだ。それがいつの間にか大所帯になりランクルチャーター。本当に都合の良い急展開だ。 右がツァンダとの看板を見て、ランクルは国道を右に外れる。舗装されていた国道とは違い、荒地に水が流れる中を進む。寒さのために流れる水の半分ほどは凍っている。道が川になってしまっており、ランクルが進まなくなってしまった。運転手は4WDにモードを替え、何とか先に車を進める。 ランクルは、タルチョがはためく5,000m級の峠を越え、どんどんと辺鄙な場所に進んでいく。 そんな話をしているうちに、グランドキャニオンのような大峡谷が見えてきた。遠くから見ているだけでも、何だか凄いところに来たと興奮していたのが、どんどん近づいてくる。 まだランクルツアーは始まったばかりなのに、最初から凄い景色を見て興奮しながらツァンダの町に着いた。 ●早朝の祈りの姿。(ツァンダ)
メインストリート1本以外は、全て旧市街といった雰囲気だ。 ゴンパを中心にコルラ(祈りながら周囲を練り歩く)する人たちが、どこからともなく現れてくる。マニ車(※)を回しながら、チベットの独特な衣装であるチュバを身につけ、お祈りをしながら歩く。 山間から姿を現す太陽と、祈る人々、周囲の土林、美しい組み合わせだ。 ※円筒の内部に経文を納めたもので、1回まわすと経文を1回読んだことになる。 ●こんな遺跡見たことない!グゲ遺跡最高!(ツァンダ)
前日に感動した周囲の土林は相変わらずに、グゲ遺跡は小高い山1つ全てを遺跡とするような形で聳え立っていた。大きさが全く違うけれど、マユは「ハウルの動く城」みたいだね〜、と言っている。何だか、それもとても分かる気がする。 そそり立つ崖に、無数に開けられた穴倉住居の跡。崖にへばりつくように建つ寺院群。山頂に建つ王宮。その全てを合わせた雰囲気が「遺跡だぁ〜」という感じ。
寺院の壁画は削り取られ、多くの像は破壊されつくしていた。分かっていたことだが、文化大革命やチベット侵略(1949-1950)時の宗教施設破壊は物凄い規模だ。こんな、グゲ遺跡という土田舎にある施設まで破壊しに、わざわざ訪れる執念は物凄い。おそらく当時には車が通れる道すらなかっただろうに。 破壊されていても、その仏像や仏画にはとても雰囲気があった。仏教に詳しくない私なので、特にどうということもないはずなのだが、かつて"熱心に信仰されていた"という感じが伝わってくるのだ。 寺院群は中腹ほどまでで終わり。
遺跡山頂から見る景色も素晴らしかった。 |
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この辺一帯を覆いつくす土林はどちらかと言うと縦にラインが入った模様をしているが、その中でも突如現れるグゲ遺跡は珍妙で横にラインが入った模様をしている。少し遠くから見ると見事にお城そのもので、こんな荒涼とした土地にあるという要素も加わってかなり畏怖深い。本当に素晴らしい・・・。 一番てっぺんから見る景色も絶景だ。落ちてしまったら、命を落とすこと間違いなしの高さだ。当時は見晴らしとしても、敵の攻撃から守るのにも都合良かったのだろう。
もう冬の足音も聞こえる時期でもあり、ティルタブリを訪れている信者も少ない。2人だけが、五体投地していた。この時期は、さすがにカイラス山でもコルラする熱心な信者は少ないのだろうか。 丘の上にたくさんのタルチョがはためき、祈りの文字が刻まれた石が積まれている。温泉の湯煙があがり、独特の雰囲気だ。ここが聖地となったのも分かる気がする。 温泉といっても、日本のそれのように浸かったり出来るわけではない。 ちなみに足湯をする者、手を温める者・・・でも、外気温が余りに寒すぎて(ほぼ0℃、風有り)気持ちが良いどころではなかった。 ティルタブリからタルチェンに向かう途中のムンチェルという小さい町で、私とマユと一緒のバス(イエチョン−アリ)でチベットに来た岩崎さんをランクルに拾った。これで、ランクルに乗った総勢は運転手を除いて7名。とても大所帯でのカイラス山行きだ。 岩崎さんはその後の行動も含めて、実にパワフルで計画性が少ない。でも、なぜかそれをやってしまっても不思議ではないという感じのキャラクターだ。ツァンダからグゲ遺跡に行った際も、(他に方法がないので)歩いていき、歩いて帰る時間がなくなりチケット売り場に寝させてもらったらしい。
カイラス山よりも、ヤクとチベタンに夢中なようだ。運転手も、最終目的地が目の前なのに乗客がなかなか帰ってこない(仕事が終わらない)ので、ちょっとイラついている。何だかちょっとその様子は面白い。 (By Mayu) カイラス山をバックにカメラに収めた遊牧民とヤクの姿は最高だ!初めて目にするカイラス山は本当に神々しかった・・・。 タルチェンの町には"ランクルじゃないと通れないんじゃないか?"というような川越えをして辿り着いた。 |
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