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| ●物価が安くて嬉しい。(ハミ)
お昼に入ったレストランでは、外国人ということで(たぶん)あれこれとサービスをしてもらった。 そもそも私たちは、餃子が食べたくてこのお店に入った。しかし、外には"餃子"と書かれているにもかかわらず「餃子は無い」と言われてしまった。もうこのレストランはやめて、他のお店に行こうかとも考えたのだがこのレストランで食べて良かった。 中国では、男性の吸うタバコなどで日々嫌な思いをしているが、女性にはアレコレと親切にしてもらっているとようやく気づいた出来事だった。 多謝!!
トルファンに来ると、ハミから始まったウイグル色が深まる。街を歩く人の顔も大きく変化を見せる。今まで訪れた街では、大半をしめていた漢民族が減り、目鼻立ちがはっきりとしたウイグル族に変わった。話す言葉も「チ」とか「チェ」などを多く含む中国語が減り、流れるような話し方をするウイグル語に変わった。看板も中国語だけでなく、ミミズが踊るようなウイグル語も併記されている。 トルファンは葡萄の栽培が盛んで、観光用だろうけれど道路の上にまで葡萄棚がある通りがある。それらの葡萄棚にもツルや葉が生い茂っている。きっとワイン好きにはたまらない町だろう。中国ではどこにでも安く売っているビールに加え、安い値段でワインが手に入るのだ。味はボジョレーヌーボーのような出来立てのマイルドな味で、10元(約150円)ぐらいから購入できる。 このようにトルファンは一大観光地として有名だが、寂れた部分もあるようだ。葡萄が茂るきれいな通りの脇に、それに見合ったきれいな建物があるが、建設途中のまま放り出されている。2階までは作ってあるが、3階は鉄柱丸出しの寂しい姿でそこに存在している(必要な時に追加工事しやすいためと思われるが)。国慶節(中国の祝日)にも関わらず客の姿はまばらだし、どことなく寂しい。夏のシーズンはもっと賑わうのだろう。 ●観光名所8箇所の旅 No.1(トルファン) トルファンの近郊には、いろいろな観光名所がある。ツアーに参加すると効率的に回れるらしいので参加を申し込んだ。申し込んだのはホテルの前にある「Jon's
cafe」のツアーだ。1人60元(約900円)とちょい高めだけれど、いつも観光さぼり気味の私たちは思い切って参加してみることにした。 ツアーのメンバーは、中国に留学に来ている韓国人カップル、中国語を理解する日本人男性、中国人の男性と私たちの合計6人だ。運転手は、ウイグル人で英語を話さない。私たち以外は普通に中国語で会話できるのでいいが、私たちにとってはやや手強い(?)ツアーとなりそうだ。 まず、1番はじめは「蘇公塔(そうこうとう)」。1779年に建てられたものらしいが、ほとんどがきれいに修復されている。また、外から見た感じではただの塔が中央に建っているようにしか見えないし、私たちは入場料を払わずに外からの写真のみにしておいた。
昔(約12年前)タカが来た時は、入場料も山の前にある建物もなかったらしい。が、今は建物の中には火焔山に関する展示物がたくさん飾られている。山の模型、孫悟空の絵の彫り物から関係あるのかな?と思うような中国独特の絵巻の絵や彫刻。オーバープライスの上にオーバーディスプレイだ。 待っているとばかり思っていたタカは、駐車場の端から火焔山を眺められる広場に簡単に入っていた。ケ!入場料の無駄であった。皆さん、展示物のために入場料を払うのはやめましょう!(笑) ●観光名所8箇所の旅 No.2(トルファン) 3つ目の見所は「ベゼクリク千仏洞」。当時のウイグル族は仏教を信仰していて、その時に作られたものらしい。イスラム教が浸透するとともに壁画や仏像も破壊されてしまっていると聞いていたが、外観も仏教のそれと分かる雰囲気のあるものだったし、見渡す景色も雰囲気があっていい。当時の姿を想像もできる気がする。 だが、確かに壁画や仏像は破壊されて痛々しい。顔だけくり貫かれてしまっているブッタ、イギリス人によって盗まれてしまった一部分。公開されていない窟も多い。
5つ目は「高昌故城」。ここはウイグル帝国時代に1000年の間国都として栄えた場所だというタマゲタ!城跡だ。200万平方あるという、だだっ広い敷地に地面の土と同じ色の山(遺跡)がいくつも広がる。形は随分崩れているものの、門、家、塔の形は判断できる。周りを見渡すと荒涼としているが、まるで違う世界に入り込んでしまったような不思議な錯覚に陥る。 ●観光名所8箇所の旅 No.3(トルファン) 6つ目は葡萄園だった。 7つ目はトルファン中に張り巡らされているという地下水路の博物館みたいなところだ。これも興味はなかったのでパスし、代わりに周辺を散歩した。すぐそこは土壁の民家が並んでいて、ごく普通のウイグル族の生活の一部を覗き見できた。
中に入ると大きな看板と共に「きれいな遺跡」が見えて少しガッカリ。あまり人工的なものは好きじゃない。中は広いのでグイグイと進む。人の姿もほとんど見えなくなると、期待外れ?と思っていた遺跡が突然素敵なものに見えてきた。 かわいらしかった運転手の子供も疲れのせいか、段々とわがままになってくる。 |
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トルファン賓館のドミトリーで同室になったのは、香港にある宿「ゴダイゴ」のオーナーだった。そういう方も中国を旅行しいるんだなぁ〜と、ちょっと驚き。 話を聞くと、年に8〜9ヶ月は中国を中心に旅行しているとのこと。仕事は任せてあるとのことだが、そういう人がいることも素晴らしい。普通は、お金が絡むと何かと難しくなり、続かないことの方が多い。 私たちは香港では「ゴダイゴ」ではなく「ラッキー」に泊まっていた。彼も宿を始める以前には「ラッキー」に泊まっていたらしく、何かと面白い話を聞かせてくれた。 モンゴルの有名な日本人宿「あずさや」のオーナーは、モンゴルが寒くなると「ゴダイゴ」にやってきたりもするらしい。「あずさや」は、とても居心地が良いと聞いていた。 「ラッキーの布団は開業以来洗ったことがないとか、置いてあるものは全部拾い物だとか、噂はひどいよね。皆、宿泊者が勝手に話を作っちゃうんだよ。」「貧乏旅行って言葉は好きじゃないな。あれって、単なるケチケチ旅行でしょ。貧乏旅行をしないと旅の本当の楽しさは味わえないとか、ふざけたことを本に書いてるのもいるけど、そんなわけないよ。例えば屋台でご飯食べて、その国の美味しい料理が味わえるわけないし。」 私たちが「ラッキー」に宿泊していた時に、宿泊していた何人かも知人だったらしい。 ●ホテルなのに公衆浴場?(トルファン) トルファン賓館へのチェックインが済むと、なぜか4枚の紙切れが渡された。その紙の1枚1枚には「1元」と印刷されている。 そして、シャワーの時間。 夏のトルファンは暑い。そんな時にはシャワーを数回浴びたい時もあるだろうに、それはお金を払わないと許されないようだ。少し寂しいシステムだ。 トルファン賓館を出て左に行くと解放街がある。土壁の伝統的な家屋が並んでいる。水道などが付いていない家屋も多そうだ。そういう家の人たちがたまにシャワーに入ろうと思ったら、トルファン賓館にやってくるのだろうか。もっとも、近くの川で済ますのかもしれないけれど。 興味深いシステムだ。
トルファンからクチャ行きのバスは安い。 コルラはやたらと都会だ。 ここから、まだまだ時間はかかる。夜中に着くのはまっぴらだし早く出発して欲しいが、なかなか出発しない。
ちょうどムスリムの休日、金曜だったので週に1度開かれるバザールへ出掛けてみた。 漢民族が作ったきれいなビルを尻目に、ロバや馬が引くリヤカーのような荷台の姿が目を引く。ウイグル人が乗っている姿はとても絵になる。ロバや馬はタクシー代わりにもなるらしい。 ロバとラバと馬の違いは何?と疑問に思った私たちはホテルでマイクロソフト社の「エンカルタ」を開いてみた。ロバは馬科らしい。馬よりも一回り小さく、耳が大きく立っている。ラバはオスのロバとメスのウマをかけあわせた雑種らしく、馬やロバよりもどれを取っても優れているとのことだ。 ウイグル帽子をちょこんとかぶり、白髪のあごひげを伸ばしたおじいさんがマーケット内をぶらついている。本人は普通に歩いているつもりなんだろうけど、とっても絵になっている!渋いし、かわいいし、格好いい。いろんな褒め言葉が浮かんでくる。
●非ロマンス的故城。(クチャ) クチャの中心市街地から少し行ったところに、故城遺跡があるらしい。いつものように、バスやタクシーを使わずに自分の足で向かった。
しかし故城は左側にあるはず、と、思い直し、近くにいたおじさんに聞いてみる。すると、あっちあっちと左側の道を指差す。やはり反対側が本物なんだろう。 「そっちは見ない方が・・・。」 |
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●何もない町で時間潰し。(クチャ-アクス) クチャからカシュガルの道のりは遠い。その上、クチャからカシュガル行きのバスチケットは販売されていない(※)。そんなわけで、途中地点(クチャ寄り)のアクスという町を目指した。 アクスも、ほどよく整備された漢民族が多く住む都会だ。カシュガル行きのバスチケットを買おうとしていたら、漢民族のおばちゃんが何やら話しかけてくる。 出発は夜なので、とにかく時間潰しだ。アクスの見どころは郊外にあり、タクシーでないと行けない。バスの出発まででは観光する時間もあまりないし、特別の興味もなかった。 ご飯を食べた後、市内へ行くバスに乗り込んだ。気になるところがあったら降りようと言うことにしたのだ。 時間潰しにと思い、近くにあった美容室で施術してもらえるマッサージの値段を聞いてみた。30元だと言う。ちょっと高めだし、何よりもマッサージ専門店でないので気持ち良くない(下手)という可能性がある。後ろ髪引かれる思いでそこを出た。・・・ああ、中国出国までに気持ち良いマッサージがした〜い。 何もすることがなくなった私たちは、長距離バスの建物内のベンチで横になって時間を潰した。そしてようやくバスが開き、中に入れるようになった。中国のバスは、早い時で3時間前ぐらいから開けてくれるのだ。
日曜日には、有名なバザールが開かれる。私たちもわざわざ日曜に間に合うようにカシュガルにやってきたのだ。ところで、バザールとマーケットの違いは何だろう?と思い、またエンカルタで調べてみた。マーケットがいわゆる「市場」なのに対し、バザールは西アジア周辺での市場を意味するらしい。カシュガルは中国で西アジアではないが、イスラム色が強いこの地域ではバザールと言う言葉は間違いではないようだ。 バザールには、通りの脇に商品を並べただけの小さい出店、日曜日だけでなく普段からそこで営業しているようなお店など、様々なお店からなっていた。規模は、かなり大きい。歩いても歩いてもお店はどこまでも続き、果てしない。ただ、クチャで昔から変わっていないような素朴なバザールを見ていたので、何となく物足りない。商品の種類は幅広いし、ウイグル人の生活感がこちらにも伝わってくるが、「庶民感覚」ではクチャの方が上に感じた。 その他、バザールではウイグル族の帽子やナイフが売られていて楽しい。帽子はキラキラした飾りが付いた派手なものや、寒いところでも温かいようにファーの付いたもの。ナイフは柄にウイグルらしい模様の付いたもの。どれも異国情緒溢れていておもしろい。 ●老城と呼ばれるエリアに侵入。(カシュガル)
どこも絵になるのでパシャパシャ写真を撮っていると、小さくてかわいらしい子供が「撮って撮って〜」と言わんばかりに近づいてくる。デジカメで撮ってあげると、「うきゃ〜〜!!」と大はしゃぎ。デジカメをぎゅっと掴んで画面に見入る。本当に嬉しそうだ。 出口を出ると、そこには「立ち入り禁止」の札が!ここは入ってはいけない場所のようであった。庶民生活を見られたくないという住民の声もあるのだろうし、村人は貧しいので外人が勝手に入っても責任は取れませんよと言っているのだろう。もう入って出てきてしまったからしょうがないけれど・・・。
「○×△дΘ〜!!」 どうも、中国の常識では公共の場所で靴を脱ぐのはいけないことのようだ。 不思議なのだけれど、中国では中古の靴なども道端でたくさん売られている。しかも、どれも汚い。履き古したものを洗わないままに売っているようだ。そういうのを見ると、中国人の多くは"靴を洗わないのか?"と疑問が出てくる。 うん。そのうちに中国に詳しい方か、言葉の通じる中国人に聞いてみたい。
通路を挟んで隣にいた中国人男性2人組が、 カラクリ湖。 乾季なので水の量こそ多くはないが、澄んだ湖面にきれいな雪山や青い空が反射して写っていてきれい。夏はもっと緑があってきれいらしいのだが。 |
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「カラクリ湖ってさ、片栗粉に似てない?」 ●素人カメラマンが集う場所?(タシュクルガン) タシュクルガンには、石頭城という城塞の跡がある。
いろんなことを想像してしまうが、その城壁跡を写真に撮るためにちょうど良い場所が町の東外れの牧草地近くにある。手前には牧草地と小川、そして城壁跡、その向こうには白い山々がそびえているのだ。 ちなみに、写真撮影は私たちもご一緒させて頂いた。
●初雪!in旅。(タシュクルガン) 「寒いよぉ〜。」 「雪だ!」 少したつと早くも雪は積もり、辺りは真っ白になっていた。
タシュクルガンは、カシュガルと同様にウイグル人が住む町だと思っていた。が、ここはイラン系のタジク人という人たちが住む地域だった。どれがタジク人なのか、違いはよく分からないが、とにかく民族衣装が異なる。
タシュクルガンは、大きい通りを横に1本引いただけの小さなエリアを中心に広がっている。 タシュクルガンには城砦の跡がある。だが破損が激しく、ほとんど壁しか残っていない。だけれど、大自然の中にそびえる遺跡の存在感はとても大きい。夕日や朝日の時間になると、光に映えてとてもきれいに見える。 ここも緑は少ないが、頂上部分に雪が積もった山、何でも映し出しそうな透明な湖の水など「本当にきれい!」パプアの大自然もキナバル山の山間の景色も素晴らしかったが、それに劣らずここは美しい!耳を澄ませば「し〜〜〜ん」と音が聞こえてくる。牛や馬が静かに草を食み、「めぇ〜〜」という羊の鳴き声がこだまする。うう〜ん、大自然の中にやってきたぞーって気分だ。 ●中国の良い点、おもしろい点。 中国のいい点は、料理がおいしいことだ。
それに、自然や遺跡が充実している点も大きいだろう。 反日感情。私たちは運が良いのか、危険な目に合うことはなかった。思っていた以上に日本人に対する反感は少なく、日本人と分かっていて冷たくされるといった場面もない。 |
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今日は雪も降っており、とても寒い。辺りは1面の雪景色になってしまっている。寝ていても夜は寒かったが、それも当然なわけだ。もうしばらくすると、パキスタンとの国境も雪のために閉鎖となるのだろう。パキスタンのギルギット以南の道は、地震の影響で通行不能になっているらしい。修復を待っているうち(きっとそういう人も多いはず)に、雪で通行不能になってしまったりしたら、可哀想だなと思う。 パキスタンやインドでは大地震があったと、地震発生の数日後にネットカフェで知った。とても驚いた。山脈の向こう側では大変なことになっていたのだ。東南アジアの大津波の際も、マレー半島の反対側にいたために影響がなかった。恐ろしい、どこにいても何が起こるかわからない。この幸運が続くだろうか。実際に被害に遭われている人たちも多いので、そんなことは言っていられないかもしれないが。 今回の旅でも長居していたバリでも、同時多発テロが発生した。これもイスラム教原理主義者の仕業だろうか。2度あることは3度あるという通り、インドネシア政府が余程の手立てを考え出さない限り、次もあるような気がする。回復基調にあった旅行者が再び減り、観光業で生きる人々には踏んだり蹴ったりの状況だろう。テロや病気など、なぜこうも立て続けに続くのかと恨んでも恨みきれないだろうことだけは分かる。 雪が降る中でのバスのチケット購入は、とても混雑していて大変だったらしい。外国人だということで、なんとか購入できたらしい。外国人料金を取られたにしても(優遇して貰えたので、外国人料金の価値がある?)、それほど嫌な感じはない。 ともかく、バスはすぐに出発する。 ●少し怖い。雪道の移動。(タシュクルガン-カシュガル)
舗装されていない道を突き進み、座席が上下に激しく揺れる。下り坂道では、タイヤが滑って崖下に墜落する可能性だってある。そんなことを想像すると怖いのだが、そういう道が続く。上に乗せられた私たちのバッグが落ちないかも気になる。 心配は続いたものの何とか順調に進み、近場に向かっていた通路の立ち客は全て降り切った・・・はずだった。しかし、乗客の数が予定とは合っていないようだ。 「チケット持ってる?」 カラクリ湖を越え、検問(通過者全ての身元確認)付近まで、雪は降り続いていた。雪がやむと、少し安心して乗車していられる。あとは道路もきれいであり、快適にカシュガルの街に向かった。到着は街の郊外であったが、9番バスの始発点であったので、そのまま色満賓館の目の前のバス停に向かった。 タシュクルガンは寒かった。 チベットに向けて、既に買い揃えていた服だけでは不安があるので、あれこれと買い物をすることにした。 ます、第1に"温度計"! そして、皮手袋。軍手を買っていたのだが、風が強く吹く寒空の下では十分ではないと判断した。肘まである長くて頑丈な作業用手袋を購入。8元ナリ(約120円)。 毛糸の帽子。頭や耳は、ジャンバーのフードだけでなく、ちゃんと帽子でガードすることに。5元ナリ(約75円)。毛糸のマフラーも購入。5元ナリ(約75円)。 既にセーターやジャンバー、靴下などは購入してある。 ●いったい、いくらあれば足りるのだろう?(カシュガル) 西チベットでは、両替ができる場所がほとんどないらしい。 バス代や、ヒッチハイク代、観光代など外国人料金はとても高いらしい。正確な情報もない(人や状況によって値段も代わってくる)ので、いくら準備したら良いか正直分からない。不安性な私は、たくさん両替したくもなる。 確信はないものの、必要経費を計算し、余裕を20〜30%ほど持たせた金額を手元に持つことにした。中国で移動をしつつ観光をするとお金がかかる。2人の1ヶ月近い生活費を手元に持つので、大金になってしまった。お札の束も厚い。無くしたりはしないかと、ちょっと怖くなってしまう。 カシュガルからイエチョン行きのバスは、日中なら頻繁に出ている。長距離バスターミナルの前にいるタクシーの客引き(それほど高くもない)を利用することもできるし、イエチョンはごく身近な町のようだ。 出発時点では、乗客はバスの半分ほどしかいなかった。 ダムを右手に見たり、時々は変化があるものの、単調な砂漠や荒野が続く。汗臭い乗客や、足臭い乗客が近くにいて"早く着いてくれ〜"と願いながらのバス移動だったが、順調にイエチョンに到着した。 ●交通賓館に30元の部屋はないのか?(イエチョン)
ちょっとしつこく聞いたけれどもないようなので、諦めて別の宿を探そうと荷物を持ち上げた。 交通賓館はイエチョンの中心から、北西の外れに位置している。 ところで余談だが・・・。 |
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