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1ドル収入の土産屋。(シエムリアプ)

ガイドのキーさんに遠くの遺跡に連れて行ってもらうのに、ガソリン代+@で交渉成立。@とは何か?そうお思いになるのは当然だろう。
それは観光客用の高級(?)土産屋さんに入ること。そこにガイドが外人を連れて行けば、ガイドに1回1ドルのバック・チャージが入るのだそうだ。それを協力することが@というわけだ。(※何も買わなくてもバック・チャージが入る。)

「いらっしゃいませ〜〜。」
なぜか日本語で迎えられる。胸元には管理番号のようなシールを貼られる。
普段、こんな観光客用の土産屋さんなんかに来ないのでかなり違和感を感じる。回りは短期金持ち旅行者のカップルや親子、女の子たちで賑わっている。
土産屋はお菓子、日用品から木彫り、飾り物、宝石、民族系服まで何でも揃っている。でももちろんお値段は高めなので素通り・・・。だが、店員がずっと着いて来る。しかも揃いも揃って片言の日本語を話す。
「これいい。ヤスイですぅ。」
「これキレイねー。」
おい、ここはバリ島か?と突っ込みを入れたくなる状況だ。

連れてきたガイドさんたちは椅子に座り、無料でもらったコーラを飲みクール・ダウン!
その後、キーさんのために3軒の店を梯子した。計3ドけれど。だがだが、3人とも何も買っていない・・・。
それにしても、外人を連れてくるだけで1ドルもらえるなら私もやりたいぞ・・・。

●プノンペンへ移動。

バスはきれいめ、エアコン付きというのを確認し、プノンペン行きのバスチケットを予約した。キツキツの安いバスでもなければ、VIPバスの高いバスでもない、中間レベルといったところだろうか。

「あれ〜〜、どうしてこのバス?」
写真にあった通りのバスに乗り込もうとしたが、
「このバスじゃないよー。」と言われた。
指差さされたバスは20人乗りほどの小型バスだ。シートも倒れないし、期待外れだ。しかも、エアコンの空気口はちゃんと付いているのに"オン"になる気配は一向にない。
「うーーー、だまされた〜。お金返せって感じだよねー。」
怒りを隠せない私たちであった。カンボジア人は当たり前に窓を開け、運転手もエアコンのエの字もない。

小型バスの唯一の良い点は、スピードが速いことだ。同時にスタートしたバスを引き離し、どんどん先を走っていくのはありがたい。途中、故障した同会社のバスを引く、といったちょっとしたハプニングもあったが、無事スムーズにプノンペンに到着した。プノンペンは熱気ある大都会だー。



●街をキョロキョロ見てみた。(プノンペン)

バスで到着後、安宿街へ向かった。プノンペンと言えば「キャピトル」となるらしい。
シエムリアプでカンボジアのパワーを見せられたが、ここはもっと凄い。道は車やバイク、人で溢れ、次々に客引きに声を掛けられる。雨がまだ降らないせいで、道路は埃が舞っている。(うんうんアジアだー)と実感するのであった。

昔からあるような中国系の小さい店、軽食を売っている屋台、または高級ホテル、百貨店、派手で成金なお寺が目を飽きさせない。金持ちも貧乏人も共存している、まさにそういった感じである。激しく行き交う道路の路肩にハンモックを掛けて寝ている人、スーツでピシッと決めているビジネス・マンなど様々だ。

夜になってもハンモックで寝ている人はそのままだ・・・。ハンモックだけでなく、木造りのベンチベッドで寝ている親子も多い。家がないのか、涼しいから外で寝ているのかどちらなのかは不明だが。
昼間よりは幾分か静かだが、ネオンは消えることなくプノンペンの夜を照らし出している・・・。


●トゥールスレーン刑務所博物館(プノンペン)

トゥールスレーン刑務所博物館は、1975年から約4年間におよんだポル・ポト政権の残虐行為を象徴する場所だ。もとは高校の校舎だったが、ポル・ポト時代には刑務所として使われていた。多くの人々がここで拷問の末に処刑された。
タカは10年前に一度訪れている。ということで、私1人で恐る恐るその門をくぐることとなった。

外から見ると、その姿は古く閉じている病院、もしくは閉校した学校といった風貌だ。コンクリートの建物は、冷たく寂しい面持ちで町の中に突如現れる。1階の部屋数は10室程度。昔は学校だったからか、部屋は狭く区切られている。各部屋の中央には拷問に使われたというベッドが置かれ、その上に拷問に使われた凶器などの道具が無造作に並べられている。さらに、壁には苦しんだ末に処刑された人の写真が飾られている。

1階の端には、処刑される直前の顔写真がたくさん並ぶ。最初に目に入った写真の人たちは、ごく普通の表情だったので処刑前ということが信じられない。微妙に微笑んでいる写真だってあるのだ。その後には口から泡を吹いている人、背中が赤く腫れ、血を流す人など、目を覆いたくなるような写真が続き、私はとても気が滅入ってしまった・・・。
さらには、3階部分は生き残った数名の写真と記録が展示されている。

館内は暗い雰囲気に包まれているが、周りは住宅街で人の笑い声も普通に聞こえるし、明るい太陽の陽射しと風、窓からは緑が顔を出している。当時もきっと同じで、中は暗く、外の自然は明るかったのだろう。

観光客はパラパラと入っている。みんな深刻な表情だが、とても分かる話だ。私も入ってすぐに気分が下がり、早く帰りたくなってしまったくらいだ。写真を撮るのも気が引ける、と思ったが、タカに(写真をよろしく!)と言われていたので、数枚だけ撮った。だが、撮ったベッドの写真はデジカメ上で見ると妙にきれいに写り、全く処刑所といった雰囲気でない。どちらかというと私たちの泊まるような安宿の写真にも見える。複雑な気分だ。

現実から目を反らすことはできないけれど、こういった処刑所とかキリング・フィールドとかは勇気と気合を出さないと行けない気がする。完全に見世物になっているような気がしてしまうのだ。


トゥールスレーンの頭蓋骨カンボジア地図。(プノンペン)

10年前に訪れた時に印象的だった、頭蓋骨で作ったカンボジアの地図は既に撤去されている。
そもそも、頭蓋骨でカンボジアの地図を作るということ自体が暴挙であると思うが、その悲惨さを訴える意味では大きなものだった。

マユがトゥールスレーンだけで"満腹"とのことで、キリング・フィールドは見にいかないことにした。
キリング・フィールドは、実際に大量虐殺があった場所である。10年前に訪れた際には、頭蓋骨などが塔に収められ、掘られた地面の穴にはまだ骨が散乱していた。おそらく今も大きくは変わっていないだろう。
こういった史跡を見に行かない私たちは、どちらかという不真面目な観光客だろうか。

ただ、プノンペンをはじめとしたカンボジアの町を見て思う。
足がない物乞いは多く、手足ともにない者すら頻繁に目にする。そういった中に外国人観光客が連なるような、お洒落なカフェが軒を並べる。
プノンペンのトンレサップ川沿いには、そういったお洒落なカフェが多い。そして、ラオスと同様にHAPPY PIZZAなどの名前でマリファナが入った食事も提供される。とても対照的だ・・・。

川の近辺は日本人旅行者は少ないようで、白人ばかりだ。日本人はCAPITOL近辺に集まっているのだろう。

ところで、プノンペン郊外にはハンモック・レストランが多い。10軒以上もがたくさん軒を連ねているのだ。ハンモックばかりがぶらさがっているレストランを見るのはとても面白い。
友人のヒロシさんは、よく通っていたらしいが、私たちは期間も短いので行く機会はなかった・・・。

●プノンペンのカジノ。

私は怖がりなので少ししか賭けていない。そして、ありがたくも少しだけ勝つことができた。

カンボジアにはカジノが多い。タイとの国境や、ベトナムとの国境、プノンペンなど大きなカジノが軒を連ねているのだ。ちょっと遊ぶには最高に楽しい。ハマってしまうのは問題があるかもしれないが、それは知らない(笑)。

ゲーム機でのカジノは、1US$未満など賭け金が少ない。そして、実際のテーブルは、ミニマム2〜25US$といろいろだった。私たちは、ぐるっと見回すと素直にゲーム機に20US$札を入れる。
ルーレットを機械でやると、磁石か何かが仕組まれているのではないかと疑いたくなってしまう。実際に、ゼロが2回続くなど、余り考えられないような連続もあった。
私はちょっとずつしか賭けないので、増減も小さい。そして、10回目くらいに勝ち金が賭け金と同じになったので素直に現金化してしまった。う〜ん、情けなくも堅実な・・・。

ヒロシさんはどんどんお金を注ぎ込んでいる。細かく賭けるのが面倒なようで、1回で20US$分を全て賭けきっているのだ。う〜ん、勝つときも大きそうだが、私のような小心者にはできない。
おそらく、短期の旅行で来ていたとしても、負けがこんできたら素直に逃げ出してしまうだろう。でも、なぜかカジノは好きだ。マカオやネパールなどでも、ちょっとだけ遊んでみたい。

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++ハンモック
・カフェ++

シエムリアプからプノンペンに向かう道沿い(プノンペンに到着する約30分前)にかなりたくさんのハンモック・カフェが出現する!!ハンモック・カフェとはその名の通り、ハンモックがぶら下がるカフェである。テーブル・椅子という基本セットを無視し、ひたすらハンモック、ハンモック、ハンモックなのだから驚きだ!しかも30軒くらい続く。
しかし、1日中ここで揺られているのも幸せかもしれない・・・。

 

 

 

 

 

 

 

++リバーサイド++

安宿といえばキャピトル周辺が有名だが、リバーサイド(トンレサップ川沿い)から少し奥に入ったところに安宿がある。川沿いで気分もいいし、静かで雰囲気が良い。今は欧米人が多い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

++ドルキャッシュ++

クレジットカードを利用した場合、ドルキャッシュが1%の手数料で手に入る。
日本でドルキャッシュを手に入れるより、1%ほど得かもしれない。



●HAPPYがたくさん、カンボジアもラオスと同じ。(プノンペン)

「こっちにもHAPPYってあるね。」
「隣のお店もだよ。」
「その隣も。」
プノンペンやシエムリアプにもHAPPYと書かれた店が多い。ラオスと同様に、特別な材料が入れられる料理を提供しているのだ。
どこのお店の名前にもHAPPYという文字が入っているのは、なんだか見ていておかしい。紛らわしい。

もしかしたら、ラオスがあのようになる前には、カンボジアが訳ありの国だったのだろうか。
以前に訪れた際には、まだ旅行者も少なかったこともあり、そういったレストランなどはなかった。ただ、印象的だったのは安宿のレセプションに「ご自由にどうぞ」というビニール袋があったことだ。その中には、葉などが山のように入っていた。

●カンボジアの宿では、安くNHKが見られる!(プノンペン)

シエムリアプでは、4US$。
プノンペンでは、5US$。

その値段で、NHKが見られる。
これは、CABLE TVがとても安いのだろうか?違法に見てしまうなどの海賊版かなにかなのだろうか?

何せチャンネルは100ほどもあり、それでも受信料は月に50US$程度なのだという。なぜそんなに安いのだろう?
安宿でもこんなにチャンネルを提供できるというのは素晴らしい。他の国でもNHKが見られるなら、旅行中の暇つぶしに困ることはないだろうに。ちょうど、郵政民営化法案の参議院での否決や衆議院の解散が進行中で、ニュースを夢中になってみてしまった。

●やはり注意が必要。(プノンペン)

カンボジアには、依然としてたくさんの銃器が溢れているらしい。
街中の掲示で、頻繁に「銃器の持ち込み禁止」というのを見る。近辺の国に行くと、銃器がないというわけではないが、カンボジアでは特に多いということなのだろう。
それを見ると
(気をつけないとなぁ〜。)
と思い出させられる。しかし、しばらくするとそれも頭の片隅に移動してしまう。夜間などはまた注意するのだけれど。

私たちがプノンペンを去る前々日に、某バーでカンボジア人同士の銃撃があった。死者は出なかったとのことだが、恐ろしい。
地方では、依然として地雷も多く残っていると言う。平和になったといいつつも傷跡を消し去ることは本当に大変なのだろう。

ただし、昼間など普通に旅行している分には、怖い思いをすることはほとんどないようだ。
射撃場に行くと、拳銃やライフルだけでなく、手榴弾やグレネードランチャーなど、カンボジアにあるものは何でも撃てる。しかも、お金を払えば鳥や牛をターゲットにすることができる。軍人も射撃場で練習しており、そういうのも怖いといえば怖いが。

●中級ホテルで大満足。(プノンペン)

インターネット使い放題!
NHK見放題!
清潔なベッドにタオル・・・。
イオンまで出るというエアコン。
冷蔵庫にはよく冷えたビール。

そんな生活を、旅に出て初めてしてしまった。2人で大満足し、部屋から出るのが億劫で、せっかくカンボジアに来てくれたヒロシさんには悪いことをしてしまった(ヒロシさんは外に出かけたいのに、私たちと一緒に飲んでくれました・・・)。
そもそもは、ヒロシさんの泊まっている宿の快適さに憧れて、安くて快適な宿を探したのだ。私たちの選んだ宿は、フラミンゴ・ホテルといい値切って17US$だった。長居すれば、もう少し値切れただろう。カンボジアの宿は、値段に比べて快適度が高い。
たまに贅沢をするなら、こういったコスト・パフォーマンスが高いところがいい。




ただし、これからこういった贅沢がくせにならないように気を引き締めないと!!

●カンボジアのアレコレ。(プノンペン)

ヒロシさんから聞いた話を1つ。

お店をオープンする際に、物件を借りているオーナーにセキュリティを雇うことを勧められたらしい。

そして、実際に雇ったのだが、ライフル持参のカンボジア人の1ヶ月の給料は100US$未満。大学出の通訳を雇った1ヶ月の給料も、100US$未満。カンボジアでは(ラオスもですね・・・)、未だにこれといった産業がないようだ。そして、失業者が溢れているのだ。

さらに、飲み屋などをする場合には、自分も銃を持ったほうが良いとも勧められたらしい。勧めたカンボジア人は、当然のように銃器を持っているのだ。そのオーナーは、お金持ちだから(息子はアメリカに留学中)なのだろうか。

フラミンゴ・ホテルで。(プノンペン)

10日ほど一緒にいたヒロシさんともお別れだ。
旅は、一緒にいる人数が多い方が楽しいと思う。3人が2人に減るのは、胸にぽっかり穴があくようだ。

別のホテルに泊まっていたヒロシさんは、チェックアウト後に私たちのホテルにやって来た。
それから日本食を食べに行き、レストランの座敷で横になりゴロゴロした。なんだか別れるのに実感が沸かない。一緒に遊ぶ時間が、当たり前のように続くような錯覚に陥っていた。10日も一緒に居ると、ヒロシさんの存在も当たり前になってしまう。
だが、ヒロシさんは旅立った。(当たり前だけれど・・・。)
フラミンゴ・ホテルのエアポート・バスに乗り、彼はバンコクへ飛ぶために空港へと去って行った。
さよなら、ヒロシさん・・・。

その後、私にとってショッキングな連絡を受け取った。ホテルでメールチェックをしていると、母親が倒れて緊急入院&手術したとの姉からのメールが来ていたのだ。・・・本気で震えた。
日本にいれば、すぐに会いに行ける。会えれば、少しは自分の気持ちも安心するけれど、ここは海外。簡単には帰れない。いつ、どうなるか分からない母親のことを考えると必要以上に心苦しくなる。
カンボジアには日本行きの直行便はない。翌朝、予定通りにベトナムのホーチミンに行くことにし、状況によっては一時の日本帰国を考えた。

手術は成功し、体調は回復したとの連絡を受けた。本人からも父親からも「1人だけの旅じゃないんだし、簡単に帰れないのだろうから帰って来なくても良いよ。」と言われた。
日本に半分以上は帰るつもりでいたが、とりあえずは帰国しなくても大丈夫だろうと納得した。国際電話越しの母親の声も次第に元気になりつつあるし、父親も毎日看病に頑張っている。
私の甘えでもあると思うが、兄妹の末っ子でもあり、こういう時には少しだけ"責任"が軽い位置にいるのかもしれない。また、旅の途中であるという親の配慮もあるのだろう。

帰るか、帰らないかという状況判断による決断は難しい。今月は友人の結婚式もある。結婚式のために帰る予定はなかったが、どういったことにどれだけ重きを置くかはとても大切なことだ。ただし、1つのことの重要度だけに比例して帰国が決まるわけでもない・・・。
いくつかのタイミングが合えば帰国するが「この時は帰らなかったのに、どうしてこの時に帰るのか?」と考えると切りがない。世界一周をしようということは、最初からある程度の「割り切り」を持って出てきた。家族がいつ、どうなるか(それは自分自身も同じだけど)分からないけれど、旅に出てきてしまった。その判断はあくまでも自分の責任なのだ。

だけれど、できるだけ何かの危機の際にはすぐに帰国する準備はしていたい。

++洗濯++

最近の洗濯の仕方といえば、「ビニール袋洗濯法」。単に洗面台にビニールを置き、その中で洗い・すすぎを行うのだ。洗面台は清潔でないし、栓はあってもすぐに流れてしまうことが多いのでビニール袋はとても合理的で良いのだ。また、付け置きしてから洗うのも最近の流行だ。

 

++電話++

月に一度の親への国際電話は必須事項だ。そこで問題になるのが料金。オーストラリアなどの先進国、もしくはタイなどではカードを買い、公衆電話で簡単かつ安く済ませられる。だが、他地域は「電話屋さん」に入ってかけなければならない。しかも料金はかなり高い。
日本の会社を通すのも高くつきそうだしなぁ・・・。




 
左:シエムリアプの「モロッポー」で食べたチンジャオ・ロース。 右:野菜炒め。さっぱりでおいしい。

 
左:フランスパン。中に少し野菜が入っている。ソースは醤油。 右:夏バテにゴーヤ。

 
左:空芯菜と豚肉の炒めもの。 右:ギョーザ!少し柔らかったけどおいしかった!(中華料理店にて。)

++料理++

私たちは地元料理より中華料理、日本料理ばかり食べて贅沢三昧の日々を送ってしまった・・・。
だが、カンボジア料理は他の東南アジアの国々と比べると辛味がなく、クセが少ないので日本人の口にもよく合う。パクチなどの香草も少なめ。

 
日本食。とんかつ定食とカツカレーライス定食 。味噌汁付きが嬉しい。

 
10年前から変わらずおいしいニラ饅頭。軽く醤油を付けて食べる。食感はモチモチしていてうまい!左は屋台のお兄さんの図。

 
番外編 左:なんと、クモ!気持ち悪ーい! 右:よく売られているスルメ。香りが漂ってきてヨダレがダラー。

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